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弁護士・元ロースクール教授宮武嶺の社会派リベラルブログです。

「NATOの東方拡大」はプーチン大統領によるウクライナ侵略の「動機」ではあり得ても、ウクライナ戦争の「原因」とは言えない。ウクライナ戦争の原因はロシア軍によるウクライナ侵略以外にあり得ない。

2022年06月15日 | ロシアによるウクライナ侵略

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 うちからもYahoo!個人ブログにリンクさせていただいている戦場ジャーナリストで、ウクライナ戦争も現地に行って取材しているシバレイこと志葉玲さんが怒っています。

 

 

 志葉さんは、

という、あらゆる戦争に反対するという公平な立場から、ロシアのウクライナ侵略については当然ロシアを批判する発言を続けているわけですが、そうすると「自称」リベラル派から、ロシアによるウクライナ侵攻の「原因」はNATOの東方拡大だなどと攻撃されているらしいです。

 

 

 まず、こういう「リベラル」派がおかしいのは、NATOの東方拡大なるものがプーチン大統領によるウクライナ侵略の動機になっていたとしても、それはウクライナ侵略の原因とは言えないことです。

 たとえ、NATOに加盟する国々が相次いで次にウクライナが加盟しそうだったとしても、だからといってロシアがウクライナを侵略することが不可避だとか、ウクライナのゼレンスキー政権を転覆させないと自国が侵略されるという状況には全くありませんでした。

 ロシアとしてはウクライナがNATOに加盟しないようにとる平和的外交的手段はまだまだいくらでもあったし、たとえそれが功を奏さずウクライナがNATOに加盟しても、直ちにロシアの存立が危うくなるという状況ではないのですから、ウクライナを攻撃せざるを得なかったという事は全くありません。

 いろいろな選択肢がプーチン大統領にはありえたのに敢えてウクライナ侵略を選択しているのですから、NATOの東方拡大なるものがプーチン大統領のウクライナ侵略の動機ではあったかもしれませんが、それが原因で戦争が起きてしまったのだ、ロシアよりもNATOやウクライナに戦争の原因があるなどと言う話にはなり得ません。

 

 まして、1993年のポーランド、ハンガリー、チェコによる加盟に始まる「NATOの東方拡大」はロシアがウクライナの領土を侵略するようにNATOが強制的に行なったものではなく、旧ソ連崩壊後のロシアの混乱や、ロシアによる第一次第二次チェチェン戦争やクリミア併合などの蛮行を見た東ヨーロッパ諸国が、いわばNATOに避難したわけで、NATOが強制してそれらの国々を加盟させたわけではありません。

 これらの国々はれっきとした主権国家であり、ロシアより西欧諸国に魅力があったからこそ14か国もがNATOに加盟したわけですし、NATOに加盟するか否かはそれらの国々が自由に選択できるのであって、それを理由にロシアが侵略をして良いわけがありません。

 ちなみに、アメリカなどがNATOの東方拡大をしないと約束していた、していないという話がありますが、たとえ約束があったにしてもそれを反故にされたからと言って、ロシアがNATOに加盟した国や加盟しそうな国を侵略していい道理など全くないのです。

 そして、今回のロシアによるウクライナ侵略を見て、永年の中立国であったスウェーデンやフィンランドまでがNATOに加盟したいと申請したように、プーチン大統領がウクライナを含めて旧ソ連などの国々をNATOに追いやったという側面が非常に強いのです。

 

 

 ラディカル弁護士の森川君がこのところよくLINEしてきて、君はすべての戦争に反対じゃないのか、それならプーチンの戦争だけではなく、ゼレンスキーの戦争にも反対しないといけないのではないかなどと言ってきます。

 そこで、彼に侵略戦争をしているロシアの戦争の違法性と、防衛戦争をしているウクライナの戦争の違法性のどっちが高いと思っているんだというと、それはロシアの方がずっと悪いとは認めるんですね。

 また、私がロシアのウクライナ侵略を批判できないようでは、アメリカのベトナム戦争やイラク戦争を批判する資格はない、アメリカがイラク戦争を始めた時にイラクのフセイン政権が独裁だから悪いんだみたいな話をしだしたら、アメリカの戦争を正当化することになるだろう?というと、それには沈黙です。

