SSブログ

9月7日(火) 『日刊ゲンダイ』に掲載されたコメント [コメント]

〔以下のコメントは『日刊ゲンダイ』9月7日付に掲載されたものです。〕

*巻頭特集「“顔だけ替えて国民だまし”の総裁選 そうは問屋が卸さない」

 選挙で自身の生き死にがかかっているのだから、派閥の締め付けも利かない。それで、大メディアは「今回の総裁選は派閥の論理が通用しない」などと“したり顔”で解説しているのだが、茶番もいいところだ。

 法大名誉教授の五十嵐仁氏(政治学)が言う。

 「能力不足でコロナ対策もマトモにやれない菅首相が辞めることは朗報ですが、彼がいなくなれば自民党が急に良くなるわけではない。事実上、次の首相を決める総裁選について報道することには公益性があるものの、報道の仕方が問題です。出馬が取り沙汰されている顔ぶれを見ても、ロクでもない人や怪しげな人物ばかりで、リーダーとしての資質が疑われる人がほとんどなのに、“誰が勝つのか”だけに焦点を当てて、競馬のように予想を立てることにどれだけの意味があるのか。人気投票ではなく、『この人が勝てばこういう政治になりそうだ』と報じるのがメディアの役目でしょう。それに、自民党総裁選の本質は国民不在の権力闘争です。今も派閥の親分が裏でコソコソ暗躍している。党内力学で新総裁が決まることに変わりはないのに、まるでガチンコ勝負のようにメディアが煽り、お祭り騒ぎを演出することは、自民党の目くらましに加担しているだけなのです」

 菅政権のデタラメなコロナ対応でワクチン担当を任された河野は、調整能力もないのに高圧的に命令するばかりで現場を混乱させただけだった。異論をシャットアウトし、説明責任を果たさないことでは菅に勝るとも劣らない。霞が関では河野のパワハラ体質を知らない者はいない。そういう実像を大メディアは伝えないのか?

 野党はコロナ対応の臨時国会召集を要求していたが、自民党は拒否。1カ月近くも総裁選で政治空白を生むことを選んだ。その間、コロナ対策は置き去りにされるのだ。

 立憲民主党の安住国対委員長は「総裁選をやっても自宅で療養している方を誰一人助けることはできないが、国会を開けば、財源が枯渇しているところに手当てできる」と訴えていたが、これは本来、政権与党側が言うべきことではないのか。

 「このコロナ禍に国会も開かず、内向きの権力闘争に明け暮れる自民党は、もはや統治能力を失っているとしか言いようがない。一体、どこを見て政治をしているのか。総裁選につぎ込むエネルギーの何割かでもコロナ対策に振り向ければいいのに、国民のことは眼中にないかのようです。大メディアは泥舟の上の茶番劇を一生懸命に報じていますが、船長の顔を代える国民だましはもう通用しない。船そのものを変えなければ沈んでいくだけという切実な段階に来ている。新総裁のご祝儀相場で秋の衆院選に自民党が勝つようなことになれば、国民は今以上にナメられ、虐げられる一方ですよ。野党も今度こそ腰を据えて、死に物狂いで挑まなければダメだし、ここで負ければオシマイです。国民の失望が野党批判に向きかねません」(五十嵐仁氏=前出)

 総裁が代わっても、安倍・菅政権で顕著になった自民党政治の体質は変わらない。忖度、恫喝、縁故主義の利権政治が続くだけだ。“モリカケ桜”疑惑に河井夫妻の1億5000万円、IR汚職、学術会議の任命問題、GoToやオリ・パラ強行と税金の中抜きなど、前回総選挙からの4年間で何があったかを忘れてはいけない。

 多くの一般国民は自民党総裁選に投票できないが、総選挙では自民党政治に審判を下すことができる。いったん下野させて、安倍・麻生・二階・菅の支配を終わらせる以外に日本再生の道はない。

nice!(0) 

nice! 0