コロナ禍をチャンスに変える、京都老舗旅館若おかみの挑戦

雑誌Wedge7月号に掲載された拙稿です。ぜひご一読ください。

 

Wedge (ウェッジ) 2020年 7月号 [雑誌]

Wedge (ウェッジ) 2020年 7月号 [雑誌]

 

 

 「新型コロナウイルスの蔓延は、旅館の原点を見つめる良い機会だと思うようにしています」

 京都で190年続く「綿善旅館」の若女将、小野雅世さんはそう語る。

もちろん新型コロナに伴う経済活動の「停止」は旅館・宿泊業に取って大打撃であることは間違いない。綿善の売上高も4月は前年同月比98%減。ゴールデンウィークに休業せざるを得なかった5月はさらに打撃が大きい。

 耐えて新型コロナの終息を待つほか手立てはない。だが、ここ数年、超繁忙が続き、立ち止まって事業を見直すことができなかったのを考えると、「変わるチャンス」に恵まれたと前向きに考えている。

 というのもここ数年、「どうしたら日本一の旅館にできるか」を考え続けてきたからだ。考えた末に、客も従業員も、取引先も、そして地域社会も全てハッピーになれる、いわゆる「四方よし」を実現することを「日本一」だと定義した。そして行動を始めつつあった。

 大学卒業後、三井住友銀行に3年半勤めた後、実家の綿善にアルバイトとして戻った時、「お客さんを喜ばそうという雰囲気が従業員の間にないことに愕然とした」と振り返る。ある日、古手の従業員に「綿善を日本一の旅館にしたい」と真顔で話したところ、「お腹を抱えて笑われた」という。これをきっかけに雅世さんは本気になる。

 「日本一」に向けて、すべてのスタートは人材である。優秀な人材を育てなければ成長はない。そこで掲げたのが、「従業員の年収を1000万円にする」という目標だった。その実現のためには付加価値を高め、生産性を引き上げていくことがカギを握る。端的に言えば、きちんとした単価をもらうことだが、そのためには、相応しいサービスを提供する人材が不可欠だ。従業員によって異なっていた仕事の進め方を統一化したり、人事考課制度を導入したりして改革を進めた。

 

新人合同研修の開催

 

 だが、ひとつの旅館だけで人材育成をしても限界がある。実は、京都の旅館・ホテル業の離職率は非常に高い。少しでも待遇の良いところに移ったり、引き抜かれたりする。慣れたと思ったら辞められる旅館側はもとより、渡り歩く事で待遇が安定しない働き手にとっても決して良い事ではない。

 そこで雅世さんは、京都の旅館・ホテルで合同の新人研修を行なってはどうかと思いつく。すぐに同業の女将や経営者に電話をかけまくった。

2019年7月11日、13の旅館・ホテルから53人が集まった、「新人合同研修」が実現した。1施設4人まで5万円の参加費を集め、綿善の大広間で実現した。単体では申し込みを躊躇するようなハイレベルな研修を外部に委託した。自分の旅館だけでなく、業界全体、地域全体を底上げすることが大事だ、というわけだ。

加えて、参加者に「同じ京都の旅館・ホテルの同期」という意識を持ってもらうことで横の連携を高めたいという思いもあった。

 今年は京都市の支援を得てさらに規模を大きくして観光業全体に向けた新人合同研修を行う予定だったが、新型コロナの蔓延で延期になっている。

 

「宿弁」で地域にも貢献

 

 新型コロナで旅行客が激減する中でも、「四方よし」の実行に取り組んだ。まずは「旅館の宿弁」。旅館の板前さんが作るお弁当をフロントで販売した。「宿弁」800円、「和牛すき焼き」1000円、「ミルフィーユ寿司」1000円といった具合だ。出汁巻き(800円)や鰻巻き(1200円)など旅館ならではの一品も販売する。「お弁当いかがですか」と夫の重見匡昭さんが玄関前に出て道ゆく人たちに声をかける。

 「収入は微々たるものですが、板前の仕事ができ、取引先にもわずかでも発注できます。そして何より、地域の方々のお役に立てます」

子供向けに「パンダ弁当」(600円)も作り、パンダの着ぐるみを来て売り歩くこともした。地域の人たちに少しでも喜んでもらいたい、という一心からだ。「うちは修学旅行生が多いので、近隣に少なからずご迷惑をかけていると思ってきたので、その御礼の形もあります」

 学校が突然休校になった3月には、「旅館で寺子屋」というプロジェクトを発案した。「学校が休みになって困っているお母さんがいるに違いない」と感じてすぐに実行に移した。綿善旅館の大広間を使って、小中学生を朝9時から夕方5時まで預かり、自習だけでなく、オンラインでの学習や、「旅館探検」などのイベントを提供した。お昼は板前さんが作るお弁当だ。参加費は保険料と昼食代の800円だけという格安プランだ。

 旅館の日頃は入れない場所を探検して、最後は大浴場で入浴して解散というプログラムに、子どもたちは大満足だった。京都を訪れる子連れ外国人向けのガイド事業者に協力を求め、英語のプログラムなどを担当してもらった。話を聞きつけた京都北山の「マールブランシュ」からはお菓子の差し入れもあった。1日15人、1週間のプログラムだったが、「地域とのつながりを実感できた」と雅世さん。確かに、地元の人にとっては地域の旅館にはなかなか足を踏み入れる機会はない。

 

7月から通常営業へ

 

 一方で、京都の旅館は、全国全世界の人たちと京都をつなぐ接点でもある。「いつか住みたい町として京都が上位に来るのは、修学旅行で訪れた原体験が大きいのではないでしょうか」と雅世さんは言う。

 6月いっぱいで「旅館の宿弁」は終了し、7月からは平常に少しずつ戻っていくことを期待する。政府の「GoToキャンペーン」にも期待を寄せるが、それ以上に、現状「延期」になっている修学旅行が「中止」にならないことを祈るばかりだ、という。

 もともとインバウンドに依存することはリスクが高いとみていたこともあり、年間の客数は2割以下だった。それでもコロナ後の旅館業は今までとはやり方が大きく変わることになるとみる。減った客の取り合いや、今なお進み続けるホテルの開業ラッシュが価格競争になることも予想されるが、それには絶対に巻き込まれたくないという。

 「やはり原点に帰ることだと思います」。京都に旅行者が押し寄せていたここ数年、「目の前のお客様を見ているつもりで、しっかりとは見ることができていなかった気がします」と雅世さんはいう。目の前の客が何を求めているのか、一人ひとり丁寧に対応することができていたか、と今振り返っているのだという。

 天保元年(1830年)創業の綿善はもともと富山の薬売りが創業者。京都へやってくる呉服業者などに宿を提供したのが旅館を業とするきっかけだったと言う。「薬屋がルーツなので、人の薬になるような旅を提供できる旅館にしたい」と言う。

 最終的にはネット予約などは受けず、一人ひとりの旅のスタイルを聞いた上で、その手伝いをするような旅館になっていきたいという。そうすることで、きちんと付加価値を確保し、1000万円の給料を払える旅館に変わっていくということだろう。