少し前のアルメニア人に関する決議の拙文です。
この決議は、結局は対トルコ関係に配慮してトランプ大統領が拒否権で葬りました。
ただ11月の大統領選挙で民主党の候補者指名を受けるのが確実視されているバイデン前副大統領が、トルコに対して批判的です。
アルメニアの問題も再び脚光を浴びる可能性もありますので、あえてアップいたします。


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10月末、アメリカ下院が、1915年のオスマン帝国によるアルメニア人の虐殺を認める決議を可決した。トルコ軍がシリア北部のクルド人地域に侵攻したことへのアメリカ人の反発が、この決議の背景にある。


クルド人こそが、アメリカ軍の支援を受けながら多くの血の犠牲を払ってIS(イスラム国)の領域支配を終わらせた。このクルド人への同情を裏返すと、トルコへの反感になる。また、ロシアから新型の地対空ミサイルを購入するなどNATO(北大西洋条約機構)の加盟国とは思えないようなトルコのエルドアン大統領の行動へのワシントンの怒りもあるだろう。


さて、この虐殺というのは第1次世界大戦中にオスマン帝国内のアルメニア人が100万人以上も虐殺された事件である。同帝国の後継国であるトルコ共和国は、虐殺を否定してきた。オスマン帝国から逃れたアルメニア人がフランスやアメリカで大きなコミュニティを構成しており、トルコに対して虐殺の認定を求めて来た。そればかりか、現在の母国であるフランスやアメリカが、この事実を認定するようにとも働きかけて来た。


フランス議会は01年にアメリカ下院と同様の決議を採決している。この時にはトルコが激しく反発した。フランス製品のボイコット運動が起こったほどだ。この決議の採択へとフランス政治を動かした背景には、40万人ともいわれるアルメニア系の人々の存在があった。古い世代には懐かしいシャンソン歌手のシャルル・アズナブールや、1960年代に『アイドルを探せ』という世界的なヒット曲を放ったシルビー・バルタンはアルメニア系である。


アメリカでもアルメニア系の人々が、この件で政治への働きかけを行ってきた。


この国には、カリフォルニア州ロサンジェルスを中心に100万を超えるアルメニア人が生活している。映画の都のハリウッド周辺にアルメニア人が多いせいか、映画関係者にはアルメニア系が多い。『ローマの休日』でオードリー・ヘップバーンと共演したグレゴリー・ペックはアルメニア系である。大きな鼻の立派な顔立ちというのがアルメニア人のイメージである。その大きな鼻も映画界への進出を助けたのだろうか。学界や実業界でもアルメニア人の成功者は多い。ロサンジェルス郊外には壮麗なアルメニア教会が建設されている。その壮麗さは、その財力の反映だろう。


アルメニア人の政治力は、あなどりがたいとされる。宗派や出身国などで構成される集団をエスニック・グループと呼ぶが、そのグループのロビーとしてのアルメニア・ロビーは、ユダヤ・ロビーに次ぐ強さだと言われる。今回のアメリカ下院の決議採択においても、下院議長のナンシー・ペロシが大きな役割を果たした。この最初の女性の下院議長はカリフォルニア州選出である。象徴的である。


これほどアルメニア・ロビーが強力ならば、なぜ決議が今回の採択まで議会を通過しなかったのだろうか。


それは、NATOの同盟国であるトルコへのアメリカ政府の配慮があったからだ。そればかりでなく、トルコと実質上の同盟関係にあったイスラエルの計算もあった。アラブ世界の敵意に囲まれるイスラエルは、その向こう側のトルコと密接な関係を構築してきた。イスラエルとトルコが連携してシリアを挟み撃ちにする構造があった。敵はアラブ人であるという認識を両者は共有していた。したがってトルコはイスラム教徒が多数派の国家ながら、イスラエルと密接な軍事関係を維持してきた。それもあって、アメリカのユダヤ・ロビーは、アルメニア人の求める虐殺の認定決議には賛成しなかった。アルメニア・ロビー以上に強力なユダヤ・ロビーが反対では、決議は採択に付されることさえなかった。


ところが今回、アルメニア人の虐殺を認定する決議が圧倒的多数で成立した。ユダヤ・ロビーが賛成に回ったからだろう。つまり、イスラエルとトルコの関係が、ほんとうに悪くなっているのだろう。エルドアン大統領はイスラエルの占領政策を批判して、支持基盤である熱心なイスラム教徒に訴えて来た。決議は、その外交的なコストであろう。


-了-


※『まなぶ』2019年12月号に掲載されてものです