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「安倍政権のレガシー(後編):前半)」三橋貴明 AJER2020.9.14

    

 

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令和2年10月25日(日) saya x ハーモニカ 配信ライブ

令和2年11月12日(木)「今こそ奮起の時!豊かになるために一人ひとりがやるべきこと」(※オンライン講演会)

 

伊原剛志さんと、貨幣、財政破綻論、財務省についてトークした [三橋TV第302回] 三橋貴明・伊原剛志・高家望愛
https://youtu.be/-6dx9gRJ8TM

 コラボ企画の第二回はこちら。

伊原剛志、三橋貴明と経済を語る!後編【伊原剛志のやりたい放題】
https://youtu.be/zyYGumpCJ1s

 本日は、三橋経済塾第九期第十回講義開催日です。ゲスト講師は、佐藤健志先生です。
 ご参加される皆様、よろしくお願いいたします。

政府の財政赤字は、民間部門の貯蓄によってファイナンスされているのではない。政府の財政赤字は、それと同額の民間部門の貯蓄を生み出す。したがって、民間部門の貯蓄の量が制約となって、財政赤字が拡大できなくなるということは、あり得ない。(中野剛志)』

 何か、冒頭の箱の文章がやたら格好良かったので、こちらでも引用。まさに、ステファニー・ケルトン教授の新刊のタイトル「財政赤字の神話」そのものです。

 というわけで、中野先生の寄稿。

日本は借金まみれだが…多くの国民に知らされない、1つの真実
 驚かれたかもしれません。しかし、これ(三橋注:冒頭の引用)は、貨幣の正しい理解から導き出される当然の結論なのです。
 ただし、信用貨幣論は、貸出しには資金量の制約はないけれども、「借り手の返済能力という制約はある」としていました。そうでなければ、銀行は借り手の審査もせずに、乱脈融資をやり放題という話になってしまいます。
 ということは、政府の借金も同じ話になるはずです。つまり、政府の財政赤字は、確かに民間部門の貯蓄量には制約されてはいない。しかし、政府の返済能力の制約はあるのではないか。
 では、政府の返済能力の限界は、どこにあるのでしょうか?(後略)』

 すでにご理解頂いているでしょうが、変動為替相場制の国家が「自国通貨建て負債」の返済不能になることはありません。いわゆる、財政破綻は「財務省も認めている通り」、日本では起きません。


 過去の例を見る限り、財政破綻になるケースは、以下三つ。
1.外貨建て国債(アルゼンチン、レバノンなど)
2.共通通貨建て国債(ギリシャ)
3.固定為替相場制の国の自国通貨建て国債(ロシア)
 かつてのロシアのように「対ドル固定為替相場制」を採っていると、例えばルーブル建て国債も「ドル建て国債」と同じになります。


 さて、中野先生の寄稿を読み、さらに昨日のZUU onlineの講演後の最初の質問により、ちょっと思いついたといというか、「考えて頂きたい」ことが出てきました。


 中野先生の冒頭の引用部分、「政府の財政赤字は、民間部門の貯蓄によってファイナンスされている」という誤解、あるいは「神話」がなぜ生じるかと言えば、人類の多くが「貨幣の量には一定の限界がある」と信じ込んでいるためです。すなわち、貨幣のプール論です。


 とはいえ、現実には貨幣は債務と債権の記録、すなわち「貸借関係」であるため、発行に際して「物理的な制約」はありません
 

 無論、政府の国債発行という「貨幣発行」には、インフレ率という制約があります。(この辺りは、中野先生の寄稿の後半で解説されています) 


 では、銀行預金は? 論理的には、銀行は借り手がいる限り、「無限」に貨幣を発行することが可能ですが、もちろん「借り手の返済能力」すなわち「与信」が制約になります。
 

 それでは、なぜか日本国内に優秀な借り手、つまりは与信が十分な借り手が溢れかえっており、銀行に融資依頼が殺到する状況だったら?


 その場合でも、制約はあります。すなわち、銀行準備制度です。(90年代以降はBIS規制もありますが)
 

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 銀行準備制度とは、日本の場合、
「銀行は(発行した)預金貨幣の●%の日銀当座預金を保有しなければならない」
 というものです。●%のことを預金準備率と呼びます。


 例えば、準備率が1%で、A銀行が1兆円の日銀当座預金しか持っていない場合、発行可能な預金の最大額は100兆円。つまりは、A銀行の貨幣発行は、与信や借り手の存在と無関係に「量的制約」があることになります。
 

 銀行が貸し出せる貨幣(預金)に量的制約がある、となると、貨幣のプール論が(民間では)成立することになります。与信が十分で、融資を受ける意欲が満々の企業が溢れかえっている状況で、銀行預金に量的制限が付くとなると、普通に金利は上がります。(銀行は、金利が高い、つまりは高く買ってくれる企業に貨幣を発行する(=貸し出す)ため)


 もちろん、現在は量的緩和の影響で日銀当座預金が膨れ上がり、銀行準備制度は有名無実化しています。いわゆる、超過準備が巨額で、金利は超低迷しているにも関わらず、そもそもデフレで企業の資金需要が乏しいため、銀行は苦しんでいるわけです。


 いずれにせよ、「貨幣のプール論」からなかなか抜けきれない理由の一つは、銀行準備制度が機能し、国内の資金需要が充分であった時代(バブル期まで?)の名残があるのではないのか? というのが、昨日、考えた仮説です。皆様のご意見をお寄せくださいませ。


 ところで、中野先生が寄稿で取り上げた「アメリカ連邦政府の債務上限」にしても、銀行準備制度にしても、共に「インフレ対策」であることは注目点です。
 

 ついでに、経済学の出鱈目な「クラウディングアウト論」も、同じく出鱈目な「財政赤字は民間の貯蓄でファイナンス」も、共にインフレ抑制効果があるわけですね。
 貨幣のプール論も、財政破綻論も、「ハイパーインフレーション!」も、全てインフレ抑制効果があります。
 

 要するに「人類」は、「インフレとデフレは真逆の経済現象である」ということを理解し、インフレ抑制が目的となっている各種の言論、そして「制度」を「人類」として修正する必要があるのだと思います。(この辺りの話は、次の経営科学出版のコンテンツ「真・貨幣論」でやるつもりです)


 そういう意味で、ケルトン教授の「財政赤字の神話」の帯にあるように、「経済学のパラダイムシフト」が起きている、あるいは起きつつあるのは間違いないのだと思います。 


 とにもかくにも、日本は早急に狂った「財政赤字の神話」を捨てさらなければなりません。さもなければ、我々に繁栄の未来はあり得ないのです。

 

「狂った財政赤字の神話を捨て去ろう!」に、ご賛同下さる方は、

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