出版元の許諾を得て以下をアップします。
「ハマスとイスラエル:なぜガザで戦うのか?」、

『現代の理論』2024年春号 100~107ページ
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現代の理論・社会フォーラム 新春の集い特別講演会

ハマスとイスラエル:なぜガザで戦うのか?

恒例となった当NPO主催の新春の集い特別講演会、今年は2月3日に専修大学で開催された。国際政治学者で、日本を代表する中東研究の専門家である高橋和夫さんを講師に招き、いまも激しい戦闘が続き、多くの犠牲者を出しているパレスチナ自治区ガザにおける戦争の現状と今後の展開などについて熱く語っていただいた。

 

肥沃で豊かな土地が広がるガザは、海も近く、古代から貿易港として栄え、エジプトの綿花を欧州へ輸出していたことがよく知られています。われわれが使う包帯を「ガーゼ」といいますが、これは、エジプト産の良質な綿がガザから来ることに由来するという説があります。

 

天井のない監獄

 

ガザの面積は、東京23区の6割ほどです。本当に狭い。だから、行ってみると本当に人がいっぱいと感じます。実際、人口密度が非常に高く、住民たちは家族が増えると、1階上に継ぎ足すしかない。

 

ではそこにいる人たちはどこから来たのか。もともとガザに居た人は3割くらい。ほかはもともとガザの周辺に住んでいたけれど、1948年にイスラエルが成立したとき追い出され、ガザに押し込められたという人たちです。彼らは追い出されるとき、またすぐ家へ帰るつもりでしたから、家の鍵を持ってきました。だから、パレスチナ人はみんな置いてきた家の鍵を持っていて、第1世代が亡くなると、第2世代へ家宝のように受け継がれる。これが自分たちがそこに住んでいたという証なんですね。

 

歴史を振り返ってみれば、パレスチナの一部としてオスマン帝国の支配下にありましたが、第一次世界大戦後は、英国の占領地となり、イスラエルが成立したとき戦争があって、ガザだけはエジプトが占領しました。その後、67年の第三次中東戦争で、イスラエルがこの地を支配するに至った。しかし、ガザの人々の抵抗があまりに激しいため、イスラエルは2005年に撤退。そのあと選挙や内戦を経て、07年にハマスが掌握しました。

 

地理的には海に面していますが、イスラエルの船がいるため、漁船は遠くまで行けず、近くでしか魚を獲ることはできません。国境は壁に囲まれ、いくつかの検問所からしか出入りができないことから、「天井のない世界最大の監獄」と言われています。でも、「監獄」って3年とか5年とか刑期があるじゃないですか。悪いことをして何年か刑期を務めれば出られますよね。けれどガザの場合、一生出られない。みんな終身刑です。それに刑務所で殺されたりすることはまずないでしょうが、ガザでは、イスラエルの判断で命を奪われる。だから、

「監獄」というよりは「絶滅収容所」ですよ。ガス室がないだけ。すぐではないけど、ゆっくり殺されるわけです。イスラエルによって封鎖されてから、輸出も輸入もできないから産業もなく、職もない。そして希望もない。いうなれば圧力釜の中で、ガンガン炊かれている感じですね。ガザのことをよく知っている人たちは、いつか爆発すると思っていたんですが、それが昨年の10月7日だったのです。10月7日は起点ではなく、これまで何十年かのガザの封鎖と占領との結末なんですね。

 

>次回につづく