2021年3月28日日曜日

社会を変えることの意識

  社会は変わる,だから社会学は面白い。事実,日本という社会も,時代につれて大きく変わっています。19世紀の半ばに封建社会から近代社会に移行し,20世紀半ばには基本的人権を尊重する,国民主権の民主社会になりました。

 ただ日本の場合,欧米と違って,外圧によって社会の変化がもたらされた経緯があります。そういうこともあってか,日本人は「社会を変えよう」という意識が薄い。とくに若者はそうで,主権者教育の充実が必要だ。ソースは失念しましたが,こういう主張を読んだ記憶があります。

 そこでは,内閣府の国際意識調査のデータが引用されていたのですが,それが何かはすぐにピンときます。『我が国と諸外国の若者の意識に関する調査』でしょう。最新の2018年版では,7か国の13~29歳の若者に対し,「私の参加により,変えてほしい社会現象が変えられるかもしれない」という項目への反応を問うています(Q24-e)。

 「そう思う」「どちらかといえばそう思う」の回答比率をとると,日本は32.5%,アメリカは63.1%です。30ポイント以上の差です。ものすごい違いですね。7か国の数値をグラフにすると,以下のようになります。ジェンダー差もみるため,男子と女子のドットの高低グラフにしてみました。


 日本は他国に比して,各段に低くなっています。社会状況が似ているとされる,お隣の韓国と比してもです。「自分の関与で,社会は変えられる」。こういう意識を持つ若者が少ないことが知られます。ジェンダーの差が大きいことも看過できません。

 最も基底的な要因としては,上述のように,これまでの大きな社会変化がもっぱら外圧でもたらされたことです。民主化を自分たちの手で勝ち取ったことがない。こういう歴史的経緯に由来するクライメイトが,国民の意識を消極的なものにしていると。

 子どもや若者に至っては,上の世代から「出しゃばるでない」と頭を押さえつけられるのが常です。学校生活においても,既成の校則でがんじがらめにされ,自分たちの手でルールを作り,悪い所は話し合って変える,という機会を与えられることもありません。変に異議を申し立てると,「内申に響く」などと脅されます。

 疑似社会としての学校がこうなんですから,「どうせダメ」「従っていたほうがラク」と,「社会は変えられる!」という意識が育まれないのは道理です。無力感です。最近,民間人校長の手腕により,校則を撤廃し,生徒たちの自主性を大いに尊重する学校もちらほら出てきていますが,こういう実践を促していくべきです。

 社会の舵取りを,上の世代にばかり委ねていてはいけない。前に書きましたが,日本の若者の同性愛への寛容度は世界一です。若者は,社会を変えるポテンシャルを十分に有しています。あと必要なのは自信,気概です。同性カップルのパートナーシップを認める条例を最初に制定したのは,若者の街・渋谷区であったことも思い出しましょう。

 このことに関連して,あと一つ,気になるデータがあります。今度は国際比較ではなく,国内の時系列データです。1973年から5年間隔で実施されている,NHKの「日本人の意識調査」にて,義務ではなく権利と思うものを問うた結果です。「憲法によって,義務ではなく権利と定められていると思うものはどれか?」というワーディングです。

 「意見を表明する」「税金を納める」「組合をつくる」という項目を選択した国民の率が,45年間でどう変化したかをグラフにすると,以下のようになります。下記リンク先の書物の,付録26ページの資料によります。


 モノ言わず,手を取り合って団結もせず,黙々と税金を納めるだけの国民…。こういう構図が見て取れます。少子高齢化により,北欧並みの高税金社会もやむを得ない,という意識の高まりかとも思いますが,怖い変化だとも思います。

 ネット社会では,SNS等を介して意見表明するのは重要で,それが政治活動になるのもしばしばです。政治家の目にとまり,社会変革につながることも多々あります。そういう具体的な事例を提示しながら,主権者教育を行う。今後の学校教育において,求められることといえましょう。