2021年05月05日

崔杼(さいちょ)、荘公を弑(しい)す

山形新聞「ことばの杜」への投稿
「崔杼(さいちょ)、荘公を弑(しい)す」   (司馬遷『史記』「斉太公世家第二」)
 古代ギリシア悲劇ソフォクレスの『アンチゴネー』では、テーベの政争で兄弟相争うが、その一方のポリュケイネスがテーベを追われ、他国の軍を率いて故国に攻め入る。結果として、同士討ちで共に果てる。その後テーベの支配を預かったクレオンは、故国に対する裏切者としてポリュケイネスの遺体は、そのまま葬らずに野ざらしにせよと命じた。王女アンチゴネーは、その命に背き死んでゆく。一途で強烈なアンチゴネーの性格には不思議な魅力があるが、彼女は何のために死を賭けてまでクレオンと争うのか? 死者は敵味方を越えて尊重されるべき、というのは何のためか?
 ここで彼女が、歴史家の立場を代表していると考えてみてはどうだろう? 歴史家も、政治家や兵士と同様に祖国に貢献するが、その貢献の仕方は違っている。
 漢の武帝に仕えた司馬遷は、漢の正式の歴史家であったが、目につかぬ形で武帝に抵抗した痕跡が『史記』の至る所に残っている。引用した斉の国の崔杼は、斉の荘公に仕える大臣であった。彼は、人望のない荘公を殺害してその異母弟を王位につけた。その功罪には議論の余地があるが、時の斉の歴史家(太史)は「崔杼、荘公を弑す」と記録した。崔杼が太史を殺したら、その弟がまた同様に記録した。崔杼はそれをも殺したが、その末弟がまた同じように記録したのを見て、崔杼はそれを放置したと『史記』には記されている。それを記した司馬遷の心を思いやるべきであろう。歴史の真実は、時の党派を超える。斉も漢もとうに滅んだが、歴史家の志は今にまで伝えられている。一時の嘘が祖国の利益のため、あるいは名誉のためになると思えても、歴史家の目で見るとそうではない。今だけの政治のために死者を利用してはならない。死者に対する敬虔とはそういうことである。


easter1916 at 20:41│Comments(0) 日記 

この記事にコメントする

名前:
URL:
  情報を記憶: 評価: 顔   
 
 
 
月別アーカイブ
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計: