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弁護士・元ロースクール教授宮武嶺の社会派リベラルブログです。

ノーモア ヒバクシャ!!原爆症認定訴訟、最高裁で不当判決。しかし、被爆者が「敗れた」のは「恐竜のしっぽの先」の問題にしか過ぎない。

2020年02月26日 | 被爆者援護と核兵器廃絶

今は亡き肥田舜太郎先生です。当ブログの内部被曝の恐怖シリーズ、記事48本。

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 15年以上前の大阪地方裁判所、大法廷。

 生涯に6000人以上の被爆者を診察してきた自身も被爆者の医師肥田舜太郎先生が、証言台でこうおっしゃいました。

「私は、申し訳ないんだけれども、この原爆症認定訴訟に対しては否定的というか消極的でした。

 なぜなら、私は広島への原爆投下後、生涯をかけて放射能の問題に取り組んできましたが、原爆症認定なんていう問題は放射線という人類にとっての大きな課題にとって、『恐竜のしっぽ』の問題でしかないと考えていたからです」

 
 
 
 

 しかし、原爆症認定訴訟を恐竜のしっぽの問題と喝破された肥田先生の証言も決め手になって、全国の原爆症認定訴訟に先駆けて言い渡された大阪地裁判決では、被爆者9人全員勝訴!

 それ以来、99%行政側が勝つことが多いといっても過言ではない行政訴訟の中で、被爆者の原爆症認定訴訟だけは、9割以上が原告被爆者側の勝訴で終わってきました。

私は近畿原爆症認定訴訟の最初の弁護団事務局長でした。

 

 

 その原爆症訴訟で、「原爆松谷裁判」以来の最高裁判決。2020年2月25日。

 しかも、被爆者が敗訴したというニュースだけが新聞にテレビに流れました。

 しかし、放射線という人類の課題の中で恐竜のしっぽにすぎない原爆症認定の問題の中でも、今回、最高裁が判断したのはさらに、その「しっぽの先」の論点にすぎません。

 

 そもそも、国の被爆者援護の制度には被爆者健康手帳という制度があります。広島・長崎への原爆投下時に爆心地から一定の範囲にいた人や2週間以内に被爆地に入った人、その胎児などには被爆者健康手帳が交付され、医療費は無料になります。

 国はさらに、指定する病気になった人には放射線の影響の有無にかかわらず、健康管理手当を支給します。

 被爆者援護法のこれらの制度は、実質的には、日本国が起こした戦争により特別な被害を受けた被爆者の方々への補償の制度と考えられています。

 そして、さらに、病気の原因が放射線で、治療が必要な「原爆症」と認定されると、月額約14万円の医療特別手当に切り替わるのですが、3年ごとに審査があり、治療が不要になれば減額されます。 

 

 つまり、被爆者援護法に規定される原爆症の認定要件は①原爆の放射線が原因で病気になった(放射線起因性)②要医療性がある――という2要件です。これらを満たせば、医療特別手当が支給されます。

 今回の最高裁判決の原告は広島や長崎で被爆し、白内障や慢性甲状腺炎になった女性3人で、原爆症の認定申請を国に却下されたため、処分の取り消しを求めて提訴していました。

 この原告3人については、二審の高等裁判所で、この方々のお病気は原爆の放射線によるものだという放射線起因性は認められたのですが、要医療性の判断が割れたのです。

 

 

 原告3人は症状が悪化したり、手術の可能性が生じたりしないかをチェックするために経過観察が欠かせないと訴え、広島と愛知の女性については、広島と名古屋の両高裁がそれぞれ要医療性があると認定し、

「経過観察も治療の一環で、積極的な治療の有無は問わない」

などと指摘していました。

 ただ、残るお一人の佐賀の女性について福岡高裁は、女性が手術を必要とする状態ではなかったとして、

「経過観察にとどまる場合は要医療性は認められない」

と判断していたので、最高裁はこの3人の方のケースをまとめて判断したのです。

 

 

 今回の最高裁判決では、原爆症に認定されると受け取れる被爆者援護法の医療特別手当について、

「入通院雑費や栄養補給などの特別な出費を補うことにより、生活面の配慮をするという特別な目的が含まれている」

と位置づけ、現実に医療行為を必要としている被爆者に支給するのが相当だと指摘しました。

 その上で、経過観察中の場合には、被爆者に直ちに要医療性が認められるとは言えず、認められるには特別な事情が必要と初判断し、特別な事情があると言えるかどうかは、

疾病の悪化、再発可能性の程度、再発による結果の重大性、経過観察の目的・頻度及び態様▽、医師の指示内容など医学的に見て経過観察を必要とすべき事情を総合考慮して個別に考えるべき

