Tooze『CRASHED』: アメリカ一極が終わって……次がない……

うーん。

 

まずは歴史認識の簡単なおさらい。世界が第一次世界大戦前は、金本位制をもとにしたヨーロッパ覇権みたいなものの下にあり、その中でイギリスの産業貿易的な優位性から、ポンドスターリング本位みたいなものの下にあった。でも特に第二次世界大戦を経てそれが完全に変わった。戦費のない欧州諸国に対してアメリカがばんばん物資を送ったことで、その支払いもあって世界はドル本位制となり、ブレトンウッズ会議で、ドルをトップにしたヒエラルキーが確立しました、というのは揺るぎない事実だ。

アダム・トゥーズ『ナチス 破壊の経済』は、ナチスドイツをそのアメリカ/ドル覇権に対するヨーロッパの最後の悪あがきとして解釈し、それを元にナチスドイツの一見すると支離滅裂な各種動きが、実はそこそこ整合性のあるものだということを示し、同時にそれを実現するためにドイツの国内経済がいかに無理を強いられたか、その無理が戦争活動にもホロコーストにもどう影響したかを描き出した、とってもおもしろい本だった。

ナチス 破壊の経済 上

ナチス 破壊の経済 上

ナチス 破壊の経済 下

ナチス 破壊の経済 下

さて、そのアダム・トゥーズが2018年に新作を出した。『Crashed』は、これまでナチス周辺の出来事を追っていた経済史家の著者が、2008年世界金融危機と、それがいかにしてブレトンウッズ会議以来のドル覇権を崩壊させたか、という本だと聞いていて、買ってはあった。結構評判もよくて、The Economist でも2018年の経済系のベストに選ばれていた。でも本文六百ページもある分厚いものだったし、積ん読のままだった。それを今回、いろいろあって読んでみた。

が、ちょっとがっかりした。ドル覇権が崩れた、というのはわかったけれど、その次が何もないからだ。そして、様々な側面を実に細かく見てくれるんだけれど、それが羅列に終わっていて、その細部がもたらす新しい発見や視点といういものがあまり出てこないからだ。

経済に政治的な要因がからむ、というのはまあポイントではある。その意味で、以下のアマゾンレビューはとってもよくまとまっていて、優秀だとは思う。ただ一方で、それは常識だろうとも思う。ユーロというのがいかに経済を無視して政治的な構築物としてできたか、というのはすでに嫌と言うほど言われている。そしてドル派遣によるドルの経済支配と、それがもたらした力は、アイケングリーン『とてつもない特権』などにもある通り。ある意味で、今回の金融危機はそのドル覇権の危うさが現実化したできごとではあった。

が……現実化しても、結局何か変わったか? 基本的にはドル/アメリカ覇権体制がくずれた、というなら、まずいちばん知りたいのは、それに代わるものとして何が出てきたんですか、というものだ。でも、この分厚い本をがんばって読んだんだが、かわるものが出てこない。ニクソン以前の、ドルが(黄金の裏付けの有無を問わず)すべてを仕切る特権的な状態は、一応ない、とは言えなくもないけれど、でも金融危機のとき、欧州のユーロドル市場が干上がって、ヨーロッパの中央銀行FRBに泣きついてお金を貸してもらったことからもわかる通り、やっぱりドルが強くてFRBが強いまま。

もちろん、他のプレーヤーの存在感は出てきた。でも小人が増えただけ。中国は世界的にでかい存在で、規模的にはあれこれできなくもない。ただ彼らも国内の状況を無視できるわけではないし、世界にドーンと覇権を張れる存在ではない。ロシアはEU衰退の隙を突いていろいろ立ち回るけれど、先頭にたつ気概はない。

本書はその意味で、ドル覇権が崩れたと言えなくもないけれど、でもアメリカ支配に代わって、なんか弱小プレーヤーがお互いに顔色をうかがいながら、なんとかやりくりしている体制になって、しかも弱小の中ではやっぱアメリカが結構強い、という形になっているという。金融危機は、ドル依存のやばさをはっきり示した出来事ではあったんだけれど、その後のユーロ危機で明らかになったのは、ユーロのほうがもっとやばくてあてにならないということで、だからドル依存はかえって強化されてしまった。そしてその弱小プレーヤーたちはどこも、経済の弱さが国内の不満につながり、それがポピュリズムをもたらして、したがって国際的にときに要求されるでかい行動ができず、そのために経済の弱さが続き、という国内政治と経済の悪循環に陥っている、という。だからこの状況が大きく変わることは当分なさそうで、さあ今後どうなるんでしょうねえ……(いやホントにそういうふうに本書の最後では放り出される)。

さて、これは何か目新しい話だろうか?

