元首相襲撃犯とジョーカー 週刊プレイボーイ連載(531) 

安部元首相への銃撃事件では、容疑者の男が母親が入信した新興宗教団体に強い恨みを抱いていたことがわかりましたが、それがどのように「テロ」へと至ったのかの解明は進んでいません。

この教団によって破壊された家庭はたくさんありますが、だからといってほとんどの被害者は犯罪とは無縁です。強引な勧誘や霊感商法、多額の献金の強要は1970年代から社会問題になっており、脱会者や家族を支援する団体も複数ありますが、そうした活動に参加した形跡もありません。男はたった一人で、家賃3万5000円の1Kのアパートで「復讐」のための銃や爆発物をつくっていたのです。

男が最後に働いていたのは京都府内の倉庫ですが、同僚と会話することもなく、昼食は車のなかで1人で弁当を食べていたとされます。事件後、すべてのメディアが彼の過去を追いましたが、2週間以上たっても、高校を卒業してから自衛隊に入隊したことしかわかっていません。海上自衛隊を退職したあとは、ファイナンシャルプランナーや宅地建物取引士などの資格を取り、複数の会社で派遣社員やアルバイトとして働いていたとされますが、その間のことを証言する友人などがまったくいないのです。

2008年に秋葉原で無差別殺傷事件を起こした犯人も孤独な派遣社員でしたが、それでも親身に相談に乗ってくれる故郷の友人や年上の女性がいました。元首相を銃撃した男には、いまのところ、誰かとかかわった記録がまったくありません。その人生をひと言でいえば、「絶対的な孤独」ではないでしょうか。

2019年の映画『ジョーカー』では、「自分はまるで存在していないかのようだ」と繰り返し訴える孤独な青年アーサーが、狂気と妄想にとらわれてジョーカーに変貌していく姿が描かれます。

男は公開直後にこの映画を観て、〈ジョーカーという真摯な絶望を汚す奴は許さない。〉とツイッターにコメントしています。それ以外の投稿を見ても、自分の境遇とジョーカー(アーサー)を重ね合わせていたことは明らかです。

この映画について非公開のユーザーと交わした会話では、〈ええ、親に騙され、学歴と全財産を失い、恋人に捨てられ、彷徨い続け幾星霜、それでも親を殺せば喜ぶ奴らがいるから殺せない、それがオレですよ。〉と自分のことを語っています。これが男の「真摯な絶望」だという見方は、さほど間違ってはいないでしょう。

自衛隊を退職したあと、頑張って資格を取ったにもかかわらず、仕事もうまくいかず、恋人にも捨てられてしまった。40歳を前にして、社会からも性愛からも排除されているという現実を突きつけられた。これは、高い知能と能力をもつ(おそらくプライドも高い)男には耐えられない挫折でしょう。

“絶対的な孤独”のなかで、なぜ自分の人生はこんなことになったのかを考えていくうちに、人生をさかのぼって教団が悪魔化されていった。自分は純粋な被害者(善)だという物語をつくろうとしたとき、その教団とかかわっていた(とされる)この国でもっとも有名な政治家が、絶対的な「悪」として立ち上がってきたのではないでしょうか。

『週刊プレイボーイ』2022年8月1日発売号 禁・無断転載