イスラエルのUNRWAに対する攻撃


こういった方針はすべて、より大きな枠組みでとらえることができます。イスラエルは、自らの入植型植民地主義のプロジェクトにおいて、入植者の支配権を揺るがぬ形で樹立しようと腐心しているのです。この枠組みになじみの深い方にはピンとくるだろうと思いますが、入植型植民地は――例えば米国やカナダ、オーストラリアのように――フロンティアにおける暴力的対立が抑えられ、私たちがそこに先住民がいる(いた)ことを忘れる時、「成功」するのですから。


そのためイスラエルは、自らの存在の根幹にかかわる問題となった難民の帰還を許しません。そのうえ国連が難民の帰還を求めてきたことを、イスラエルに対する偏見の表れであり攻撃だとみなしています。


国連がパレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)を設立した1949年時点では、難民にかかわる国連条約は存在しませんでした。UNRWAは、他の全ての難民の地位を定める1951年の「難民の地位に関する条約」に先立って作られた機関なのです。


UNRWAはパレスチナ難民をこのように定義しました。「1946年6月1日から1948年5月15日までの間にパレスチナを通常の居住地とし、1948年の紛争の結果として家および生活の手段のいずれをも失った者」。


UNRWAは西岸地区、ガザ地区、レバノン、シリア、ヨルダンの5地域で活動し、学校702校、医療関係施設143軒、女性センター40軒を運営しています。世界中にいるパレスチナ人は1000万人とされますが、そのうち540万人を占める登録難民を保護するのがUNRWAです。


イスラエルは、UNRWAの存在こそが問題の根幹だと主張してきました。パレスチナ難民が故郷に帰りたいと言い続けるのは、UNRWAが難民を(難民状態のまま)生活できるよう支え続けているからだというのです。


イスラエルがUNRWAの攻撃に持ち出してきた議論は他にもあります。たとえば、UNRWAが難民の子孫も「難民」として計上しているのはおかしい、というもの。1948年時点で故郷を後にしたパレスチナ人のうち、現在も生存しているのは5万人。残りの540万人はその子孫でしかない、というのです。


和平プロセスの交渉過程では、イスラエルは国際社会に頼って難民問題を「解決」しようとしました。イスラエルはパレスチナ難民に対する補償を国際社会に依頼し、自ら奪った土地や家を補償せずにすむよう試みました。また1967年以後のイスラエル領内に残った家族をもつ難民だけに帰還を認めようともしました。


イスラエルはまた、別の議論も持ち出してきました。曰く、イラクやイラン、シリア、レバノン、イエメン、モロッコ、アルジェリアのユダヤ人もパレスチナ人と同じく難民化してイスラエルにやってきたのであり、中東系ユダヤ人難民を受け入れたことで、出て行ったパレスチナ難民の数と相殺された、と。つまり、この議論は、中東系ユダヤ人を故郷に帰らせろという要求ではありません。「(アラブとユダヤは)お互い様だ」と示唆するための戦略だったのです。


こういった中、UNRWAを攻撃して潰し、それによってパレスチナ難民問題自体を無化したいイスラエルは、次のような行動をとってきました。


まずは先に述べたとおり、パレスチナ難民の定義を変えようとしています。1948年にパレスチナを逃れた当人だけが数えられ、その後70年の間に生まれた子孫たちは含まないようにしようとしています。


しかしUNRWAの「難民」の定義は一般的なのです。世界全体における難民のための機関であるUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)でも、同じ定義が使用されています。子孫も難民に数えられますし、難民状態が長期間に及んでいるアフガニスタンやブルンジ、ソマリア、エリトリア、ブータンなどでも例外ではありません。


イスラエルはまた、UNHCRは難民を他国に再定住させるがUNRWAはさせない、とも主張してきました。UNHCRがパレスチナ難民を管理していたら、(帰還など主張せず)他のどこかにおとなしく移り住んだだろうに、と言うのです。しかし実際には、UNHCRは今のところ再定住を求める全難民のうち1%足らずしか再定住させることができていません。どこでもいいから再定住したいのにそれが叶わない、というのは近年のシリア難民を見れば明らかでしょう。


