響き合う短歌と中東世界


砂降る国を広く中東全体と取ると、砂降る国にも雪の降る地域がある。トルコの北部は冬には雪に閉ざされる。イランの北部には水田がある。中東は広く多様である。そして、その多様さが豊穣な文学の伝統を育んできた。その中心は詩歌である。中東は日本とは全く別の世界として論じられる。しかし、両地域に生活する人々の感性や感覚は、それほど離れていない。


その話題に深入りする前に三井氏の著作に従って、まず雪降る国の風景の論述を紹介したい。ちなみに本書は三部作である。第一部が著者の故郷の紹介である。本書の言葉を借りれば故地である。その故地を歌う歌人が語られる。そして第二部が中東を扱い。第三部で多くの歌人たちが論じられている。


第一部で語られるのは、能登である。ゆっくりと脳裏の中の記憶を各駅停車で訪ねるような叙述である。能登の風景と生活を歌う歌人たちの姿が読者の脳裏に染み込んでゆく。そして、しばらく著者の心象風景の中に身をおくと、この歌人のルーツが見えて来るような感覚が湧き上がってくる。


気が付くと、いつのまにか風景が、中東に変わっている。冒頭で述べたように、この砂降る国の人々と雪降る国の詩人の感性は、共鳴し合うように思う。例としてレバノン出身で19世紀後半から20世紀初頭にかけて活動したジョブラーン・ハリ―ル・ジョブラーンを紹介したい。ジョブラーンは、その詩『私に葦(あし)の笛をください』で、「私に葦の笛と歌をください。なぜならば歌は存在の秘密だから。全てが滅びんでも、葦の笛の響きが残るから」と詠った。そして「人生というのは水の上に書かれた何行かに過ぎない」(拙訳)と結んだ。この詩には、音楽がつけられ、レバノンの歌姫であるフェイルーズによって歌われている。アラブ人ならば知らぬ人がいないほど有名な詩であり曲である。


>>次回につづく


※『塔』2020年11月号、134~5ページに掲載