だとしました。

 そのうえで、原告の3人については、最高裁は

「積極的治療が行われていたとは言いがたい」

などと述べました。

 

 上の下線部を見てお分かりのように、最高裁が判断を示した、経過観察にある被爆者について「要医療性」があると判断する基準は極めて厳しく、経過観察の場合はほとんど要医療性を認めないといっているのも同然です。

 最高裁は、被爆者に対する援護の施策が3段階あって、原爆症認定が最も手厚い手当てがなされるのだから、その認定基準も厳しくて当然と言っているわけですが、そもそも、原爆症認定制度が国が起こした戦争の惨禍である原爆被害を受けた被爆者に対する国の補償なのだという制度の本質を見誤っています。

 要医療性が問題になるのは、今回の原告の方々のように原爆放射線に起因するお病気にかかられていることが明らかな方たちです。その方たちが経過観察するというのは、今のお病気が重篤化することを防ぐために必要不可欠なことです。

 さらに、原告の被爆者の方々は放射線を浴びてもうお病気になられているのですから、膨大な数にのぼるほかの放射線障害が起きる可能性も高いわけで、経過観察は治療をしているわけではないから、要医療性が認められないなどという形式的な判断は放射線被害の実態を全く見ていないもので、言語道断です。

 

 というわけで、高等裁判所がお二人については要医療性を認めていたのに、それをひっくり返した今回の最高裁判決が5人の裁判官全員の一致した判断だということが、この国の司法制度が暗黒司法だという何よりの証拠なのですが、忘れてならないのは、今回の判決は

1 要医療性について

2 経過観察の状態にある被爆者

についてのみ判断したことです。

 この3人の被爆者の方々についても、原爆放射線によるお病気だということ=起因性については、争いの余地がないのです。

 放射線という人類にとって最大の課題の中では、恐竜のしっぽにすぎないと肥田先生が言われた原爆症認定制度。

 その中で、今回最高裁が判断したのは、要医療性の中でも経過観察の場合はどうかという、ほんとに先っちょの問題についてなのだということだけは、皆さん忘れないようにしてください。

原告のお一人、この内藤さんが記者会見でおっしゃった

「被爆者の中には、被爆したことを声に出したくない人もたくさんいる。でも、私のように声を出しても認めてもらえない。

不当な判決で、ものすごく心が折れた」

というお言葉をお聞きして。

最高裁に対して、怒りに手が震えます。

この判決でも、原爆症認定訴訟を通じて、被爆者援護と核兵器廃絶のために頑張ってきた被爆者の皆さん、市民の皆さん、弁護団の皆さんがなさってきたことの意義は何ら損なわれていません。

核兵器と原発、放射線の問題に人類は取り組まなければならないことに、変わりはないと胸に刻んで。

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経過観察、原爆症と認めず 最高裁判決 原告3人敗訴確定

毎日新聞2020年2月26日 東京朝刊

原爆症認定申請をめぐる上告審判決後、涙をぬぐう原告の一人、内藤淑子さん(左)=東京都千代田区で25日午後3時38分、大西岳彦撮影


 原爆症認定申請を却下された被爆者3人が国に処分の取り消しを求めた3件の訴訟の上告審判決で、最高裁第3小法廷(宇賀克也裁判長)は25日、3人を原爆症と認めなかった。経過観察中だった3人は原爆症認定の要件である「現に医療が必要とされる状態(要医療性)」とは認められないと判断し、3人の敗訴が確定した。裁判官5人全員一致の意見。

 原爆症は、原爆の放射線が原因で病気になったとする放射線起因性と、要医療性の2要件を満たせば認定される。小法廷は判決で、経過観察中の被爆者に要医療性が認められる条件として「経過観察自体が疾病を治療するために必要不可欠で、かつ積極的治療の一環と評価できる特別な事情が必要」との初判断を示した。今後の認定行政に一定の影響を与えそうだ。

 3人は広島や長崎で被爆した75~84歳の女性で、白内障や慢性甲状腺炎と診断された。2審はいずれも放射線起因性を認めたが、広島高裁(2018年2月)と名古屋高裁(18年3月)が要医療性もあるとした一方、福岡高裁(19年4月)は要医療性はないとし、判断が割れていた。

