8月2日が、湾岸危機つまりイラクのクウェート侵攻の30周年だった。そして、それから10日後の8月13日にUAE(アラブ首長国連邦)とイスラエルが国交の正常化で合意とアメリカのドナルド・トランプ大統領が発表した。これによってUAEは、エジプトとヨルダンに続くイスラエルを承認する3番目のアラブ国家となった。イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相の外交的な勝利である。パレスチナ暫定自治政府のパレスチナ和平の達成まではイスラエル承認を控えてほしいとの希望は無視された。UAEはパレスチナ人を見捨ててイスラエルとの関係改善に走った。パレスチナ人にしてみれば同じアラブ人による裏切りである。


さて湾岸危機とUAEとイスラエルの国交正常化は、間接的ながら深く関係している。湾岸危機以前にはクウェートを中心に80万人ともいえるパレスチナ人がアラビア半島の産油諸国で働いていた。ブームで沸いた産油国は急速な国家建設を進めるために石油と砂以外はすべてを輸入に頼った。一番重要だったのは、労働力だった。イスラエル建国によって故郷を追われたパレスチナ人の多くが湾岸諸国で働いた。官僚組織から教育まで広範な分野を実際はパレスチナ人が動かしていた。例えば教員の多くはパレスチナ人であった。外務省をつくったものの外交官がいないので、クウェートの外交官の多くはパレスチナ人であった。湾岸諸国の政策はパレスチナ寄りであった。


こうした状況を湾岸危機が変えた。占領されたクウェートの亡命政権を始め産油諸国は、アメリカに頼ってイラク軍を追い出そうとしていた。ところがPLO(パレスチナ解放機構)のヤセル・アラファト議長は、問題のアラブ内での外交的な解決を訴えた。アラファトがイラクの首都バグダッドを訪問してイラクのサダム・フセイン大統領と抱擁し合う写真が各国の新聞紙面を飾った。クウェート人などの記憶に深く刻み込まれた映像だった。フセインは、イスラエルへ強い姿勢を取ってパレスチナ人の喝采を浴びていた。クウェートなどのアラビア半島の産油国にしてみれば、難民として苦労していた人々を受け入れてあげたのにとの思いだった。裏切られたとの苦い感情が煮えたぎっただろうか。


その後の展開は、歴史の示すとおりである。アメリカ軍は圧倒的な軍事力でイラク軍をクウェートから追放した。解放されたクウェートでは、イラク寄りであったということでパレスチナ人の追放が起こった。他の産油国でもパレスチナ人を見る目は冷たくなった。湾岸地域の教育で大きな役割を果たしていたパレスチナ人がいなくなった。


それから、ちょうど30年である。この30年間、この地域で育った人々はパレスチナ人の先生からは教えを受けていない。この問題についての関心も薄くなっているだろう。アラブ首長国連邦と国名にアラブを冠した国家が、同じアラブのパレスチナ人の意向を無視してイスラエルとの関係を正常化させた背景だろうか。


-了-


※『経済界』(2020年11月号)72ページに掲載