デザイナーが再発見した銭湯の価値とは?

 雑誌Wedgeの1月号に掲載された『Value Maker』です。是非お読みください。

Wedge (ウェッジ)2020年1月号【特集】スポーツで街おこし  プロ化だけが解じゃない

Wedge (ウェッジ)2020年1月号【特集】スポーツで街おこし プロ化だけが解じゃない

  • 作者: 
  • 出版社/メーカー: ウェッジ
  • 発売日: 2019/12/20
  • メディア: 雑誌
 

 

 『代表取締役番頭』という一風変わった名刺を持ち歩く若者がいる。日野祥太郎さん、35歳。埼玉県川口市にある喜楽湯を経営する。風呂屋の番台(フロント)に立つから番頭というわけだ。

 「昔は町々にあってコミュニティーの『場』だった銭湯の機能を復活させたいと考えたんです」

 本業はデザイナー。25歳でフリーランスとなり、広告や宣伝、ブランディングといた仕事を請け負ってきた。プロフェッショナルの多くは、仕事に行き詰まったり、疲れたりすると、必ず訪れる自分なりの「場」を持っている。バーのカウンターでひとり静かに酒を飲み、リラックスして考えを巡らせる、というのも典型的な例だ。日野さんもバーに通うが、それだけでは足りないと感じた。

 そんな時、出会ったのが近所の銭湯だった。大きな湯船に浸かり、のんびりと時を過ごす。リラックスすると思いがけないアイデアが脳裏に浮かぶものだ。日野さんはすっかり銭湯にハマった。

 そんなある日、東日本大震災が日本を襲った。地域の人たちの助け合いや、身を寄せる「場」の重要性をひしひしと感じた。そうだ銭湯だ。

 東京都内には今も約540の銭湯がある。昔は町内には必ず銭湯があって、風呂に入りに来る人たちのコミュニケーションの場になっていたが、そんな機能が失われて久しい。今の若者の多くは銭湯の存在を「知らない」。仮に知っていたとしても、あのいかめしい玄関構えの建物に足を踏み入れるには勇気がいる。中の構造がどうなっているのか、どうやって湯船に入るのか、正直、分からないというのだ。

 

銭湯メディアを立ち上げる

 そんな若者に銭湯を知ってもらおう。日野さんはネットメディアを立ち上げることにした。題して「東京銭湯 -TOKYO SENTO-」。東京を中心に全国の銭湯の情報を伝えるホームページだ。

 メインは全国の銭湯の紹介記事。どんな特徴があるか、浴槽やカラン(水栓金具)の設備はどうか。アメニティグッズは手に入るか、休憩所はどんな感じかー。泉質ひとつとっても、井戸水を沸かしたお湯から、ラドン湯や天然温泉まで様々。写真と共に事細かな情報が掲載されている。風呂好きの「記者」に原稿を依頼しているが、一番の書き手は日野さん自身だ。

 銭湯メディアを立ち上げると、日野さんも予想しなかった事態に直面した。人気が沸騰し、趣味のブログ程度と思っていたものが、一気にメディアになったのである。予想以上に、世の中に銭湯好きがいることが明らかになった。それ以上に、銭湯業界にいる若手の経営者たちと出会い、意気投合するきっかけになっていった。

 そんなひとりが東京・荒川区の銭湯、梅乃湯の3代目である栗田尚史さん。日野さんとは同い年で、銭湯をコミュニティーの場である銭湯が変化するきっかけを作りたいと考えていた。そんな栗田さんから、梅の湯が持っている喜楽湯の経営をやらないか、という話が降って湧いたのだ。2015年のことだ。

 「迷ったんですが、喜楽湯を実験場のような位置づけにしようと考えました」と日野さん。栗田さんに家賃を払い、人を雇って、銭湯経営に乗り出した。

 日野さんが「実験場」と呼ぶ意味はいくつかある。

 

労働時間の健全化

 まずは、「家業を事業に変える」こと。銭湯の多くは家族経営で、高齢化が進んでいる。長時間労働でキツイ仕事のため、子どもはまず後をつがない。中規模のマンション用地に最適なため、経営者夫婦が亡くなると、廃業して銭湯は姿を消していく。つまり、コミュニティーの「場」が年々消えていくわけだ。この家業を株式会社などにして、従業員を雇い、事業として経営していく形に変えなければ、もはや銭湯は存続できない、というのが日野さんの考えだ。

 「1日13時間働いて、週に1回の休みしかなければ、仕事に負われてインプットしている時間がない」と日野さん。経営をしようにも、世の中のトレンドや若者のニーズを捉えて、それを事業に生かしていくことはできない、というのだ。喜楽湯ではまず労働時間の健全化に取り組んだ。今は番頭3人とアルバイト10人前後の体制だが、これで週休2.5日を実現した。

 二つ目は事業として自立することだ。実は、銭湯はいまだに「価格統制」が残る数少ない業界だ。都道府県が決めた入浴料金を守らなければならない。つまり、工夫をして高付加価値化を図ろうにも値段が決まっているのだ。一方で、経営が成り立つくらいの「補助金」が出ている。努力をしなくても営業を続けていれば食べていけるため、企業ならば当然の創意工夫を排除する仕組みになっているわけだ。

 

イベントを通じて敷居を下げる

 喜楽湯では、銭湯を「場」にして、様々なイベントを実施している。企業とのコラボレーションで企画を行い、入浴料としてではなく、様々な収入源を広げていく。初めは東京都浴場組合など既存銭湯の経営者に異端視されたが、最近は新たな取り組みとして理解してくれる幹部も増えた。

 例えば、キリンビールなどビールメーカーとコラボレーションした「銭湯×生ビール」という企画では、銭湯の休憩場に生ビールの全自動サーバーを置いて有料で販売する。風呂上りに美味い生ビールが飲めるとあって、入浴客も増え、飲料の売り上げも増加する。企業にとっては自社製品の格好のPRになるわけだ。喜楽湯だけではなく、協力してくれる銭湯にイベントとして持ち込むのも日野さんの仕事だ。

 11月30日、東京・渋谷の銭湯「改良湯」。フットサルの試合を終えた若者たちが、入浴に訪れた。この日は定休日で貸し切り。汗を流した後は、脱衣場に設けられた宴会場で打ち上げが行われた。改良湯は創業103年の老舗銭湯で、経営者は4代目の大和伸晃さん、46歳。渋谷の銭湯組合の会合で日野さんと知り合い、その後、10回近くイベントを開いている。

 「若者たちに銭湯を知ってもらうことが第一歩です」と日野さんが言う通り、イベントを通じて、銭湯への敷居を低くする効果があるわけだ。

 また、脱衣場を使った洋服の展示販売会や、「喜楽湯」や「東京銭湯」のオリジナルTシャツの販売など、様々な取り組みを始めている。喜楽湯で実験したことを東京や全国の銭湯に広げていくことで、新しいうねりを生み出そうとしているのだ。

 町にある銭湯が単に入浴するための施設ではなく、地域の人たちに愛され、コミュニティーの「場」としての機能を再び取り戻していく。イベントを通じて、「場づくり」の面白さに触れた若者たちが、銭湯経営に関心を持っていけば、一見、斜陽産業のような銭湯が、新たな輝きを発するに違いない。