生物はなぜ死ぬのか (講談社現代新書)
誰でも子供のころ一度は死の恐怖を覚え、人間はなぜ死ぬのかと考えたことがあるだろう。この答は自明のようにみえるが、バクテリアに自然死はない。栄養の続く限り分裂して繁殖する。その生命が終わるのは、食糧がなくなるとか環境が変わるアクシデントだけだ。

では多細胞生物が死ぬのはなぜか。たとえば昆虫は、交尾して子孫を残したあと自動的に死ぬ。小型の脊椎動物は、捕食されて死ぬケースが多い。たとえばマウスは数ヶ月から1年で天敵に食われて死ぬので、それまでにたくさん子供をつくる。

大型の哺乳動物は捕食されるリスクは小さくなるが、多くの栄養が必要になるので、餓死するリスクが大きくなる。しかし老化という現象はみられず、生殖期間が終わると「ピンピンコロリ」で死ぬという。

老化はヒトに特有で、細胞分裂するときノイズが入って劣化し、細胞が少しずつ衰えていく現象である。バクテリアの細胞分裂の精度は非常に高く、栄養さえあれば永久に生きることができるのに、ヒトの細胞は老化するようにプログラムされているのだ。それはなぜだろうか。

遺伝子の多様性を守るために親は死ぬ

ヒトのように寿命が長くなると、癌(悪性新生物)で死ぬリスクが大きくなる。体内で癌細胞が増殖するのを防ぐために免疫細胞があるが、癌細胞はその攻撃を避けて生き残るので、そういう悪性の変異が蓄積するのを防ぐために、一定の期間で新しい細胞と入れ替えるのが老化の機能だという。

これはよく考えると奇妙である。個体の生存だけを考えるなら、そんなややこしいメカニズムを内蔵しなくても、癌で死ぬまで細胞分裂を続ければいい。これはすべての生物にいえることで、個体としてはバクテリアのように細胞分裂で永遠に増えるほうが簡単だが、多細胞生物は何らかの形で死ぬようにできている。

それは遺伝子プールの多様性を守るためだという。単細胞生物は同じ遺伝子の個体だけで生活していると、環境が大きく変わったとき全滅してしまうが、どこかにコロニーが残っていれば作り直すこともできる。だが人間のような複雑な動物は、いったん全滅すると二度と同じ生物はできない。

そのため全個体が同じDNAをもつのではなく、なるべく多様なDNAをもち、環境変化で一部の個体が絶滅しても、それに適応する別の個体が生き残る必要がある。このためには親がずっと生き残るより、死んで子供を残したほうがいい。子供のほうが多様な遺伝子をもつからだ。

このように多様な遺伝子を残すことで生き残る戦略は、有性生殖と同じである。多細胞生物は、大きな環境変化に対応するためにバックアップ(劣性遺伝子)をもち、有性生殖という複雑なしくみで子孫をつくるのだ。

あなたが死んでも、その遺伝子の半分は子供に受け継がれる。ショーペンハウエルのいうように人類の本質が個体を超える「意志」だとすると、死後も遺伝子という意志は地球上で増殖を続ける。それが人間という表象をもつか、バクテリアという表象をもつかは問題ではない。あなたが死ぬとき失われるのは、あなたの意識だけなのだ。