だいずせんせいの持続性学入門

自立した持続可能な地域社会をつくるための対話の広場

カマドブリュワリー

2022-06-18 13:20:44 | Weblog

ソーシャルビジネスがテーマの授業に、岐阜県瑞浪市釜戸町でクラフトビール工房を立ち上げた、カマドブリュワリー代表取締役の東恵理子さんに来ていただいてお話しを聞いた。

 釜戸町はJR中央線の駅につながるかつての商店街と周囲に広がる山村からなる。鉱物資源の長石の産地で、戦後は長石を原料にした窯業材料の生産で栄えた。それが下火になると町はさびれ、駅前は営業しているお店はわずかになり空き家が連なる、どこにでもある過疎地の町となった。

 恵理子さんはここで生まれ育ち、「何もない」故郷を飛び出して大学は「カニ、ウニなど特産品もたくさんある北海道」に。大学時代にテニスサークルでキャプテンとして活躍。それぞれのメンバーの特徴をとらえて役割を割り当てるチーム作りに楽しさを感じたという。漠然とそういうことを仕事にできないかなー、と思ったという。

 学生の頃、海外をバックパックで旅行したり海外ボランティアに参加したりして、途上国の貧困などの課題解決のために自分が何かできないかと思ったという。就職はJICAにチャレンジするものの果たせず、テレビ会社に記者兼ディレクターとして就職した。地域の現場で事件・事故を報道する日々の中で、地域の課題に触れ、それを伝える方法論を学んだ。

 しかし、伝えるだけではなくて、実際に課題解決に携わることをやりたい気持ちが強くなり、会社を辞めて、青年海外協力隊員としてバングラデシュへ。現地のラジオ局への支援ということで番組作りに携わった。バングラデシュでは肥満の人が多く問題になっていた。夕食が夜遅く、腹一杯食べて寝るという習慣とのこと。それで恵理子さんは運動不足解消にラジオ体操が役に立つと考えて、最初は日本のラジオ体操を普及しようとした。しかし、この国にあったものを作る必要があることがわかり、いろんな専門家に声をかけてチームを作り、「チョルチョル体操」という、その後国民的なラジオ体操となるものを作った。

 バングラデシュで活動中、岐阜の地元近くのFM局の番組に枠を持っていて、バングラデシュのことを伝えていた。その時に逆に日本の季節の話題を聞くことで、地元の価値に気づいたという。バングラデシュの人達から日本のことを聞かれて答えられないことが多かったということも刺激になった。

 帰国後、地域活性化に向けて人を巻き込み体験型のコンテンツを作ることをやりたくて、まちづくり事業をやっている会社に就職。各地の地域創生のプロジェクトに携わるようになった。茨城県では、果樹園を自転車で回るツアーを企画。一発イベントではなく継続していけるよう、まちづくり会社を立ち上げて事業を展開した。

 自分の故郷も同じような課題を抱えている地域に携わるうち、「なんで他の県のことばかりやっているんだろう?」とふと考えるようになった。

 海外の経験で「ないものは作る」という精神を身につけた。テレビ局でPRする力をつけた。地域創生の仕事でコンテンツを作り上げる力をつけた。これらを使って、故郷のために何かできないかと考えるようになった。

 とはいえ、何ができるかわからない。クラフトビールが好きだったので、漠然とこれで何かできないかと考えていた。

 帰省した時に、地元にけっこうおもしろい人達が集まっていることを知った。この地は昔から陶芸が盛んで、現在でも若い陶芸作家が窯を持って制作に励んでいる。そういうご縁の中でみんなでお酒を飲んでいる席で、「みんなで何かやろう」という話になり、恵理子さんは「ビールで何かできないかな」と問いかけてみた。そうすると、やはりビールに注目していた人がいた。ドイツに留学した時に本場のビールに触れ、その可能性を感じていた人だ。意気投合して、クラフトビールで地域活性化を模索することになった。

 そこでテストマーケティングをやった。陶芸家の友人たちや観光協会の人にも声をかけて、「ビールの会」をやった。会費をとって、各地のクラフトビールを集め、地元の食材の料理も用意して、試飲会を行った。大いに盛り上がり、「白ビールとほうばずしは合うよね」など、色々な可能性が見えてきた。

 それでは、ということで、醸造ができる職人を探すことにした。「東濃、醸造家、クラフトビール」で検索すると、一人の醸造家がヒットした。東濃地方出身で、各地でクラフトビールを作り、各種の賞をもらっている「クラフトビール界のレジェンド」と呼ばれる人だった。

