「魚の道は館山に通ず」販路を開拓した鮮魚店の挑戦

雑誌Wedgeの4月号(3月19日発売)に掲載された連載『Value Maker』です。是非ご一読ください。

Wedge (ウェッジ) 2020年 4月号 [雑誌]

Wedge (ウェッジ) 2020年 4月号 [雑誌]

 

 千葉県館山の「まるい鮮魚店」を経営する鈴木大輔・まるい社長の朝は早い。午前4時半には3台持つスマートフォンを使って情報収集を始める。旧知の漁船の船長や漁港関係者に電話して、その日の水揚げを聞き出すのだ。

 鈴木さんは毎朝、南房総の12の漁港で魚の買い付けをする。「こっちの漁港で大量に上がっている魚が、別の漁港ではまったく水揚げがないということもある。前の日の価格を元に入札しても絶対に買えないんですよ」と鈴木さん。入札が始まる前にいかに情報を集めておくかが勝負なのだという。

 漁港に水揚げされると、それぞれの漁港に出向いた社員が情報を送ってくる。LINEなどSNSで送られてきた魚の写真を見て、札を入れる金額を決め、次々に社員に指示を送るのだ。

 開札時間になると、結果が黒板に次々と書き出されていく。丸に「イ」の字が次々に書き込まれていく。「まるい」が落札したことを示す。毎朝、数百万円。多い日には1日で1000万円の魚を落札することもある。「仕入れなければ商売が成り立ちませんから」と鈴木さんは笑うが、仕入れた魚を売りさばけなければ、仕入金額が大きいだけに、リスクも大きい。「博打みたいなところがあります」とは言うものの、実は鈴木さんには確実な「販路」があるのだ。

 

自前の物流網を開拓

 

 「南房総朝獲れ当日便」--まるい鮮魚店の事業を一気に拡大するきっかけになった「販路」がそのひとつ。

 1997年12月に開通した東京湾を横断する高速道路「東京湾アクアライン」は房総半島の先端にある館山と東京の時間距離を一気に縮めた。どんなに急いでも車で2時間半かかっていた道のりが1時間あまりに短縮したのだ。これを商売に生かせないか。

 鈴木さんは魚屋の3代目。父の日東士さん(現・会長)の代までは商店街の普通の魚屋だったが、父の病気をきっかけに家業を継ぐことになって仕事の仕方を一変させようと考えた。

 ある日、高級魚のアカムツを持って銀座の寿司店をいきなり訪ねる。裏口から声をかけると板前に怒鳴られた。「30年近く築地の魚を見ているんだ」。門前払いかと思われたが、魚を見るやその板前の目の色が変わった。

 「館山は魚種が豊富で35種以上。いろいろな魚が仕入れられる。それを新鮮なまま届けられればお客さんに喜んでもらえると確信したんです」

 それまで軽自動車だけだったところに、自前で1トン半のトラック購入を決めた。「親父とは大げんかでした」と懐かしそうに振り返る。15年ほど前のことだ。

 アクアラインを渡った羽田空港にあるヤマト・グローバル・エキスプレスに掛け合うと午前11時半までにセンターに届ければ、1都3県の飲食店に16時までに届けてくれるという。こうして「自前の物流網」を持ったことで、まるい鮮魚店の商売は一気に広がった。今では15台のトラックを持ち、元旦を除く364日、得意先店舗に魚を運ぶ。冷凍庫と水槽を設置した特殊車両も3台ある。

 3月初旬の取材当日、撮影を予定していた波佐間漁港は、朝からの雨で海が時化て、水揚げがなかった。そこで、急遽、富浦漁港に向かうと、ここではキンメダイが豊漁。ここでも自前の物流網が12の漁港をつなぐことで、お客さんからの注文に「欠品」が出ない体制を整えている。

 

きれいで臭くない職場

 

 まったく営業活動はしていないが、評判を聞きつけた店舗との契約が増え続けてきた。今や862店にのぼる。その中から毎日150店舗ほどに出荷する。大手の居酒屋チェーンなどへの出荷も増え、「朝獲れ鮮魚の刺身」など看板メニューの材料として使われるようになった。飲食店が欲しい魚を注文し、それを受けて出荷できるのも、魚種が豊富な館山ならではだと言う。

 もちろん、産直配送だけで大量に仕入れた魚をすべて消化できるわけではない。仕入れた魚の一部は豊洲市場に卸したり、干物などに加工する。こうした商品はホームページを通じた個人通販で売りさばく。

 通販のカギを握るホームページの制作にも力をいれてきた。「まるい鮮魚店」のホームページには「まるい水族館」というページがあり、館山の豊富な魚種を紹介している。ブログなどSNSでの発信も心がけている。

 個人向け通信販売では、「地金目鯛しゃぶしゃぶ用スライス」「天日干し地魚干物セット」「おまかせバリュー鮮魚セット」「活伊勢エビ」「地サザエ」などが人気商品だ。昨年秋に南房総を襲った台風19号の被災地支援で館山市へのふるさと納税が大きく増えたが、その返礼品として人気を集めたのが「まるい鮮魚店の干物」だった。製造が間に合わず、一時受付を停止したほどだった。

 業容は大きく拡大した。父から社長を引き継いだ時には1億7000万円ほどだった年商は今では7億8000万円。従業員も26人にまで増えた。もともとは魚屋を継ぐのが嫌で東京に出てイタリアンのシェフをしていた鈴木社長。「魚臭くて、寒くて、冷たいのが嫌だった」と言う。「新しい加工場は清潔にして臭いを抑え、快適に働ける職場環境に変えてきた」。従業員もイキイキ働く、地元で活気のある数少ない企業に育ってきた。「まさか、こんなに変わるとは」と父の日東士会長も舌を巻く。今、豊洲市場の魚類卸会社で修行している孫が、跡を継ぎに戻ってくるのを心待ちにしている。

 

売り切るためのアイデア

 

 鈴木さんの「地元館山の魅力を売り出す」アイデアはどんどん広がる。

 もともと「町の魚屋」だったころの店舗は3階建てに改築。1階には干物や真空冷凍品などを置く店舗を開いた。また、2階には完全予約制の料理店「佐助どん」を開いた。実は地域の人たちも豊富な種類がある地魚を食べる機会は少ない。特に高級魚になればなるほど、東京へ出荷され、地元の人の口には入らない。

 「地元の良いものを地元の人たちに知ってもらいたい」というのがお店を作った理由だ。1室限定のため、なかなか遠方から訪れる観光客には対応できない。そこで、観光客がやってきても気軽に食事や買い物ができる店舗をすぐ近くに建設する計画だ。すでに土地を確保しているが、台風被害で建設計画が遅れており、2021年の夏にはオープンしたいと言う。

 鮮魚をその日のうちに届けることで、当然のことながら付加価値は増す。また、加工品や料理店も当然、鮮魚よりも高い価格で販売できる。「それもこれも自前の物流網・販路を確保したからだ」と鈴木さんは言う。販路があるからこそ、思い切ってリスクを取る仕入れができるわけだ。だが、最も重要なのは、館山の魚の魅力を知ってもらうこと。ファンに良いものを届け続けることで自然と顧客が増え、事業が大きくなっていく。