株式会社経世論研究所 講演・執筆依頼等、お仕事のご依頼はこちらから
三橋貴明のツイッターはこちら
人気ブログランキングに参加しています。

チャンネルAJER更新しました。

「変わる世界の経済学変わらない日本の経済学」(前半)三橋貴明 AJER2020.3.23

    

 

令和の政策ピボット呼びかけ人に「俳優 伊原剛志様」が加わって下さいました。

また、メルマガ「令和ピボットニュース」が始まりました。皆様、是非とも、メルマガ登録を!

 

 

デービッド・アトキンソンから三回目のお手紙をもらった件 [三橋TV第374回] 三橋貴明・高家望愛

https://youtu.be/pYDe0GX4G4c
 

 最近、ブログで取り上げた、
1.デービッド・アトキンソンのPGS(生産的政府支出)
2.科学技術予算に関する政府の総合科学技術・イノベーション会議による計画の進捗チェック
3.財政制度等諮問会議の「新型コロナの支援は、真に必要な人に限定すべき
 の三つには、見事に共通点があるのですが、お気づきになられました?


 ちなみに、ブログは以下。

デービッド・アトキンソンから三回目のお手紙をもらった件
政府の技術投資は「数撃てば当たる」であるべきだ
財務省の姑息なプロパガンダに騙されるな!


 そうです。選択と集中です。


 アトキンソンは、寄稿において、
『(アトキンソンの寄稿から引用)「生産的政府支出」とは民間企業の生産性に影響を与え、経済成長に貢献する支出を言います。その中には、インフラ投資や教育が含まれます。「非生産的政府支出」とは、簡単に言えば、社会保障費のような「移転的支出」を指します。』
 と、PGSと非PGSを定義し、「PGSに支出しろ」と主張しているわけです。


 一見、もっともに思えますが、そもそも行政には生産的だろうが、非生産的だろうが、支出しなければならない分野があるという「常識」が欠如しています。政府の支出は、生産性向上のためではなく、「国民を豊かにする・守る」ために存在するんですよ、アトキンソン君。


 わたくしは、「日本企業の生産性を上げたいならば、政府支出で需要を創出し、デフレ脱却せよ」と主張していますが、別に政府支出を「生産性向上のためにやれ」とは言っていませんよ。


 国民が豊かに、安全に暮らす経済を達成するためならば、生産的、非生産的に関わらず、政府は予算を執行しなければなりません。


 そもそも、動画でも語っていますが、なぜ政府が事前に「これは生産的、これは非生産的」とか分かるの? 政府の官僚や政治家は、神様か何か? あの、レベルで?


 しかも、「政府はPGSに支出しろ」などと言っていたら、安全保障分野の予算が組めなくなるよね。以前、解説した通り、安全保障はビジネスと相性がすごぶる悪い。「カネ」で換算する生産性は、極端に低いです。

 

 安全保障について「これは、非生産的」とかいって、支出しないの? 国が亡びるね。

 

 底が浅いな~、アトキンソン君。

 

【三橋貴明の音声歴史コンテンツ 経世史論】

お待たせいたしました。【三橋貴明×関良基】歪められた「開国」の歴史 後編〜日本が清・インドのように植民地にならなかった本当の理由 が公開になりました!

https://keiseiron-kenkyujo.jp/apply/

 

 神様と言えば、政府の科学技術予算について、
『(日経の社説から引用)『ただ、総花的でばらまきになるのも困る。科学技術政策の司令塔である政府の総合科学技術・イノベーション会議が計画の進捗をチェックし、時には軌道修正する指導力を発揮してほしい。』
 と、総合科学技術・イノベーション会議の連中が「未来が予想できる神」のごとき社説を日経が書いていました。


 くどいですが、特に科学技術分野において、
「この研究開発は有益。これは有益ではない」
 と、「千年後」を見通して断言できる人間はいませんし、いたら狂人です。


 どうなるか、分からないからこそ、貨幣的なリスクを取らなくても済む政府がやるんですよ。
 

 そして、昨日、取り上げた財政諮問会議。
『(NHKの記事から引用)これに対し委員からは、「新型コロナの支援は、真に必要な人に限定すべきだ」とか、「歳出の抑制に軸を置いて、財政健全化の目標の達成を目指すべきだ」といった意見が出されました。』


 はい、出ました。国民選別論。
 

「新型コロナの支援は、真に必要な人に限定すべきだ」 
 という考え方は、二つの意味で「頭がおかしい」のです。


 一つ目は、「真に必要な人」の定義も、特定も、現代の人類文明では不可能という話です。例えば、持続化給付金は「売上が前年同月比50%減った事業者」が対象でした。なぜ、50%なの? 49.9999%ではダメなの?

 

 だいたい、住所がない(管理できない)国民が「真に必要な人」だったとして、どうやって支援するわけ?


 といった疑問に答えることは、政治家や官僚には(いや、誰にも)不可能でしょう。


 二つ目。政府の失政により、国民全員がダメージを受けている(※国民経済は繋がっている)状況で、国民を選別しようとしていること。国民の選別は、
「なぜ、俺には支援が来ないのに、あいつには来るんだ!」
 といった形でルサンチマンを引き起こし、国民分断に繋がります。


 というわけで、アトキンソンも、総合科学技術・イノベーション会議も、財政制度等審議会も、全員が全員、恐ろしくレベルの低い「選択と集中」を主張しているわけです。
 

 この、選択と集中こそが、日本国をここまで衰退させたのでございます。そして、未だにどいつもこいつも、この「選択と集中」から逃れられない。


 なぜか。
 

 もちろん、貨幣のプール論に囚われ、政府の支出は「有限」であると勘違いしているためです。


 正しい貨幣観、財政観に基づき、
「主権通貨国の政府はインフレ率が許す限り、支出をどれだけ拡大しても構わない」
 ことが理解できれば、「経世済民」のためであれば、生産的・非生産的にこだわらず支出ができ、科学技術予算を「数撃てば当たる」とし、「全ての国民を救う」ための予算を策定することが可能になるのです。


 この「選択と集中」は、何となくもっともらしいのですが、実際には「緊縮財政」のために活用されているに過ぎませんので、本当に注意して下さいませ。

 

「日本政府はいい加減に選択と集中をやめろ!」に、ご賛同下さる方は、

↓このリンクをクリックを!

本ブログへのリンクは以下のバナーをお使いください。

◆関連ブログ
日本経済復活の会のホームページはこちらです。

㈱日本富民安全研究所のブログ絶望の先にはこちらです。
◆三橋貴明関連情報
新世紀のビッグブラザーへ ホームページはこちらです。
メルマガ「週刊三橋貴明~新世紀のビッグブラザーへ~」はこちらです。