 彼らは思い切ってその醸造家に連絡を取り、山梨県まで会いに行った。自分たちの思いを話すと、意外にも「実は、60を過ぎるのでそろそろ故郷に戻りたいと思っていた」とのこと。それでまずは「ビールの会」に来てもらうことにした。第2回の会も大いに盛り上がり、醸造家は「楽しかった」と言ってくれて、第3回には「醸造所の立ち上げ方」という資料を持って参加してくれた。

 このようにして、恵理子さんとビジネスパートナー、醸造家の3人のチームができあがった。そこから醸造所の立ち上げに奔走することになる。

 彼らの基本的なコンセプトは「地域が稼ぐ持続可能なコンテンツとしてのクラフトビール」。ビールは様々なものとの掛け合わせができる「メディア」と言える。

 まず地域の産物を副原料に使える。地元の有名なもみじの葉で色付けしたビール。隣町の大湫町で倒れたご神木のスギの木で香りづけしたビール。これも隣町の恵那市笠置町特産のゆずを使ったビールなど。次に地場産業との連携。陶芸家とコラボしてビアグラスを開発した。黒ビール用のどっしりしたグラス、シャンパンのようなビールに合う華やかなグラス、細かい泡が映えるラガービール用のグラスなど。持ち帰り用の瓶も開発した。さらにビア・ツーリズム。ビール工房を拠点にツーリズムを展開して地域にお金が落ちる仕組みを作りたい。ビア・ウォーキングでは良い景色を楽しんでもらった後にビールでお疲れさま、という趣向だ。ビアハイクという、ビールを飲んで俳句をひねるというイベントもやっている。

 今、全国でクラフトビールの銘柄が急増している。発泡酒という区分で少量の生産でも醸造の免許が取れるようになったことで、たくさんの醸造所が立ち上がっている。その中で埋もれないために、特徴と話題性のあるビールを作らなくてはいけない。それで恵理子さんは日々ネタを探しているという。瑞浪市は地層から化石が豊富に出ることで有名だ。中でも代表的なものが「デスモスチルス」。今は絶滅した中型の哺乳類だ。この名前をつけたビールを作った。アルコール度高めのガツンとした味のビールに、化石の全身骨格をあしらったラベル。さらについ最近、釜戸町を流れる土岐川の河原で大発見があった。海に住んでいた哺乳類動物の全身化石が出てきた。その名は「パレオパラドキシア」。さっそくラベルにあしらってその名のビールを販売することにした。

 ロゴは「窯」をイメージした派手なピンク色を使った一見不思議なデザイン。麦やホップという地味なデザインのクラフトビールが多い中で、インパクトがありすぐに覚えてもらえるものにした。PRはインスタグラムに力を入れている。コメントにも細かに答え、クラフトビール愛好家のコミュニティを作ろうという作戦だ。醸造が軌道にのると、クラウドファンディングで資金を集めてビアバーを作った。コンテナを改造したカウンターの店の前には、露天のテーブルを置いた。恵理子さんのお父さんがここで活躍。テーブル席で「乾杯いいですか?」とお客さんに声をかけ、仲良くなって楽しむようになった。そこで盛り上がったお客さんはリピーターになってくれるという。

 ビアバーに来るお客さんから「泊まれるところはないのか」という声をもらうようになった。そういえば、近くは空き家だらけだ。それを活用して泊まるところが作れないだろうか。そういうことで地元の空き家活用に乗り出した。ここでもいろんな人に声をかけてチームを作って取り組みを始めた。

 動き始めると成果はすぐに出てきた。さっそく、ブリュワリーの常連さんの若い夫婦が移住してくることになった。ブリュワリーで職人修行をしたいという女性も移住してきた。ブリュワリーが移住の「窓口」になって移住希望者と地元をつなぐ役割を果たすようになった。

 学生から「いろんなことを次々にやって不安はなかったのか」という質問があった。彼女の答えは、「コンテンツづくりということでは一貫している。それが発展しているということ。前のものに付け加えていくようなことになっているので、それほど不安はなかった」という。「壁にぶち当たったようなことはないのか」という質問には、「工房の場所探しには苦労したけれども、いろんな人に相談してうまく見つけることができた。クリアしてしまうと壁という感じはなくなるのか、特に壁にぶち当たったという気はしない」とのこと。

 カマドブリュワリーができたことで、ビール好きが集い、ネット上でもリアルでもよそ者のコミュニティができる。地元のコミュニティがそれに刺激を受けて動き出す。ブリュワリーはまさに地域が再生するための拠点になりつつある。さびれた町にささやかだが確かな光が差すようになった。

 

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