イスラエルはさらに、UNRWAがあるからアラブ諸国はパレスチナ難民が帰還権を主張することを容認するのだ、難民に市民権を与えないレバノン、ヨルダン、シリアなどのアラブ諸国も問題ではないか、と主張してきました。これは事実と大きく異なります。ヨルダンでは、パレスチナ難民に市民権が与えられています。シリアのパレスチナ難民は、選挙権を除いてシリア人と平等の権利を持っていますし、さらに言えば独裁政権下では選挙権があろうがなかろうが実際のところ大差ありません。レバノンはというと、パレスチナ難民は大変ひどい扱いを受けています。イスラエルの主張が正しいのはレバノンについてだけです。


またイスラエルは、様々な政治的立場のパレスチナ人を広く雇用しているUNRWAを「テロリストを雇用している」とし、腐敗していると非難しています。トランプ政権もこれを理由にして援助の停止を正当化しました。政権がUNRWAへの援助を更新したのはきわめて最近、2017年12月のことだったというのに。また世界銀行は、UNRWAを「グローバルな公共善」と呼んで賞賛しています。


よって広い視野で見れば、イスラエルのUNRWAに対する攻撃は、イスラエルがパレスチナ問題そのものや、パレスチナ人の存在や、パレスチナ難民の帰還権の主張を無化しようとしてきた歴史にぴったりと位置づけられます。70年にわたる戦争や抑圧や収奪では完遂できなかったその無化の試みを、イスラエルは今、権威による布告という手段で成し遂げようとしています。


求められる未来へのヴィジョン


では、今後の動きはどうなるのか? イスラエルには現在、これまで自国だけでは成し遂げられなかったことを実現できるようサポートするトランプ政権がついています。トランプ政権は、米国が最も右翼的・レイシスト的・ポピュリスト的な姿で現れたものといえます。これは、イスラエルが同じく最も右翼的・レイシスト的・ポピュリスト的な姿で立ち現れたものであるネタニヤフ政権と噛み合っています。


そして今、トランプ政権が「世紀の取引」を提示するという話が出ています。この「取引」とは簡単に言えば、パレスチナの服従状態を恒久化するものです。パレスチナ国家もなく、東エルサレムに首都が置かれることもなく、難民の帰還権もなく、移動の自由もなく、ガザはエジプトとパレスチナ自治政府が管理する自由貿易区域になる。


残念ながら、中東における現状はパレスチナにとってかんばしくありません。アラブ諸国家は普通ならこのような条件を拒否するだろう立場ですが、勢力図が再構成された現在の中東においては、アラブの統一と安定への脅威はもはやイスラエルではなくイランなのです。したがって、現状に光は見えません。1917年、独立国家で主権者となることを思い描けた時代のパレスチナ人が夢見た民族自決の可能性は、今しも潰えようとしています。


しかしこの物語には別の側面もあります。もはや国家は手に入らないというバッドエンドの裏には、新たな自由の地平、国家という枠組みの外でパレスチナ人が成し遂げうることの可能性が広がっているのです。その新しい枠組みとは何なのか? それは想像と創造の領域です。アクティビストの領域です。芸術家や夢見る人の領域です。思えば、ほとんどの国家が民の期待を裏切ったというのがこの世界の現実なのです。国家は民を守ることができず、植民地支配を振り払いさえすれば手に入ると約束された自由を結局もたらせなかったのですから。


しかしこういった未来のヴィジョン、自由への夢のきわめて重要な種は、BDS運動の中に存在しているのです。これから至る政治的解決がいかなるものであれ、それは人間の尊厳と平等を前提としたものでなければならないとする、この運動の中に。


