すし職人の年収は300万円から8000万円に…日本を飛び出すプロフェッショナルが爆増する当然の理由 もはや日本で働き続ける理由はない

プレジデントオンラインに11月18日に掲載された拙稿です。ぜひご一読ください。オリジナルページ→

https://president.jp/articles/-/63632

なぜ出稼ぎ日本人が注目されているのか

「海外に行ったら同じ仕事で年収が数倍になった」。そんなサクセス・ストーリーがテレビの情報番組などでしきりに流れるようになった。

世界各地でニーズの高い寿司職人や和食の料理人だけでなく、美容師や看護師など国内では年収がせいぜい500万円程度の職種でも、米国やオーストラリアなどで働けば、1000万円を大きく超す年収を手にできるというのだ。先日はテレビ朝日のワイドショーが「日本で年収300万円だった寿司職人が、アメリカで年収8000万円を稼ぐようになった」といった驚きの事例を報じて、話題を集めていた。

もともと欧米の賃金水準は日本に比べて高いうえ、過熱する景気による人手不足で現場に近い職種の賃金が大幅に上昇している。それに加えて為替の円安が、円建てで見た給与の増大に拍車をかけているわけだ。

これもワイドショーの格好のネタになっているが、日本で1000円の大戸屋のしまほっけの炭火焼き定食が、米国では31ドル。チップまで入れると5000円を超えるというのが話題沸騰だ。物価に着目して為替水準を見る「ビッグマック指数」ならぬ「大戸屋指数」とでも言おうか。この物価ならば給与が数倍になっても不思議ではない。

投資家の“巻き戻し”でいったん円高に転じたが…

これまでも日本と欧米の給与格差は存在してきた。

日本で働くにしても外資系企業の給与は国内企業よりはるかに高い。だが、そうした話は、一部のトップエリートの話で、庶民には関係ないと思われてきた。日本のプロ野球選手が米国のメジャーリーグのチームに移籍したとたん、数倍ではきかない報酬を手にするのを見ても、別世界の話だと思ってきた。

それが、寿司職人や美容師など身近にいる職業人も海外に行けば高額報酬を手にできると聞いて、がぜん、人々のマインドセットが変わりつつある。

為替が一時1ドル=150円を付けたことで、政府・日銀が本腰を入れてドル売り円買い介入を行っている。何とか円安を止めようと必死になっているわけだ。「円安はプラスだ」と言い続けてきた黒田東彦日銀総裁もさすがに急激な円安はマイナスだと言い始め、為替介入に踏み切った。介入をきっかけに、ドルを買っていた投資家がいったん利益を確定する「巻き戻し」が起きたこともあり、1ドル=138円台まで円高方向に動くと、黒田総裁も「大変結構なこと」だと留飲を下げていた。

だが、残念ながら、日本円が今後、長期にわたって強い通貨になっていくと考える人は少ない。人口が減り、経済力が落ちていく中で、中長期的な円安傾向は変わらないと見る向きが多いのだ。

物価は上昇しているのに収入は増えそうにない

今後、円安傾向が定着すると考えれば、円ではなくドルなどの「外貨」で稼ぐというのは至極当然の考えだ。座して貧しくなっていくのを待つくらいなら、出稼ぎに行く方がいいと考える人が増えるのも当然だろう。それを伝えるテレビ番組は、そうした人々を増やしていく役割を担いつつある。

それほど、「日本人の貧しさ」を感じる人たちが増えている。円安で輸入物価はどんどん上昇し、遂に消費者物価指数も前年比の上昇率が3%に乗せた。黒田総裁はそれを「一時的」だとして来年の物価上昇率は鈍化して落ち着くとの見方を示しているが、多くの人たちは今の物価上昇はそう簡単には止まらないと感じている。

企業間のモノの売買価格である「企業物価」の指数を見れば、すでに10%近い上昇になっている。それが本格的に最終価格に転嫁されるようになれば、消費者物価はさらに上昇していくだろうと見ているのだ。

物価上昇の一方で、収入は増えそうにない。岸田文雄首相は、経済の好循環で「賃上げを実現する」と声高に語っているものの、このところの物価上昇に給与の伸びが追い付いていない。物価を勘案した「実質賃金」は2022年4月以降、6カ月連続でマイナスとなっている。名目賃金はわずかながらも上昇しているが、物価上昇に打ち消されているのだ。庶民感覚としては生活が日に日に苦しくなっていっているわけだ。

