宗派の違いにとどまらないサウジアラビアとイランの関係

 

中東の地域大国であるサウジアラビアとイランは仲が悪い。もう何年も関係が冷え込んだままである。仲違いの原因は中東政治とイスラム教を知る好材料といえるだろう。

 

まず理解しておかなければならないのは、イランがペルシャ人の国であることだ。彼らはアラブ人ではない。対するサウジアラビアは「アラビア」という名前の通りアラブ人の国家である。イランがシーア派の国、サウジアラビアがスンナ派の国である前に、そもそも民族が違う。政治体制も異なりサウジアラビアが王制である一方、他方のイランは1979年の革命以来イスラム共和制をとる。両国は中東の各地で対立してきた。イラクでもシリアでも、そしてイエメンでもそれぞれの支持を受けた勢力が争っている。

 

こうした背景にあって、2016年のある出来事により両国の間に決定的なひびが入った。20161月にサウジアラビア政府が、同国のシーア派指導者であるニムル師を処刑したのだ。当然この行いに対し世界各地のシーア派の人々が反発した。シーア派の大国イランでは、同国にあるサウジアラビア大使館を焼き討ちにしている。大使館焼き討ちに対する措置として、サウジアラビアはイランとの外交関係の断絶を発表した。同時にサウジアラビアの近隣諸国の一部も、大使を召還するなどイランとの外交関係を格下げした。

 

イランにとって重要な1月に事を起こしたサウジアラビア

 

一体なぜこの時期にサウジアラビアは処刑を断行したのか。ニムル師は以前から逮捕されており、死刑判決が出ていた人物である。

 

理由は1月が特別な月だったからである。話は、その1年前に戻る。2015年の夏にイランは欧米など6カ国と核開発に関する合意を結んだ。この合意が実施に移されるタイミングが1月だったのだ。まず20161月までにイランは濃縮ウランの国内持ち出しなど一連の措置をとり、核兵器開発の意図のないことをあきらかにする。これを受けて国際社会はイランに対する経済制裁を解除するという内容である。

 

実際に1月中旬には、イランに対する国連の経済制裁が解除された。サウジアラビアはこのタイミングで騒ぎを起こしたのだ。

 

人権問題か、それとも宗教対立か

 

イラン国内の急進派はサウジアラビアの思惑通りに行動した。先述のようにイランにあった同国の外交施設を襲撃したのである。イランとは市民の行動を当局が厳しく規制・管理している国だ。そんな環境下で市民が勝手に動いたりすることはまず考えられない。サウジアラビアの施設を襲った群衆は、イラン国内の急進派が組織したものである。イラン国内は一枚岩ではなく、騒ぎを起こして穏健なローハニ政権(当時)が進める国際協調路線を邪魔する勢力がいるのだ。

 

サウジアラビアはスンナ派が多数を占める国だが、人口の1割程度はシーア派である。そしてシーア派住民はサウジアラビア東部、つまりペルシャ湾岸に集中している。そこはサウジアラビアの主要な油田地帯である。サウジアラビアのシーア派住民は一段低い扱いを受けているという不満があった。加えてシーア派住民の地域で石油が生産されているにもかかわらず、自分たちはその恩恵を十分受けていないと思っていた。同じ国に住む市民として、同等の扱いをしてほしいとの要求があるのはもっともなことであろう。こうした思いを訴える運動の指導者の一人が処刑されたニムル師だった。

 

サウジアラビアは一連のシーア派の動きを、スンナ派とシーア派の宗派問題としている。だが本当のところは、シーア派の人々が平等の権利を求める人権の問題だ。サウジアラビア政府は、ニムル師は暴力による闘争を訴えたとした。だがニムル師の周辺は、平和的手段による抗議しか呼びかけていないと反論している。サウジアラビアは、シーア派住民を平等に扱ってこなかったという人権問題を、あくまで宗派問題と言い張ったのである。

 

またイラン国内の急進派も、この主張に乗っかった。問題を宗派問題とすれば、アラブ世界に口出しできると考えたのである。仮にサウジアラビアで人権問題となれば、ペルシャ人の国イランが、アラブ人の国サウジアラビアの内政に介入する大義がなくなる。イランもまた人権問題で欧米から低い点をつけられているのだ。

 

このような入り組んだ思惑のもと、サウジアラビアとイランは2016年から国交断絶状態に陥ったが、2021年に関係緩和にむけた交渉が開始され、翌年大使館の再開が合意された。

 

-了-