新型コロナウイルスワクチンがイギリスで認可され、注目されている。90%以上の効果が期待できるとの報道だ。開発したのはドイツに拠点を置くバイオンテックとアメリカの巨大製薬会社のファイザーである。バイオンテックのウグル・サヒンCEO(最高経営者)の言葉は、「私は、ワクチンがコロナウイルスのパンデミックを終わらせることができると確信しています」と力強い。ワクチンは、バイオンテックとファイザーという二つの会社の提携の成果である。両社の企業の経営者が興味深い。バイオンテックのCEOのウグル・サヒン博士は、2020年1月に中国のウーハンで新型コロナウイルスが広がっているとの情報に触れると、これがパンデミック、つまり全世界的な大流行に広がる可能性を直観した。そして、ただちに他の研究を停止して、ワクチンの開発に全社をあげて取り組む決断を下した。


この「ただちに」が本当にただちにであった。というのはサヒン博士が情報に触れたのが、週末の金曜日で、週明けの月曜日には取締役会を開いて、この決断を下しているからだ。


この「無名」の企業にファイザーが着目して提携関係に入っていた。じつは、この無名の企業は、それほど無名ではなかったのではないか。というのは、すでに2018年に、マイクロソフト社の創業者のビル・ゲイツの財団が、この企業に55億円を投資しているからだ。また、シンガポールの国策投資会社のテマセクも、この会社に投資をしている。見る目のある人々の間では有名だったのだろう。そして、1年とたたないうちにワクチンを開発し、イギリスの認可を獲得した。これまでは、ワクチンの開発に何年もかかるとされていただけに、異例のスピードだ。


バイオンテック社は、サヒン博士と妻で免疫学者のオズレム・テュレジが始めたベンチャー企業である。これまではガン治療薬の開発を行っていた。


CEOのサヒン博士は現在55歳で、トルコ系である。父親がトルコからドイツに出稼ぎに来て自動車の組立工として働いていた。サヒンは、ドイツのケルン大学で医学博士号を取得した後、ザールランド大学の付属病院で医者として勤務し、その後にマインツ大学の教授になっている。妻も同じくトルコ系である。トルコのメディアは、この新しいワクチンを「トルコ人」からの人類へのクリスマス・プレゼントと表現している。トルコの外務大臣が夫妻に電話をするなど、トルコでは大きな話題である。ちなみにウグル・サヒンをトルコ語風に表記するとウール・シャーヒンとなる。どう表記するにしろ、ワクチンは、トルコ系移民のがんばりの成果である。


バイオンテックと提携したアメリカの大手製薬会社のファイザーのCEOは、アルベルト・ブーラというギリシア人である。ギリシアの港湾都市テッサロニキの出身で、世界を股に掛けて活躍している人物である。ユダヤ系である。現在はアメリカで生活しているので、ギリシアからの移民という位置づけだろうか。サヒン夫妻とブーラ、それぞれの「母国」であるトルコとギリシアは、国際政治の上で対立する場面が多い。しかし、両者は、しっかりと協力して、今回のワクチンの開発を成功させた。


ワクチン開発競争でバイオンテックなどとともに先頭集団を走っている企業にモデルナというベンチャーがある。アメリカ企業である。このCEOも外国生まれだ。フランス出身のステファン・バンセルである。


アメリカが移民の国なのは建国以来の伝統である。ドイツも最近では多くの移民を受け入れてきた。移民の急増に対する批判もあった。しかし、今回のバイオンテックの快挙は、移民が受入国にとっての貴重な資産だと教えてくれる。移民の活躍できる社会は新しい血によって活力を維持できる。


慶応大学の応援歌に「若き血に 燃ゆる者……常に新し」とある。若き血を燃やす方法の一つは、移民の受け入れだ。


-了-


※『まなぶ』2021年1月号46~47ページ