アメリカ取材で何回も世話になったコーディネーターの川澄朋子さんから、ワシントンDCでのアフガニスタンからの難民の受け入れに関する文章が届きました。民間ボランティアの頑張りを活写しています。本人のお許しを得ましたので共有します。


難民支援活動@ワシントンDC


その1:ダラス空港編


まず、8月下旬から9月はじめの2週間ほど、Jose Andreasさんという有名シェフのNPOの活動で(ご一緒にワシントンDCのメキシコ料理にいきましたっけ?)、ワシントンダラス空港に到着する難民にお茶とご飯を配るボランティアをしてきました。お食事は地域の中東レストランから、Halalのお肉を使ったお料理を一人分ずつの容器に入れて、大量に届けてもらっていました。2週間で合計26,000食も配布したんですって。毎日、4000-5000食くらい配っていました。私たちが活動していたのは、入国審査が終わり、COVIDテストが終わって次の場所(避難所みたいなところです)に行く前に一休みする休憩所でした。だから、一人に3食配っていたわけでなく、みんな長くても1時間くらいしかいないので、本当に毎日何千人ものアフガン人が到着していたんです。空港のスタバでお湯を分けてもらって、お茶を出したりしました。スタバのカウンターの中に入るという貴重な体験でしたよ!


アフガニスタン人はみんな大家族で、平均して4~6人くらい子供がいる感じでした。たぶん今ワシントンに来ている方たちは、米軍や国務省関係者でエリートなんでしょう、70%くらいの方たちは英語でお話しできました。そして、子供たちはみんな、IpadもNintendoスイッチももっていないのに、お行儀が良くて驚きました。お父さんとお母さんが、しっかり育てているんですね。みなさん着の身着のまま、近所に買い物に行くような身軽な恰好でした。たまに、小さいリュックを持った人がいたくらいです。家族13人分のお食事をとりにくるお父さんもいて、これから大変だろうなあ・・・と思ってしまいました。


家族連れが多いなか、明らかに様子の違う、一人旅の男性陣もちらほらいました。ボランティアでアフガン系の人がいて、その人がおしゃべりした情報によると、彼らは兵士だそうです。明らかに兵士っぽいです。英語はほとんど話さず、なんか、無骨な感じで。南のほうからカブール空港まで歩いてきてギリギリ脱出できたとか、家族連れ以上にすごく疲れている感じでした。


暇なときにその辺の紙で折り紙をつくってあげたら、ちびっこたちが喜んでくれました。折り紙パワーはすごいです。お礼にって、塗り絵やシールをくれました。万国共通で、子供はシールが好きですね。写真を添付します。


それと、ある時、食事が間違って違うエリアに届けられてしまって回収できず、ピザを注文したんです。すごくピザを喜んでくれました。たぶん、準備していたハラル肉の料理以上に、みんな喜んでました。たまに、「ハンバーガーないの?」とか「ペプシは?」って聞いてくる子供もいました。


2週目の終わりのころになると、入国してい来る人たちはカタールやドイツで数日過ごしてから来た人たちでした。ドイツから来た人たちはすでに支援物資をもらっていたみたいで、身なりもきれいだし、ヨーロッパは寒かったのか秋のようは服装をしていたし、お揃いの小さいスーツケースをもっていました。


その2:アパート準備編


難民の家族には、NPOを通じてアパートが用意されるんです。初めの半年分くらいは、NPOが支払いをしてくれます。でもアパートの中は家財道具が一切なく、すっからかんなんです。そのため、草の根活動で難民家族のアパートを準備するというボランティアをしました。娘の入っているガールスカウトとして参加しました。甘やかされえて育っているガールズに、難民について少しでも知ってほしいと思ったし、もしかしたら同じ学校に通うかもしれないからです。


必要な物のリストを作り、みんなに物資の寄付をお願いし、しばらく家のガレージは倉庫状態でした。家族の割り当てがくると、2日以内におひっこしとなるので、ある程度全てそろえる必要があったんです。4-5人家族を想定していたんですが、蓋を開けてみたら7人家族、子供が5人もいるので、あわててベッドの寄付を追加で募ったりしました。今振り返って思うと、コーディネーターの経験がお役立ちでした。