 ただ、私も森川君から、じゃあ、イラク戦争の時にイラクに軍事援助するのには賛成したのかと言われると困ってしまったのですが。

 とにかく、ロシアが悪いのは当然だとか、ロシアとウクライナがどっちもどっちだというわけではないと枕詞のように言いながら、ロシアの侵略行為や戦争犯罪を責めるより以上のエネルギーをウクライナ戦争の「原因」論に割く態度は、平和主義とかリベラルとは言えないでしょう。

 

 

シバレイさんも挙げているように、プーチン大統領はウクライナ戦争の真っ最中に、ピョートル大帝による大北方戦争=スウェーデン侵略を正当化して

「皆さんは、ピョートル大帝はスウェーデンと戦い、土地を奪ったのだと考えているかもしれない」

「だが、その地域には何世紀にもわたってスラヴ系民族が住んでいた」

「大帝は何も奪っていない。奪い返したのだ!」

と言い出したりしているわけですから、こんな相手とでも人命尊重のために政治的妥結政治的妥結と言っている橋下徹氏は、いったいどんな条件なら妥結できると思っているんでしょう。

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ウクライナ問題が深刻になり、ロシアの軍事進攻の可能性の有無が喫緊の国際問題になっている。最大の問題は、ロシアが昨年の2月頃および昨年末に、10万から12万余りのロシア軍をウクライナ国境に配備し、今年初めにはベラルーシにも軍を展開したことだ。その前提となっているのが、「1990年代初めに、NATOは1インチも拡大しないとNATOや米国はロシアに約束したのに、口頭の約束だったのでそれを破って、西側は1997年以来次々とNATO拡大を続けてきた」とのロシア(プーチン)側の主張だ。

ちなみに昨年12月23日の毎年恒例の大記者会見で、プーチン大統領は英国記者の「あなたは無条件に、ロシアが本当にウクライナや他の主権国家を攻撃しないことを保証することができるか?」との質問に「NATOに関しては、あなた方は90年代に、東方には1インチたりとも拡大しないとわれわれに言ったではないか。われわれは騙されたのだ。あなたたちは露骨に騙したのだ」ときわめて感情的な言葉を投げ返した。

この「約束」を前提に、ロシアはNATOあるいは米国に、NATOの今後の不拡大と、東欧・バルト諸国の軍備を1997年以前に戻すことを、今度は口頭ではなく文書で約束することを強く求めてきた。

更に問題なのは、日本のメディアや専門家・政治家たちが、「90年代初めの口頭での約束」というロシア(プーチン)側の主張を当然の前提として、様々な情報や見解などを展開していることだ。最近では、例えば1月28日20時からのBSフジ・プライムニュースや29日の午前9時30分からのBSテレビ東京などのウクライナ特集である。後者は、放送局自体が、1990年2月9日の米国ベイカー国務長官とゴルバチョフ会談の写真を示し、この場で「NATOは1インチも拡大しないと約束したが、文書にしなかった」と解説し、それを前提に全ての番組は組み立てられていた。この28日、29日の放送では、招かれた専門家や政治家たちも、この前提については、それを復唱する者はいても疑問を呈する者は誰もいなかった。

ここで私が述べたいことは、ロシア側が前提としていることは、全くの間違いまたは意図的なフェイク情報だということである。それを説明するために、西側の情報だけでは説得力が欠けるので、私の言わんとすることを立証するロシア側の情報や、当事者ゴルバチョフの証言、90年代初期のロシア政治家やまた今日のロシアの専門家などに耳を傾ける。

少し長い引用だが、明快で具体的な数年前のロシアメディアの記事を紹介する。

最初は露紙『新時代』(2016.1.18)掲載の国際記者B・ユナノフの記事の一部である。

≪1994年4月初めのNATO評議会は、NATOは東方のボスニア戦争に介入すべきではないとした。しかしM・ヴェルナーNATO事務総長は逆に、民族浄化のボスニア和平の為に、NATOは東方に介入すべきだと主張し、評議会で支持された。こうして「NATO東方拡大」の概念が生まれた。といっても、当初これはロシアへの接近ではなく、セルビアのような独裁体制を抑える為だった。しかし今年(2016)の1月5日に、プーチン大統領はこの事実を否定し、彼は突然、「ベルリンの壁が崩れた後、NATOは東方に拡大しないと言った。私の記憶によると、そう言ったのは、当時のNATO事務局長ヴェルナーだった」と述べた。NATOの元軍事委員会議長K・ナウマンは2010年に、「NATOの東方拡大の否定は、口頭でも文書でも、誰もソ連に対して述べたことはない」と私に言明した。