 小法廷は、原爆症に認定されると受け取れる被爆者援護法の「医療特別手当」(月約14万円)について、「入通院雑費や栄養補給などの特別な出費を補うことにより、生活面の配慮をするという特別な目的が含まれている」と位置づけ、現実に医療行為を必要としている被爆者に支給するのが相当だと指摘した。

 その上で、経過観察中の被爆者に直ちに要医療性が認められるとは言えず、認められるには特別な事情が必要と初判断。特別な事情があると言えるかどうかは、疾病の悪化▽再発可能性の程度▽再発による結果の重大性▽経過観察の目的、頻度及び態様▽医師の指示内容――など医学的に見て経過観察を必要とすべき事情を総合考慮して個別に考えるべきだとした。

 これらを踏まえ、原告の3人については「積極的治療が行われていたとは言いがたい」などと述べた。

 厚生労働省は「国の主張が認められた」とのコメントを発表した。【服部陽】

 

 

原爆症敗訴確定 「不当判決、心折れた」 原告の女性が涙

毎日新聞2020年2月26日 東京朝刊

原爆症認定を巡る上告審判決を受けて記者会見する原告の内藤淑子さん=東京都千代田区で25日、玉城達郎撮影


 原爆症の認定を巡る残された懸案だった「要医療性」を巡り、最高裁は25日、経過観察中の被爆者に厳しい基準を示して原告3人の原爆症を認めないとする判決を言い渡した。司法に救済を求め、法廷で争ってきた原告からは「生きている間に解決をと願ってきた。心が折れた」と落胆の声が漏れた。【服部陽、巽賢司、川瀬慎一朗】

 午後3時、最高裁第3小法廷。生後11カ月の時に広島で被爆した内藤淑子(としこ)さん(75)は傍聴席で判決の主文を聞いた。「残念です。母の顔が浮かびました」。閉廷後、最高裁前に集まった支援者らを前に、涙ながらに語った。

 被爆の記憶はない。「私と一緒にいたんだよ」。母フミコさんがいつも語ってくれた。

 1945年8月6日朝は、フミコさんの背に揺られ親戚の家に向かっていた。爆心地から約2・4キロの広島電鉄己斐駅(当時)で下車した時、空が光った。身を伏せたフミコさんは、とっさに愛娘をおなかに抱えた。母娘は山に逃げたが、放射性物質を含んだ「黒い雨」が降り出した。フミコさんは内藤さんの頭に薄いハンカチをかぶせて歩き続け、親戚の家にたどり着いた。

 姉7人と兄1人の大家族。大やけどを負った姉は亡くなり、今も行方が分からない姉もいる。フミコさんは毎年8月6日は平和記念公園を訪れ、「絶対に戦争はいけん」と亡くなるまで繰り返し家族に語ってきた。

 視力が低く、小学生の頃から眼鏡をかけた内藤さんは92年、47歳で白内障と診断された。2008年に原爆症認定を申請したが、却下。6歳上の姉から「頑張ってみたら」と背中を押され、11年に提訴した。

 1、2審では原爆症と認定され、2審は赤ん坊だったことから放射線への感受性が高かったとも述べた。だが、国は争い続け、結論は最高裁に持ち越された。1月の弁論では最高裁の法廷に立った。「私たち被爆者は高齢になった。生きている間に解決してほしい」

 判決後、東京・永田町の参院議員会館であった記者会見。内藤さんは「被爆者の中には、被爆したことを声に出したくない人もたくさんいる。でも、私のように声を出しても認めてもらえない。不当な判決で、ものすごく心が折れた」と語り、続けた。「国には、被爆した事実に目を向けて被爆者と向き合ってもらいたい。そう訴え続けたい」

 原告の1人、高井ツタヱさん(84)=名古屋市緑区=は25日、市内で記者会見。判決に「少しがっかりした」と話し、「裁判で原爆の恐ろしさを知ってほしかった。私が一番望むことは、この世界から原爆がなくなること。皆が手を取り合って暮らしていける地球になってほしい」と訴えた。

 9歳の時、長崎市で被爆。慢性甲状腺炎を患って長年、体のだるさに悩み、定期的に医療機関へ通って経過観察を続けている。

 子ども3人、孫5人を授かったが、被爆の影響が子孫にどう伝わっていくのか、ずっと不安を抱えている。「被爆について解明され、不安を取り除いてほしい」と望んだ。

 

 

