日本で一番多く接種されている新型コロナウイルスワクチンは、アメリカのファイザー製である。しかし、じっさいにワクチンを開発したのはファイザーと提携しているドイツのビオンテック社である。同社のトップはトルコ系移民の2世であるウール・シャヒーンである。


シャヒーンは、1965年にトルコの地中海岸の都市イスケンデルンで生まれている。シリアに近い都市である。イスケンデルンとはアレキサンドリアと言う意味である。古代にアレキサンダー大王が、アケメネス朝ペルシア帝国の大軍を付近のイッソスで撃破した。その勝利を記念するために、この都市が建設された。


アレキサンダーは支配地域にみずからの名を冠した多くの都市を建設した。つまり、多くのアレキサンドリアがあるわけだ。一番有名なのは、エジプト第二の都市で地中海岸の港町アレキサンドリアである。その他にも、アフガニスタンのカンダハルもうそうだ。ターレバンの根拠地として知られた町である。カンダハルはアレキサンドリアの訛りだそうだ。古代の世界征服者の名前を冠した都市に生まれたシャヒーンが、現代の世界でコロナウイルスの征服者の一人として歴史に名前を刻まれようとしている。


さて、このイスケンデルン出身のシャヒーンの父親はまず単身でドイツに向かい、フォード社のケルン市の工場で自動車の組立工として働いた。その後シャヒーンは、4歳の時に母親と共にドイツに行き、父親に加わった。


シャヒーンは、ケルン大学で医学博士号を取得した。夜遅くまで実験室に残る熱心な学生だった。自転車で通学していた。なお、この自転車の利用は現在にまでつづいている。学生時代と変わらないのは、自転車の利用ばかりではない。研究熱心さ、そして謙虚で控え目な物腰である。


卒業後はザールランド大学の付属病院で医者として勤務し、その後にマインツ大学の教授になっている。2002年にシャヒーンは2歳年下のオズレム・トレジと結婚した。妻も同じくトルコ系である。ドイツのオランダ国境に近いラストロップという小さな町で1967年に生まれ育っている。ドイツではトルコ系市民を蔑視するような風潮も一部で見られたようだが、ワクチンの成功は移民系の人々の再評価につながると期待されている。


ビオンテック社の共同創業者である二人は、ともにドイツ育ちだが、とてもトルコ的な面も残している。たとえば、治験の結果によって開発したワクチンの有効性が確認された日は、シャヒーンとトレジ夫妻は自宅でトルコ風の濃い紅茶をいれて成功を祝ったという。シャンパンの栓を抜くのでもなく、ドイツらしくビールを飲むでもなく、紅茶をいれたところに伝統的なトルコ風の人柄を想像させる。


シャヒーンは、首にトルコのナザールと呼ばれるお守りを掛けている。ナザールは目の形をしている。中東で広く信じられている考えに邪視がある。これは素晴らしい物などに対して、他人がねたみの目を向けて、傷つけてしまうという認識である。それを防ぐために、邪視をはね返す瞳のデザインのお守りが使われる。


また、人や物を褒めるさいにも、「神はほむべきかな!」という言葉を付ける。神を引用してねたみの感情の引き起こす悪を防ぐ。そうした素晴らしい物をお創りになった神を讃えているという形にする。この邪視という発想はイスラム教、キリスト教、ユダヤ教などの宗教を越えて人々に共有されているようだ。


このように、人間の持つ嫉妬という感情を意識した文化を中東の人々は育んできた。シャヒーンは、そうした文化や伝統の担い手でもあるようだ。これだけ大きな成功を収めた現在では、もっと大きなお守りが必要かも知れない。なお、ビオンテック社では邪視対策のワクチン開発の予定はないようだ。


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出版元の了解を得てアップします。

「キャラバンサライ(第117回)ワクチン開発者のお守り」、『まなぶ』2021年9月号40~41ページ