「7割の企業が増益」給与を支払う側は好調だが…

なぜ、給与が増えないのだろうか。

給与を支払う企業の業績は好調だ。前年度(2022年3月期)の上場企業の決算では、全体の70%の会社が増益となり、3分の1の会社が最高益を更新した。最終利益の合計は約36兆円と、前の期に比べて83.9%も増えた。円安によって輸出企業の業績が好転したことが要因で4年ぶりの増益だった。

今年度は世界的なインフレに加え、日本経済も物価上昇圧力で先行きに暗雲が漂っている。それでも、9月中間決算は過去最高の利益水準を維持しそうで、今年度通期でも過去最高を更新するのが確実な情勢になっている。もちろん、新型コロナウイルスの蔓延による自粛などで経済活動が停滞していた昨年に比べて、売り上げが大きく回復してきたことも原動力になっている。

ところが、企業は従業員の給与を大きく増やす行動には出ていない。

日本経済は四半世紀にわたってデフレが続いており、ほとんどの経営者がインフレを知らない世代に代わっている。デフレの中で、いかに人件費を抑えるかに注力し、そうした合理化努力が認められて出世した今の経営者には、「インフレに対応して賃上げする」という観念がまったくない。3%の賃上げは十分過ぎる賃金引き上げだと感じてしまうのだ。

従業員よりも取引先重視のカルチャーがある

企業に賃上げの体力がないわけではない。新型コロナ禍でも内部留保(利益剰余金)は増え続け、2021年度に、金融・保健を除く全産業ベースで、初めて500兆円を突破。516兆4750億円に達した。10年連続で過去最高である。

企業経営者の多くは、内部留保は大きな経営危機が訪れた場合への備えだ、と主張してきた。ところがこの数字は、新型コロナで大打撃を受けても、それを放出して従業員の給与に回すという行動に出なかったことを物語っている。雇用を維持したのも、雇用調整助成金など政府頼みだった。

こうした日本企業の構造的な賃金引き下げ傾向は、そう簡単には収まりそうにない。海外のインフレや円安による輸入物価の上昇で、多くの企業はコストアップに直面している。大手メーカーの下請けならコストの上昇分を吸収することを優先し、従業員の給与引き上げどころの話ではない、ということになる。最終商品への価格転嫁をなるべく避けようという行動も、賃上げを後回しにしている。従業員よりも取引先を優先するカルチャーが根付いているのだ。

首相は「最低賃金を3%引き上げた」と胸を張るが…

もっとも、企業は大幅な賃上げをせざるを得なくなる可能性が出てきた。人手不足が深刻化しているのだ。出生数の大幅な減少で、新卒の若手社員の採用は年々厳しくなっている。特にサービス業や製造業の「現場」での人手不足は深刻だ。

そこに円安が追い討ちをかけている。2022年10月からの最低賃金を3%引き上げたと岸田首相は胸を張る。前述のように消費者物価が3%上がれば、実質的な賃上げ率は0%になってしまうのだが、それ以上に、外国人労働者に動揺を与えている。昨年10月時点に比べて大幅な円安になったことで、最低賃金をドル建て換算すると20%も下落していることになるのだ。

円安が定着してしまえば、最低賃金で働く多くの外国人は日本で働くことを諦めて帰国するなり、より賃金の高い国に転出していくことになる。

さらに、冒頭のように、日本人まで出稼ぎに行くとなると、まさに現場は深刻な人手不足に陥っていくことになる。

日本で人材を集めることができなくなる

米国でもレストランや工場など現場で働く人が不足しており、急激な賃金上昇を生んでいる。今後、日本も現場に近いところから賃金を引き上げざるを得なくなっていくだろう。外国人労働者に日本に来てもらうためには、ドルなど外貨建てで見た賃金水準がプラスに転じる必要がある。最低賃金など安い労働力で働いてくれてきた外国人が今後、確保できなくなってしまう危機的な状況だ。

労働人口の減少にもかかわらず、日本が賃金を引き上げずにやってこられたのは、外国人や日本人の高齢者、女性などを新たな労働力の供給源にしてきたからだ。経済がグローバル化する中で、労働市場だけ日本固有の仕組みで回ってきたと言える。ところが、急激に進んだ円安によって、その矛盾が一気に表面化した。

今後、賃金水準やその前提になる労働制度などが海外と同列にならなければ、日本は人材を集めることができなくなっていくだろう。