危機の前夜からトランプ/ブレグジットまで、非常に細かく描きだしていて、読み物としてはそこそこおもしろい。が、金融危機について書いた本はたくさんある。それらとまったくちがった解釈、まったくちがう見方が出てくるかというと、そんなことはない。分厚い本だし、経済的なことにだけこだわらず、中国の役割、ロシアの暗躍も細かく追って、それが金融危機とどうつながっていたかについて論じようとするのはおもしろい。でも、特にロシアの話は本当に一章かけるほどのものだったのかなあ。ギリシャトロイカ軍団との熾烈な戦いを逐一細かく追っても、これまでと何かちがう話にはならず、ちょっと徒労感がある。

見解の相違のせいもあるんだろう。トゥーズは前作でも、ケインズ経済学をすごく嫌っていて、ナチスが公共事業で失業をなくして人気を博したというのはウソだ、と言う。でもそのウソ、というのは失業がなくならなかったということではなくて、それがナチス公共事業の筆頭目的ではなかった、という話になる。狙いはどうあれ、実際に失業を減らしたのは事実で、ケインズ的に理解してもいいと思うんだけど。今回の本でも、彼は量的緩和とか景気刺激策とか、サマーズの長期停滞話とかを徹底的に否定する。それは効果がなく、しかも金余り状態を作って世界経済の不安定さを増し、という具合。しかも、目先の解決策としては効果があった、という部分については、あまり触れようとしない。ぼくはもっと評価すべきものだと思うんだが。

クルーグマンは、大恐慌に終止符を打ったのは第二次世界大戦で、いまだって宇宙人が攻めてきて地球防衛軍をつくらないと、という話になったら一気に不景気なんかふっとぶ、と述べている。トゥーズはこれを否定し、クルーグマンはいまの世界の政治がそんなに協調的ではないことを忘れている、と嘲笑するんだけど……いやだからウチュージンが攻めてきたらみんな立場にこだわらず協力するよー、というネタでしょ? マジレスしてどうする。

まあトゥーズは歴史家なので、こういうふうに推移しました、という記録を書ければいいのかもしれない。様々なできごとをあまり脚色せずにまとめあげるのが本領、ということかもしれない。でも、ぼくは長い本は、長くなる必然性が必要だと思っている。世間的にはこんなふうに思われているけれど、それを細かく見たらその中で別の動きが見られますよ、とかいうのがないと、せっかく長い本を読んだ甲斐がない。あーもある、こーもある、あんなことやこんなこと、でも結局は「いやあお先真っ暗でおっかないっす」としか言えない。それをわざわざ教えてもらう必要はあるのか? サミットとか、あのクソの役にもたたないダボス会議とかで、「さらなる協調をすすめマクロプルーデンスが求められ〜」と繰り返すのと変わらないのでは?

ちょうど並行して、メーリング『新ロンバード街』を読み返しているけれど、こちらはそういうでかい話ではなく、むしろ世界金融危機を、マネーマーケットや複数のレベルのお金の相互関係のきしみとして捉えようとしていて、ぼくはこのほうが金融危機の本質に迫っているようには思う。

付記(2020.03.11)

実は仕事で先週、このメーリングに会ってきたときにこのトゥーズの話も出た。実はメーリングは数年前までコロンビアにいて、トゥーズの同僚だったのだ。メーリングに言わせると、トゥーズの本は金融危機で成立した中央銀行6つの間のスワップラインの意義を軽視してるのでは、とのこと。実はこのスワップライン、2008年のリーマンショックで成立したあとでいったん廃止されたけれど、その後ユーロ危機で復活し、永続化された。そしてFRBも無制限のドル供給を明文化している。これにより、日銀も含む中央銀行6つは、実質的にFRBの拡張版として機能できるようになり、責任を分担できるようになった。だからドル覇権体制は気に食わないかもしれないけれど、少なくとも仕組みとしての安定性は金融危機で上がっている。ドル体制の終焉みたいな言い方は変だし、それを他の通貨が置きかえられる可能性はない、というのがメーリングの見方。でも一方で、ドルの次の危機の可能性は増えているそうな。それはトゥーズが述べているものとはまったくちがう話。このスワップラインでカバーされない新興国のドル取引が激増していて、それが何らかの形でつまづいたときにどうなるかはまったくわからない、とのこと。超おもしろいので、このメーリング本は訳したいんだけどねー。

付記(2020.04.23)

邦訳出ました。