BDS運動には大きな壁が立ちはだかっています。この運動が大きな変化をもたらし、新たなヴィジョンや政治運動のための政治的空間を切り開いたことは間違いありません。しかしこれまでのところ、その空間は、空白のままなのです。この空間に踏み入って、パレスチナ人を新たな時代へ導き、イスラエル人も同じ土地に住んで生きることのできるパレスチナの未来や、パレスチナ人だけでなく世界全体にとってインスピレーションとなるような新しいヴィジョンを作り上げられるだけの力をもったパレスチナの政治運動が存在しません。


このことが、BDS運動や皆様のようなアクティビストにとって何を意味するのか。BDSとは、必要不十分な運動だということです。しかし、必要であることには疑いの余地がありません。BDSを除くと、今現在パレスチナ人にできることはほとんどないのです。なぜなら、BDS以外の抵抗の方法はすべて犯罪化されるか抹消されてしまいましたから。たとえば武装抵抗は権利であるにもかかわらず、例外なくテロリズム扱いされるようになってしまいました。パレスチナ人が市民ではなく軍隊をターゲットとしている場合であってもです。国際刑事裁判所での法的アプローチも攻撃されています。またご説明したとおり、外交的アプローチも凍結状態です。そのうえ、米国が占めている位置を乗り越えることは未だできていません。


しかしひとつだけ、イスラエルが米国の力を借りてもなお成し遂げられていないことがあります。それは、パレスチナ人の抵抗の意志を殺すこと。自由を望む心を殺すこと。その自由、尊厳、そして正義のために、パレスチナ人と共に闘おうという世界中の人々の連帯を殺すこと。それだけは、今なおできていないのです。


質疑応答


[質問] アメリカの議会でのBDS運動の犯罪化、罰する法律が通りそうだという話について。それが共和党・民主党ともに巻き込んでいるのか、実際に法律になる可能性があるのかということについて訊きたい。また、こういう動きに立ち向かっていくためには何ができるのか、どのように反論しているのかということについて教えてください。


反BDS法案は2つのレベルで展開しています。1つは連邦レベル、つまり米国全体でBDSを犯罪化するもの。もう1つは州レベルであり、50州中22州ほどで可決されています[注3]。


[注3] 2020年12月現在で反ボイコット法を可決しているのは30州。

legislation.palestinelegal.org


州レベルにおける反BDS法は、公的機関との契約に関連しています。ですので、公立学校の先生がBDSに関わったら職がおびやかされる危険があります。州と契約している事業者は、仕事を切られる可能性があります。州レベルではこういった形で作用します。


連邦レベルでの反BDS法案については、米国の弁護士に言わせれば、合衆国憲法修正第一条違反、すなわち言論の自由のはなはだしい侵害であることは火を見るより明らかです。もし裁判を起こされれば連邦政府側が負けるでしょう。現在、州レベルでは実際に裁判が行われており、アリゾナ州とカンザス州ではすでに州政府側が敗訴しています[注4]。


[注4] 2019年4月、テキサス州連邦裁判所も同様の決定を言い渡した。これらの判決を受け、いずれの

も反BDS法の適用範囲を狭める法改正を行うことで、裁判の継続を阻止する手段を取った(権利侵害を訴えていた原告を法の処罰の対象から外し、請求原因を失わせた)。


しかし皆様がおそらくご存じのとおり、米国の議会システムは特定の利害関係に縛られています。よって議員たちはしばしば、自身の資金源や再選に向けての道が揺るがないよう、明らかに憲法違反の法案にも賛成票を投じるのです。現在、反BDS法案を率先して推し進めているのは、民主党所属の上院議員2名――ベン・カーディンとチャールズ・“チャック”・シューマーです。民主党は米国における革新政党です。にもかかわらずカーディンとシューマーは、イスラエル・ロビーに属する有権者の歓心を買うために、憲法違反の法案に喜んで賛成しようとしています。


もうひとつご質問いただいたのは、どうやってこのような動きに反対するのか、ということでした。反対の意思を示すには、法を破ることです。不当な法は歴史上ずっと、破られることによって打ち負かされてきたのですから。人種隔離の時代、黒人は白人専用とされた席に座って法を破りました。BDS法案が通ってもまた、私たちはこれを破ります。そしてそのことで投獄や処罰を受けたとしても、この抑圧的な法の不当性を白日の下にさらすためには当然のことだと捉えるのです。


[質問] BDS運動の対象となっているのは入植地ビジネスに限定されるのでしょうか?