9割が勝訴してきた被爆者らに立ち塞がった最高裁 原爆症認定訴訟

2/25(火) 20:00配信BuzzFeed Japan

9割が勝訴してきた被爆者らに立ち塞がった最高裁 原爆症認定訴訟


最高裁前で「不当判決」の垂れ幕を掲げる原告ら


広島や長崎で被爆した3人が、白内障やなど自らの病気は原爆によって引き起こされた「原爆症」だと認定することを国に求める訴訟の判決が2月25日、最高裁第三小法廷であった。

宇賀克也裁判長は、3人をいずれも原爆症と認定せず、被爆者側の請求を退ける判決を言い渡した。

これまで原爆被害からの救済を求めた裁判で9割近い「圧勝」を続けてきた被爆者らに、最高裁が冷水を浴びせたかたちだ。【BuzzFeed Japa/貫洞欣寛】

9割が勝訴してきた被爆者ら
広島・長崎の被爆者は、放射線の影響でがんや白内障などの病気になりやすいため、被爆者援護法という法律をもとに、国は医療支援などを行っている。

その中で争点となってきたのが、病気が原爆によるものという厚生労働省の認定(=原爆症認定)を受ければ、月額約14万円の医療特別手当を受けることができるという制度だ。

というのも、その認定率は極端に低く、1990年代には被爆者手帳を持っている人の1%に満たないという状況だった。

それを変えたのが、司法だった。

被爆者らは2003年から集団訴訟をはじめ、全国17カ所の裁判所に306人が裁判を起こした。

その91%が勝訴して自らの病気を原爆症として認定されるという、行政訴訟では極めて異例な連戦連勝となった。これを受けて2007年、第一次政権の座にあった安倍首相が認定基準の見直しを指示した。

しかし、基準が見直されても国側は認定に後ろ向きで、被爆者らが改めて認定を求めて第二次の提訴を行った。第二次訴訟の原告120人のうち、これまでに59人の勝訴が確定。さらに25人は厚労省が自発的に原爆症と認定して訴訟は取り下げとなっている。

この両方を合わせると、これまでに訴訟が終わった98人のうち、85.7%が認定を受ける、第一次訴訟に続く「圧勝」となった。

今回の判決は
今回、判決を受けた3人のうち2人も、それぞれ広島高裁と名古屋高裁で勝訴していた。一方で、残る1人はほぼ同じ内容の訴訟なのに、福岡高裁で敗訴していた。

最高裁は、高裁によって分かれた判断を統一するため、2020年1月に弁論を開いていた。高裁段階までの状況をまとめると、以下のようになる。

広島で被爆した放射線白内障の内藤淑子さん(75)=2018年、広島高裁で勝訴

長崎で被爆した慢性甲状腺炎の女性=2018年、名古屋高裁で勝訴

長崎で被爆した放射線白内障の女性=2019年、福岡高裁で敗訴

そして最高裁はこの日、被爆者援護法にある「原爆に起因し、現に医療を必要とする状態の被爆者に必要な医療の給付を行う」という条文を狭く解釈し、3人いずれも「今すぐに治療が必要な状態ではない」として、原爆症と認めないという判決を出した。

原告「国に寄り添ってほしかった」
今回の原告の1人の内藤淑子さんは広島の爆心地から2.4キロの地点で被爆した。当時生後11カ月。母に背負われ、広島市西部の駅で電車を待っていた時に、原爆が炸裂した。被爆者の中では最も若い世代だが、それでも75歳になる。

47歳の時に白内障を発症した。2019年11月には右目を手術した。左目も白内障の症状を抱えている。白内障は、原爆の放射線によって引き起こされる代表的な病気の一つだ。しかし、厚労省は内藤さんの原爆症認定を却下した。

内藤さんは認定を求めて裁判を起こし、一審の広島地裁、二審の東京高裁でいずれも認定を認める判決を勝ち取ってきた。

「問題はお金ではない」
内藤さんが国を相手取り裁判を起こした理由は、お金ではない。

「私は働いてきたので年金があるし、主人も元気です。生活に困っているわけではありません。しかし、国にもう少し、被爆者に寄り添ってくれても良いんじゃないかと思ったのです」「心が凄く折れましたが、まだまだ国には言いたいことがある。まだ頑張りたいと思います」