つまり、1992年のボスニア戦争によって「NATOの東方拡大」という概念が生まれたが、プーチンの主張とは逆に、その頃はウクライナやジョージアに拡大するなど誰も考えていなかった。皆が考えていたのは、崩壊したユーゴにおける民族浄化と「大セルビア」主義への対応であった。プーチンは「NATOの東方拡大」の脅威をいつも呪文のように唱えている。そして追随者たちも、同じことを唱えている。≫

次の証言だが、以下は露紙『独立新聞』(2015.12.15)が掲載した、1990年代初めルツコイ副大統領の報道官で、その後は作家、評論家として活動したN・グリビンスキーの論文の一部だ。「プーチンの生んだ神話」の催眠術的影響を次のように述べている。

≪ロシア国民はテレビによって危険な催眠術にかけられ、次のような神話が広められている。西側はロシアを敵視し、ロシアを侮辱し略奪し滅ぼそうとしている、と。この神話の核心は「侵略的なNATO」だ。NATOはロシア国境へ接近し、ロシアへの最初の一撃を狙っている、という。しかし明確なことは、1991年からクリミア事件に至るまでは、西側はロシアに重大な損害は何も与えていない、ということだ。西側はロシアが国内政治で危機に陥っていた時(1990年代)も、ロシアの地方の分離主義や住民投票を煽ったり併合したり孤立させるのではなく、逆に重要な国際組織に加盟させた。わが国で生じた諸困難の責任は、神話的なNATO拡大や「国際的陰謀」にではなく、我々自身にあるのだ。

NATO拡大に関し、「欧米はゴルバチョフに拡大しないと約束した」というのも神話だ。ゴルバチョフ自身が2014年10月16日に、「当時はNATO拡大の問題そのものが提起されなかった。それは私が責任をもって確言できる」とRussia Beyond the Headlines(露の英語メディア)で述べている。当時ロシアは西側諸国にとって敵ではなく、彼らの同盟国やパートナーとなると期待されていた。必然的に、ロシアがリベラルな民主主義の路線から離れれば離れるほど、ロシアにとって「NATOは敵」というイメージが強まるのだ≫

ロシアの安全保障問題の権威で、現ロシア政権の安全保障顧問で元下院議員の世界経済国際関係研究所安全保障センターのA・アルバトフは次のように述べる。(『独立新聞』2022.1.17)

≪NATOの拡大は止まらず、現在NATO加盟国は16カ国から30カ国になった。その責任はNATO側にあるとしても、われわれも自らに「冷戦終了後に、なぜ14カ国の東欧、旧ソ連諸国が、中立国ではなくNATO加盟を望んだのか、それを考える必要がある。この変化の結果、今日のNATO30カ国の兵員数や軍備は、拡大前の16カ国よりも少ない。では何故ロシアは不安を感じているのか。ロシア側の要求で欧米が受け入れ不可能なのは、NATO不拡大の要求だ。その理由は、この要求がNATO条約に反するからだ。NATO条約第10条は、NATOの諸原則を受け入れる全欧州諸国は加盟申請を受け入られるとしているからだ。申請国の加盟は、NATO全加盟国の同意により認められる。ウクライナとジョージアをこの例外にするにはNATO条約の改定が必要だし、その改定にも、現加盟国30カ国の同意が必要となる。今日においては、NATO諸国の半分と、米国のエスタブリッシュメントの大部分は、ウクライナとジョージアのNATO加盟に反対している。問題は、わが国の武力と圧力や外交手腕により相手側を譲歩させられるのか、あるいは「原則は譲らない」という相手の立場をさらに強めるのか、だ。われわれはウクライナが、モスクワに5-10分で到達するミサイルを保有することを容認できない。そのようなミサイルがABM条約(弾道弾迎撃ミサイル制限条約)以前のように、ウクライナや欧州諸国に現れないように、米国と再び交渉して合意することができるだろう。