本当にいろいろな方の親切に助けられたので、簡単なレポートを作ってみんなにお送りしました。流れがわかるので、添付しますね。NHKニュースが取材に来たんですよ!私ではなく難民草の根支援団体を作ってしまった地元の作家の女性を取材していたんですが、Amyさんというのですが、Amyがトラックを運転してくれた流れで家に取材にきたんです。親切な方で、ロケ車に荷物をのせてお引越し手伝ってくれました!数日内に日本のニュースとして放映されるそうです。


Amyさんはパワーにあふれていて、先生がインタしたらきっと楽しくお話が弾む方だろうなあと思っています。暗いニュースが続く中、Amyさんやご近所さんの親切な支援にふれると、ネガティブニュースの傷が緩和されます。こちら、Amyさんが作った、できたてほやほやの団体です。 
https://jpn01.safelinks.protection.outlook.com/?url=https%3A%2F%2Fwww.reactdc.org%2F&data=04%7C01%7Ct-yuji%40nhk-ed.co.jp%7C5a8a753fc2f44bd0e7ce08d983b601ec%7C3a6e5f3e993c43a69f6f7a4d1b2293cf%7C0%7C0%7C637685640844444619%7CUnknown%7CTWFpbGZsb3d8eyJWIjoiMC4wLjAwMDAiLCJQIjoiV2luMzIiLCJBTiI6Ik1haWwiLCJXVCI6Mn0%3D%7C2000&sdata=PJ0Du9kZzu801bKT7poJ8oDTykzlY5aOnwjGAynNG1s%3D&reserved=0


お引越し先の団地には、ほかにもアフガン難民家族が引っ越しているようでした。アフガン人の子供たちが話しかけてくれて、まだ来たばかりなのにちゃんと英語で意思疎通できましたよ。中学生くらいの女の子が、のびのびと楽しそうに自転車に乗っている姿を見て、感激しました!本当に、心の底から嬉しい瞬間でした。


7人家族のお父さんからは、簡単なお礼のメッセージがテキストで届きました。たぶんあまり英語ができない方なのでたどたどしいのですが、とても喜んでくれているのが伝わりました。


その3:引き続きの支援


昨日、ボランティア仲間から、難民のお父さん(まだあったことない人)が子供の幼稚園の登録にいくのに、車がないから送り迎えをしてほしいと頼まれました。こういうとき、フリーランスは融通が利くのでありがたいです。お迎えにいったところ、アメリカ大使館で通訳をしていたという人で英語が流暢で楽しくおしゃべりしました。彼はカブール陥落の2日前に脱出できたそうで、小学生の男の子が一人と幼稚園生が二人です。上の子はもう小学校に楽しく通ってるといっていました。


早く仕事を探したいそうで、私の入っている通訳者協会にも声をかけてみようと思っています。初めて国外に出たそうですが、アメリカの印象は映画などから大都市を想像していたので、アレキサンドリアやワシントンDCには高層ビルがなくて拍子抜けしたそうです。帰り際に奥さんも子育てで大変だろうし、ランチの時間だから、何か買って差し入れしたいと申し入れました。カバブとかかなあと思ったら、なんと、リクエストはピザでした!ここでもピザは人気で、おっきなピザをテイクアウトしました。ペルシャ語のできる高橋先生がここにいらしたら、きっと興味いっぱいでいろいろお話できるんだろうなあと思っています。


まだ陥落前に到着した人がようやく学校手続きをしているので、私が空港で出会った数多くの方たちは、まだ一時施設にいるのだと思います。ワシントンDC周辺の家賃がたかいことも、引っ越し手続きの遅れだと聞いていますし、これからも、いろいろな形での支援が必要になってくると思いました。


大学に留学した10代のころは難民支援の仕事がしたかったので、数十年たってこんな形でお手伝いできて、ボランティア活動とはいえとても張り切ってしまいます!女性がお仕事をすることが、貧困ループに陥らないためにもとても大切だと思うので、何か女性のためにできることがあればと無い知恵を絞って、いろいろ考えていこうと思います。


なお英語ですが、以下のサイトでボランティア組織の活動の報告が読めます。
https://lssnca.org/