被爆者団体・日本原水爆被害者団体協議会の木戸季市事務局長は「全く予想していなかった判決だった」と語る。

「被爆者は超高齢化し、5年後は10万人を切り、10年後は5万人を切るだろう。被爆者がいなくなる時が来る。私たちはあの日、見たことを繰り返させないために、核兵器廃絶と原爆被害への補償を求める活動を続けてきた。初心に返り、被爆者は原点に返ってこれからも目標の実現に余生を捧げたい」

原告弁護団と被団協は、これから厚労省側の認定姿勢がさらに厳しくなることを警戒している。認定制度そのものの抜本的な見直しを政治(立法)の場などを通じて求めていく構えだ。

 

 

原爆症認定訴訟 最高裁あす判決 被爆隠さず生きる 「苦しみ、私たちのせいではない」

毎日新聞2020年2月24日 東京朝刊

被爆体験を振り返り、判決への思いを語る高井ツタヱさん=名古屋市緑区で


 原爆症認定申請を却下された被爆者3人が、国に処分の取り消しを求めた訴訟の上告審判決が25日、最高裁第3小法廷(宇賀克也裁判長)で言い渡される。経過観察中の3人が医療を要する状態にあるかどうか(要医療性)が争点となり、最高裁が初めての判断を示すとみられる。9歳の時に長崎市で被爆した原告の高井ツタヱさん(84)=名古屋市緑区=は「多くの被爆者のためにも良い判決であってほしい」と思いを込める。【川瀬慎一朗】

 高井さんは、爆心地から約5・4キロ離れた自宅で被爆した。父や姉の山田初江さん(87)と、親戚や友人を捜して市街地をさまよった。顔が真っ黒にすすけるほど灰を浴び、約1週間は発熱や下痢、嘔吐(おうと)が続いた。

 18歳の時、恋人の親から、被爆を理由に結婚を反対され、逃げるように名古屋へ移って家政婦を始めた。以来、「被爆者であることを隠して生きよう」と心に決めた。1959年に結婚。夫は事実を知らぬまま87年に先立った。3人の子に恵まれ、孫もいるが、被爆の影響が出ないかと不安を感じてきた。後に打ち明けられた孫娘が高校に入った時、「私は被爆3世。結婚できるかな」と言ったことが今も胸に刺さる。

 慢性甲状腺炎と診断され、2010年に原爆症認定を申請したが、退けられた。諦めかけたが、東日本大震災の被災地の映像が、被爆時の記憶と重なった。「被爆者として生きよう。私たちの苦しみが私たちのせいではないことをはっきりさせたい」。同様に認定を退けられた姉とともに闘う決意をした。

 名古屋高裁が18年に訴えを認めたが、国の上告で舞台は最高裁へ。20年1月の弁論では「どうか被爆者を助ける判断を下してください。そのことが被爆者に希望を与えます」と訴えた。

 現在は娘家族と暮らす。日々だるさを感じ、5年ほど前には足を悪くしたが、好きな花や果物を育てて暮らす。判決後は姉の住む長崎で、海を眺めながら昔話をすることが願いという。「二度と戦争をしてはならないと子どもたちに伝えていきたい」と考えている。

医療の必要性争点
 原告3人は白内障や慢性甲状腺炎と診断されているものの経過観察中で、2審判決は要医療性について異なる結論を出した。最高裁は、要医療性を見極めるための統一的な基準を示したうえで、3人を原爆症と認定すべきかどうかを判断するとみられ、判決が今後の認定行政に影響を与える可能性がある。

 被爆者には原則として医療費が支給され、疾病に応じて手当も支給される。原爆症は、原爆の放射線によって病気になり(放射線起因性)、要医療性があるとの二つの要件を満たす必要があり、月約14万円の「医療特別手当」が受給できる。2審は、3人の疾病がいずれも放射線に起因しているとしつつ、うち1人に対しては要医療性を認めなかった。

 上告審で国側は、原爆症認定には「特別な意味や手厚い援護を与える意図がある」と説明。積極的な治療を受けていない経過観察中の3人は要件を満たさないと主張した。被爆者側は、日常生活への影響や手術の必要などを見極める意味で、経過観察は「重要な医療行為だ」と反論した。

 原爆症の認定訴訟は、これまでは放射線起因性が主な争点だった。国の不認定を覆す司法判断の積み重ねで基準が緩和され、「爆心地から約3・5キロ以内で被爆し、がんになった場合は原則的に認定する」などと疾病や被爆地点が具体的に示されるようになった。要医療性の審査も基準が判然としていなかった面があり、判決の影響が注目される。【服部陽】

 

 

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