日本という国が「想定外の事態」という言い訳を繰り返す根本原因 「最悪」を想定しないという伝統

プレジデントオンラインに3月6日にアップされた拙稿です。是非お読みください。オリジナルページ→

https://president.jp/articles/-/33480

突然の安倍首相による「休校宣言」

日本の官僚機構は「想定外の事態」に弱い。今回の新型コロナウイルスでも同じだ。本来、未知の病原体のパンデミックは「いつでも起こりうる事」として想定されていたはずだが、結局、右往左往する醜態を国民に晒している。

安倍晋三首相は2月27日夕、新型コロナの感染防止対策として、全国の小学校・中学校・高校に3月2日から春休みまで臨時休校するよう要請した。その後の報道や国会答弁で明らかになったところによれば、一斉休校は首相官邸が検討、27日の朝に藤原誠文部科学事務次官に、全国で一斉休校した場合のシミュレーションをするよう指示があったという。

萩生田光一文部科学相と藤原次官は午後1時半に首相官邸に駆けつけ、官邸の方針に反対したという。共働きやひとり親家庭の親がすぐに休暇を取ることは難しく、現場の混乱は必至だというのが理由だった。だが、首相は腹心と言われる萩生田大臣や、文科次官の反対を押し切り、方針表明へ突き進んだ。

強いリーダーシップを示そうとした首相

安倍首相からすれば、「無策」のまま新型コロナの蔓延を放置すれば、政権の足元を揺るがしかねない。25日に加藤勝信厚生労働相が公表した新型コロナ対策の基本方針は不評だった。さらに「桜を見る会」や黒川弘務検事長の定年延長問題で内閣支持率が落ちていたタイミングとも重なった。局面を打開するため、首相は強いリーダーシップを示す必要性に迫られていたのだ。

もともと政治家は権力を行使したがる人種である。危機に直面して「無策」だった場合の国民の批判は凄まじい。

かつて水産高校の練習船が米軍の潜水艦に衝突されて沈没した際、のんびりとゴルフをしていたとして森喜朗首相(当時)が批判にさらされ、退陣するひとつのきっかけになった。天災が起きた際に「対策本部」が官邸に設置され、関係閣僚が駆けつけるのはもはや当たり前の光景になっている。今回の新型コロナでも官邸での対策会議を欠席した小泉進次郎環境相らに、首相は「注意」せざるを得なかった。

そんな中で、新型コロナ対策で「無策」を続ければ、批判を浴びるのは火を見るより明らかだった。一方、一斉休校が仮に過剰だったとしても、なかなかそれを批判するのは難しい。科学者の意見よりも、政治的な判断が優先された、ということだろう。

危機発生時の「手順」を整備するのが霞が関の仕事

これを政治家の独断専行、暴走と言うかどうかは別として、そうした行動を封じるために、「法令」を整備しておくのが霞が関の基本である。危機が生じた際、どういう手順で対策を発動するか。それを誰が、どの会議体で決めるのか。

首相が決めれば何でもできるというのは、首相が暴走するというリスクがあるだけではなく、首相が決断できない人物だった場合にも大きなリスクになる。

パンデミックが起きた場合、誰がどういう手順で学校を休校にするのか。学校長の判断や教育委員会の決定を待っていたら、全国一斉の休校は難しいし、学校ごと、地域ごとにバラバラな対応を許せば広範な地域での「封じ込め」はできない。

今回のように学校職員の感染が確認された段階で、仮に1日で判断を下すとしたら、どういう手順を踏むのか。事前にまったく「想定」がされていなかったという事だろう。もし手順が明確に決まっていたなら、厚労相や厚労次官も、より説得力のある対案を首相に示せたろうし、首相も耳を傾けたろう。それでも首相が蛮勇をふるって強硬策を取ろうとすれば、事務次官は職を賭して反対することもできたはずだ。

今の時代に「テレワークできない」厚労省

官僚は、政治家とは逆に、もともと「積極的な対応」を避ける人種だ。無策や慎重な対応で責任が問われることはまずない。責任が問われるのは、何かを踏み込んで行なったときだ。

今回の新型コロナでも後手後手に回っているように見えるのは、「最悪の想定」をして対策を事前に講じておくという文化が霞が関にないからだ。しばしば「想定外でした」という言い訳がなされるのは、霞が関だけでなく官僚機構全体、あるいは役所的な会社の宿命と言ってもいいだろう。

予備費を使ってパソコンを支給したらどうか」

ある省の事務次官厚労省の幹部にそんな苦言を呈していた。加藤厚労相が「テレワークの推進」を呼びかけたにも関わらず、厚労省の課長補佐が業務用のパソコンを支給されていないため、テレワークができないという話が話題になった席でのことだ。

