だいずせんせいの持続性学入門

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コスタリカ

2021-09-02 17:08:51 | Weblog

 コスタリカは中米の小国で、面積は九州と四国を足したぐらいのところに現在は約500万人の人々が住んでいる。第2次大戦後に人口爆発が起き、1850年に10万人しかいなかった人口は、1950年に80万人、1970年代に400万人となった。30代の若い世代の人数が一番多い若々しい国だ。コスタリカは軍隊のない国、豊かな生態系を守っている国として有名だ。

 イバン・モリーナ、スティーヴン・パーマー『コスタリカの歴史』(明石書店、2007年)によって、この国の歴史を概観してみよう。

 もともとは熱帯雨林の中で多様な民族が狩猟、採取、農耕の暮らしをしていた。コロンブスの来訪以来、中南米はスペイン人によって征服されたわけだが、コスタリカはそれが一番遅れた。スペインから見た時に最も辺境の地であり、熱帯雨林にはばまれて探検隊や征服軍の動きが思うように進まず、先住民族の抵抗が続いた。つまり、スペイン人による征服が速やかには及ばなかった「取り残された」地であった。

 一方でヨーロッパ人によって持ち込まれた感染症で先住民族は人口を大幅に減らした。そのことで征服は進んだが、一方で植民地としてのうまみも少なくなった。というのは、当初の植民地経営は、スペイン人が一定地域の先住民族の人口を支配する権利を分配されて、彼らから現物で「年貢」を徴収するというものだったからだ。先住民族の人口減少を埋めるためにアフリカから黒人奴隷が連れてこられた。

 そうこうしているとスペイン本国がナポレオンに侵攻されて衰亡する。それで中南米の植民地が一斉に独立し、中米も1821年に独立し中央アメリカ諸州連合となるものの、内部は統一できず結局現在の国々(グアテマラ、ホンジュラス、エルサルバドル、ニカラグア、コスタリカ)に分裂し、混乱が続いた。しかしこの時期にコスタリカではコーヒー栽培がスタートし、独立後の自由貿易の流れの中でコーヒーが輸出されて経済は好調になった。森林の開墾が進み、コーヒー園が広がった。1848年にコスタリカ共和国の独立宣言が行われ、最初の憲法が制定された。その後、政治的な安定の中で、コーヒー輸出を軸とした経済発展が進み、首都のサンホセは洗練された近代都市となっていった。19世紀終わりころからバナナ栽培とその輸出が始まり、コーヒーと並ぶ主要な経済成長の原動力となった。

 近代的な法律が整備され教育が普及した。白人男性の普通選挙は1859年から始まり、他の中南米諸国が選挙の不正によって政治の混乱が続くのを尻目に、公正な選挙で安定した政治が続けられた。その背景のもとで経済発展が進み、20世紀初頭には著名な文学作品が生まれるなど芸術も花開いた。一方で労働運動もいち早く立ち上がり1913年には初めてのメーデーの行事が行われた。1920年には8時間労働を求めるストライキが成功する。

 このように近代的な社会のあり方が欧米や日本と比べても非常に早い段階に成立し、軍事クーデターを経験することなく、政権交代は選挙によって平和的に行われた。第1次大戦、第2次大戦にも参加せず、その結果、「中米のスイス」とも呼ばれる平和で豊かな社会が成立した。

 しかし、1940年代になると、台頭する共産主義勢力とそれに対抗する保守勢力の力が拮抗し、政治は不安定化する。それはついに1948年に内戦に至る。コスタリカ建国以来、初めての大規模な流血の惨事であった。これに勝利した保守政権は、その勝利を永遠のものにするために、常備軍を廃止する憲法を制定し、コスタリカは軍隊を持たない国になった。またこの憲法で黒人と女性に選挙権が与えられた。

 その後、中米の周囲の国々は政治的な不安定さが増し、特に隣国のニカラグアで共産革命が起きると、それを阻もうとするアメリカ合衆国の介入によって情勢は複雑化する。

 一方、第2次オイルショックが引き金になった1980年のコーヒー価格の下落によってコスタリカの経済は大打撃を受けた。コスタリカをニカラグアの共産化を阻む防波堤にしようとしたアメリカの意向をあえて受け入れ、見返りとしてアメリカから特別な資金を引き出して経済危機を乗り切った。一方で、アメリカ軍の基地設置は許さず、コスタリカを軍国化させようとするアメリカの圧力に対抗するために、コスタリカ大統領は永世中立宣言を行った。超大国相手にしたたかという他はない。その後中米の和平成立に指導的な役割を果たし、当時の大統領はノーベル平和賞を受賞している。

 コスタリカは内戦後は公共部門への投資を原動力に経済発展を実現した。1980年代に経済が破綻した後には、新自由主義的な経済運営で公的部門を民営化する動きが強まった。その流れの中で失業率が上昇し、貧富の差が拡大し、また犯罪が増え、麻薬の使用や取引が横行しているという問題がある。

 歴史的にはコーヒーやバナナの農園拡大によって森林が減少したものの、現在では国立公園・自然保護区が国土の4分の1を占め、森林は一定の回復があった。今では美しい自然が海外から観光客を引きつけ、エコツアーを始めとする観光業が外貨を稼ぐ重要な経済部門となっている。

 私は日本のこれから進むべき道は、「農林水産業と観光を軸とした2等国」であると考えている。コスタリカはそのモデルとしてとても参考になる。コスタリカが「中米のスイス」と呼ばれたように、日本は「アジアのコスタリカ」を目指したいものだ。

 

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