NATO非加盟の中立国フィンランドやスウェーデンは、ウクライナを巡る戦争が始まったとしたら、直ちにNATOに加盟するだろう。そうなるとロシアは、ウクライナとの国境の代わりに、フィンランドとスウェーデンとの間に、陸上、海上を含めてNATOと数千キロメートルにわたり国境を接することになる。つまり、バルト海沿岸諸国は黒海沿岸諸国と同じく、全てが敵国になるのだ。≫

以上、プーチンが「西側は、NATOは1インチたりとも拡大しないとの約束を破った」と呪文のように唱える被害者意識について、90年代初期のロシア側当事者や関係者、また近年の露メディアなども、それが事実ではないと否定していることを紹介した。

プーチンだけでなく、彼に追随するかの如きわが国のメディア、政治家、専門家たちが考えるべきは、A・アルバトフの「冷戦終了後に、なぜ14カ国の東欧、旧ソ連諸国が、中立国ではなくNATO加盟を望んだのか」という問題だ。1990年代はプーチンが被害妄想で述べるように、西側諸国はソ連に続きロシア連邦の瓦解や分裂を望んでいたのではない。逆に、核兵器を持つロシアがユーゴ化したら人類の危機だとの問題意識から、ロシアが混乱なく民主主義、市場経済に軟着陸するための「対露支援」が国際的な重要課題であった。わが国では「日本国際問題研究所」が中心となり、日、米、露の「三極フォーラム」を組織し、日・米・露の関係改善を模索し、私もその委員であった。また領土問題を抱えながらも、日本が行った対露支援「マネタイゼーション」――食料や生活必需品を日本商社を通じてロシアに寄贈し、それをロシアの店で売って、売上金を国民福祉に使う――にも関わったので、90年代の西側諸国の対露姿勢をよく知っている。APECへのロシア加盟を強く推し進めたのも日本だ。

NATOの拡大や欧米とロシアの関係悪化は、ロシアの「大国主義の復活」「勢力圏拡大」に大きな関係がある。改革派だったA・チュバイス元副首相も、2003年にはソ連時代の大国主義を賛美して「リベラルな帝国主義」を主張し(『独立新聞』2003.10.1)、やはり改革派だったV・トレチャコフ『モスクワ・ニュース』紙編集長も、2006年には中央アジアなどの「民意に従う」ロシア併合などを唱えた(同紙2006.3.3-9)また、ロシア外務省高官は、2006年に「領土保全」に代えて「自決権」を正面に出し(『イズベスチヤ』2006.6.2)、2008年のロシア軍のグルジア侵攻による南オセチア、アブハジアの「独立」や2014年の「クリミア併合」の伏線を用意した。プーチンが「ドネツク共和国」や「ルガンスク共和国」の、あるいはウクライナ東南部の「ノヴォロシア」の独立とかロシア併合を認めないのは、ウクライナが2つに分裂すると、同国の西側は必然的にNATOに加盟するからだ。ただ、ウクライナ全体をロシアに併合するのは、政治・経済的に負担が大きすぎる。

 

 

サラ・レインズフォード東欧特派員Portrait of Peter the Great

 

画像提供,UNIVERSAL HISTORY ARCHIVE/GETTY IMAGES

 
画像説明,

ピョートル1世はロシア帝国の拡大と近代化を進めた

 

ロシアのウラジミール・プーチン大統領が、ピョートル1世(ピョートル大帝)を崇敬していることはよく知られている。しかしプーチン氏は今、その「偉大さ」を自分自身にも見出しているようだ。

公然と自分を皇帝ピョートル1世になぞらえ、現在のウクライナ侵攻を約300年前の膨張主義と同一視し、この戦争は領土収奪のためのものだと、これまでで最もはっきり認めた。

ピョートル1世は17世紀末~18世紀のロシア皇帝で、ロシア近代化のほかに大国化を推進。大北方戦争でスウェーデンと長年にわたり領土戦争を繰り広げた。

帝国づくりを目指すプーチン氏のあからさまな野望は、ウクライナには凶報だし、他の近隣諸国にとっても不穏だ。エストニアは、プーチン氏の発言を「全く受け入れられない」と述べている。

プーチン大統領がピョートル大帝に言及したのは、若い起業家や科学者との集まりだった。大統領はこの場でITやテクノロジーの発展について言及する前に、政治と権力について、地政学的な支配をめぐる新たな戦いについて語った。そしてその中で、ピョートル大帝がロールモデル(模範)だと述べたのだった。

