やさぐれるスタンリー・ジェヴォンズ

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ケインズの人物評伝の訳は続いていて、マルサスが終わってスタンリー・ジェヴォンズになっている。

マルサスはかなり温厚でまともな人だったらしいけれど(まあ牧師さんだから)、それでも結構面倒な人ではあったみたい。同時代の人の証言によると、

「だが彼 [マルサス] はよい性格の人物で、妊娠の様子さえ見られなければ、あらゆる女性に礼儀正しい。」

 ふーん、では妊娠の様子が見られた場合にはどんなふるまいをしたのでしょうか、というのは是非知りたいところ。さすが「人口論」の著者。この発言をした人は、パーティにマルサスがくるときには子供のいる女性をなるべく呼ばないようにする気遣いを見せたそうな。そのマルサスも後年になって、少しは態度を軟化させたそうではあるんだけれど。しかし、これで牧師が務まるのかよ! 実際は、教区は副牧師に任せていたそうなんだが。

 

で、スタンリー・ジェヴォンズなんだけれど、彼が二十五歳くらいで最初にいくつかパンフレットを自費出版して完全に無視されて、すごい落ち込んだとのこと。74冊しか売れなかったそうな。そこで彼が日記に書いた以下の下りが、ケインズに紹介されている。いやあ、わかるなあ。そういう気持になることって、あるよねえ。

さて、「黄金」についてのエッセイが出て、今のところだれもそれを誉めてくれる人がいないので、どん底に落ち込んでいるということになるんだろう。妹は別だが、もちろんそれは妹だから誉めてくれたというだけだ。やること、できることすべてがこんな風にしか受け入れられなかったらどうしよう? まずは、自分自身についての確信すべてが、単なる妄想でしかなかったのかと疑問を抱くことになるかもしれない。第二に、最高の産物ですら世間的な認知と賞賛の息に捕らえられることはないかもしれないというのを、ついに学ぶことになるのかもしれない。最近の自分の立場について考えたことをすべて書くには、無限の時間と場が必要になる。自分が多くの点でバカだとすら思ったので、これまで抱いたいろいろな考えがマヌケなものだったとわかっても、まるで驚きはしない。ついに、この世界でやっていく唯一の優れた方法は友人を得て、彼らに自分の賢さの印象を植えつけることだとおおむね認めることにいたった。その友人たちを、自分の賢さの宣伝のために送り出し、彼らの証言をたくさんのテコに使って、自分を望み通りのところに押し込むんだ。シェイクスピアは六十六番目のソネットを書いたとき、これをいかによく理解していたことか。

大量の手間、大金をかけ、ほとんどだれにも顧みられない作品を印刷し続けるのは無駄だというのはかなり自明に思える。人生をやり直して、別の方法で、できるときにどこかで自分をまとめなおさないと。長年のゆっくりした歩みの後でのみ、自分の考えを表明し、それを判断する能力のある人に観てもらえる可能性は出てこない。

実に多くの点で欠点だらけとはいえ、自分の最も奥底にある動機はまったく利己的なものではないと思う。そしてその利己性はどんどん減っていると信じる。ときには、自分の努力すべてが少しは役に立つと感じられさえすれば評判、富、安楽、あるいは生命そのものですらどうでもいいとさえ思う。すべて匿名で行えるなら、たぶんこれにも納得できるんだろう。でも友人たちからの糾弾と、出会うすべてが耐えがたいものばかりで、彼らの賞賛も崇拝も優しいものであるなら……別の方向に行くしかないのか。

「ちくしょう、友達を利用してのしあがるしかないのか!」あのジェヴォンズですら、こうなるのか……そしてこの人が次に書いた「別の方向」が、「このまま行くと石炭が枯渇するぞ!」という『成長の限界』を先取りした煽り文書『石炭問題』。意図的に煽り文書として書いたもの、なんだって。うーん。

(この部分はまだpdfには未反映。markdownからのフォーマット変換とかがまだ十分にできてないので)

その後、ジェヴォンズ完成。pdfにもepub形式にも反映済。またエッジワースも完成。あとはマーシャル夫妻のみ。その後、それも終わって完成させました。