つまり、パンデミックで交通が途絶し、役所に通勤できなくなる事態を想定していなかったのだ。

今の時代、個人用のパソコンやスマホを持っていない人はほとんどいないが、それを役所のシステムにつなぐことは御法度で、自宅から仕事ができないということだろう。民間企業では、時限的に自宅の個人パソコンを会社ネットワークに接続できるようにルールを緩め、テレワークに踏み切ったところも多いが、そうした対応ができていないのだ。

また、外部の識者を集めて開く各種審議会でも、テレビ会議を実践しているのは首相官邸の会議ぐらいで、他省庁の会議は遠隔開催できる態勢にすらなっていない。そもそも日頃の会議でテレビ会議を実施したことがなければ、非常時にテレビ会議での対応などできないだろう。民間では、出張先など遠隔地からスマホで会議に参加するのがもはや普通の光景になっているから、在宅でのテレワークになってもさほど混乱していない。

「縦割り問題」が対応を遅らせている

もうひとつ、霞が関が抱える問題は「権限の所在」が分散していることだ。しばしば批判される「縦割り行政」の弊害である。今回の新型コロナ対策でも担当省庁の縦割り問題が対応を遅らせる一因になったとみられる。

1月30日金曜午後、横浜の港に近い産業貿易センターの大会議室で「横浜港新型コロナウイルス感染症に関する関係者連絡会議」が開かれた。翌週の月曜日には集団感染を引き起こした大型クルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス号」が横浜沖にやってくるのだが、この日の会議は、その後の危機をほとんど予測していない。

参加機関には、国土交通省関東地方整備局や関東運輸局、横浜検疫所などが名を連ねたが、厚生労働省の本省からは参加していない。議事も、国交省からの情報提供、横浜検疫所からの情報提供、横浜市健康福祉局からの情報提供となっていた。この段階では「出先任せ」で本省が出張っていく問題とは思われていなかったのだ。

米国では1万4000人がパンデミック対策を行う

ところが、ダイヤモンド・プリンセスの入港で事態は一変する。港湾は基本的には横浜市国交省の管轄。クルーズ船に関する情報収集も当初は国交省が窓口だった。

しかし船内の感染が拡大していく中で、なかなか情報が伝わらず、ネット上などで「隠蔽しているのでは」といった噂も流れた。

関係者はその実態について、「情報の集約先を厚労省の本省に決め、実施するのに時間がかかった。クルーズ船の運行会社でも情報を国交省に報告するのか、厚労省に報告するのか、混乱が続いていた」と証言する。もともと、こうしたクルーズ船での大量感染時に厚労省に情報が集まる仕組みができていなかったのだ。

米国にはCDC(疾病管理予防センター)があり、トップは大統領が任命する政治任用ポストで、強い権限を持つ。職員は1万4000人、年間120億ドル(約1.3兆円)の予算を持つ。未知の病原体の調査研究を行いパンデミック対策などの司令塔になる巨大組織だ。

一方、日本で感染症対策に当たる政府機関は、国立感染症研究所で、所員は348人、年間予算は64億円に過ぎない。新型コロナのPCR検査に当たる「ウイルス3部」には16人しかおらず、他部署や外部からの応援も合わせて78人がローテーションで対応しているという。圧倒的な貧弱さだ。

非常時こそ「官僚が機能する仕組み」が必要だ

このところ日本でも相次いだ台風被害などに対応するために、米国の「連邦緊急事態管理庁FEMA)」と同様の組織を日本にも作るべきだという声が自民党などからも上がっている。だが、日本でこうした省庁の再編議論はなかなか進まない。新しい組織を作れば、既存の省庁の権限や予算が削られることになりかねないからだ。

CDCのような組織が必要という声が上がったとしても、感染症対策を所管する厚労省から新組織を作るべきだという声は上がらない。厚労省の下に作るとなれば賛成するかもしれないが、それでは省庁横断的な権限集約はままならない。

新型コロナの蔓延が続く中では、独断専行にも見える首相官邸の“リーダーシップ頼み”も致し方ないかもしれない。しかし、本来は、国民を危機に晒す非常時にこそ、専門家である官僚がきちんと機能する仕組みを作るべきではないか。

この感染がおさまったからといって忘れてしまうことなく、さらに強力な病原体のパンデミックが起きた場合を想定して、政治と官僚機構のあり方を整備しておくことが必要だろう。来年の冬にさらに深刻な事態が発生しないとは言い切れないのだから。