プーチン氏は18世紀の大北方戦争を取り上げ、「皆さんは、ピョートル大帝はスウェーデンと戦い、土地を奪ったのだと考えているかもしれない」と語った。

だが、その地域には何世紀にもわたってスラヴ系民族が住んでいたと主張し、「大帝は何も奪っていない。奪い返したのだ!」と続けた。

その上で、「今の私たちにも、奪い返して強化する責任がある」と述べ、笑った。にやりと笑ったと言ってもいいような表情だった。現在のウクライナ情勢と、ウクライナでの目標に言及した発言だというのは、疑いようもなかった。

ロシアは拡大することで強くなったと、ピョートル大帝の治世は証明している。プーチン氏はそう示唆したのだ。Russian President Vladimir Putin at the meeting in Moscow on 9 June

 

画像提供,EPA

 

画像説明,

プーチン氏は若者との会合で、18世紀のピョートル1世について語った

プーチン氏は最近、ロシアの過去を引き合いに出すことが多いが、それは常に、自分が掲げる今の大義に見合うよう、内容を慎重に取捨選択したものになっている。大統領はウクライナ侵攻の数カ月前には長大な文章を書き上げたが、その主な内容は、ウクライナには歴史的に存在する権利などないのだという論考だった。

2月24日に隣国への侵攻を開始した当初、プーチン氏はこれは「特別作戦」だと虚偽の主張をした。ウクライナを「脱ナチス化」させ、ロシアへの脅威を減らすため、ドンバス東部に限定した作戦なのだと。

しかし、大統領がそう口にしている間にも、ロシア軍はウクライナの首都キーウへ進み、さらに西の土地を爆撃していた。それから100日後には、ウクライナの領土の5分の1がロシア軍の占領下に入り、各地で傀儡(かいらい)当局がロシアへの編入を求める住民投票を呼び掛けている。

そしてプーチン氏は今や、「作戦」は実は占領なのだと認められるほど大胆になっている。

さらには、ロシア軍がウクライナで作り出そうと戦っている現実を、西側諸国が最終的には受け入れるはずだと信じている様子だ。

プーチン氏は、ピョートル大帝がサンクトペテルブルクにロシアの新しい首都を置いた時、その領有権を認めた国は「欧州にひとつもなかった」と指摘した。だが今は、誰もがサンクトペテルブルクをロシアだと認めている。

プーチン氏の発言にはバルト諸国もざわついた。エストニアの外務省はロシア大使を呼び出し、プーチン氏がピョートル大帝のナルヴァ(エストニアの都市)侵攻を「ロシアによる領土の奪還と強化」と述べたことに抗議した

Peter the Great in disguise

画像提供,GETTY IMAGES

 


画像説明,

ピョートル1世はお忍びで欧州各地をめぐり、ロシアの近代化への知識を得た

プーチン氏はしばしば、自分に都合良く歴史に言及する。

ピョートル大帝は非情な専制君主だったが、同時に西側諸国の考え方や科学、文化を敬愛していた。ヨーロッパを眺めるための「窓」としてサンクトペテルブルクを作ったのは有名で、ロシア近代化のための知識を希求して、欧州大陸各地を旅し続けた。

しかし、ロシアから欧州を眺めるための「窓」を、徐々に閉ざしたのは、抑圧の度合いを増し続けるプーチン氏の抑圧的な支配だったし、ウクライナ侵攻でその「窓」はぴしゃりと閉ざされてしまった。

かつてピョートル大帝がそうしたように、プーチン大統領が知識やひらめきを求めてオランダや英グリニッジを訪れるなど、今では到底不可能に思える。

先の会合でプーチン氏が若い起業家たちに18世紀のツァーリ(ロシア皇帝)について講義している間、その背後には「未来」「自信」「勝利」といった文字が次々と映し出された。

ロシアは、西側諸国の非難と制裁を前に、断固として対決姿勢を示している。プーチン氏自身も、苦境に立たされているというよりはむしろ、すっかりリラックスしているように見えた。

しかし、ここにもう一つ、歴史から学ぶべきことがあるかもしれない。

ピョートル大帝は確かに最終的に、バルト地域や黒海につながるアゾフを占領した。しかし、そのための大北方戦争でロシアは21年間、戦い続けたのだ。

 

 

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