BDSの獲得目標が多すぎるように思います。特にパレスチナ難民の帰還権を要求することがフォーカスを外してしまうのではないでしょうか? また入植地で作られたものをボイコットするというように限定した方がより広いサポートを得られるのではないでしょうか?


このご質問には2つの側面があると思います。まず、パレスチナ人の自由を求める闘いにおいて「範囲を狭めるべき」という提言が何を意味するのか、ということ。そしてもうひとつは、これが戦略的にどのような意味をもつのかということです。


戦略的な話の方が簡単ですから、こちらから始めましょう。もしターゲットを入植地に絞る方が効果的だと思われるのでしたら、迷わずそうしてください。実際、そのようにターゲットを絞って活動してきたアクティビストは多くいます。最近の例では、ニューヨーク大学の学生たちが、占領に関与している企業だけをターゲットとした投資引揚げ決議を採択しました。また私の知るところでは、BDS Japanも入植地で生産されたワインのボイコット運動をしておられるはずです。ですから、活動を組織するにあたって「入植地だけをターゲットとする」という選択肢は常にあるのです。その方針でどんどん活動してください。効果はあるのですから。誰も「やるな」とは言っていません。


ですが、この問いのもうひとつの側面――パレスチナ人が描く自由や民族の未来のヴィジョンに何を含めるべきか、含めないかべきかを指図しようとすることには、少し危ういところがあります。パレスチナ人にとっての「自由」の核心とは、家に帰れるようになることです。難民が故郷に戻れることなのです。それが叶わない「解決」は、私たちにとってはありえません。


そして、確信をもって申し上げますが、「BDS運動は反ユダヤ主義的だ」という主張が出るのは、パレスチナ人が帰還権を要求しているからではありません。彼らの主張は、パレスチナ人がどのような形で抗議しても同じなのですが、イスラエルに対する抗議は何であれユダヤ人への攻撃だというものです。これは大きな問題です。パレスチナ人がガザでデモをしたら「反ユダヤ主義」。パレスチナ人のデモは安全保障上の脅威扱いになります。自由船団を組織してガザの封鎖を破ろうとしても「反ユダヤ主義」。ファンドレイジングも「反ユダヤ主義」。よって、BDSが「脅威」と眼差される原因は、この運動のディテールにあるわけではありません。そもそもパレスチナ人が抗議すること、我々は存在するのだと主張すること、それ自体がイスラエルにとって脅威なのです。


[質問] BDS以外の方法はあるでしょうか? 他の解決策の可能性はないのでしょうか?


先ほども申し上げたとおり、これまでのパレスチナ人による抵抗の構想はほとんどが攻撃の対象となりました。たとえば武装闘争は、軍事施設をターゲットとする限り現在でも国際的に認められる権利であるにもかかわらず、潰されました。法的手段も潰されてきました。外交的手段も行き止まりです。BDSは必要であり、それでいて不十分な運動なのだと申し上げたのはこういうわけです。


だとしても、関わっていく方法は他にもたくさんあります。皆様にはきっとそれぞれに興味関心がおありだと思います。ですから、たとえば日本のメディアに働きかけをしてもいいでしょう。パレスチナの伝統舞踊ダブケの舞踊団や子どもたちの合唱団を日本に呼ぶなどの形で、文化的つながりを促進するのもいいでしょう。東京とヘブロンの間に姉妹都市関係を結ぶことだってできます。つまるところ、BDSは要請されているキャンペーンではありますが、「パレスチナ人に尊厳、正義、自由を」というメッセージを広める方法は、他にもたくさんあるのです。


[質問] パレスチナ解放がアラブの大義として掲げられてきましたが、今はイランの動きがあり、様子が変わりつつあります。こうした動きをどう思いますか?


とてもいい質問ですね。今日の中東地域の現実を反映していると思います。その「現実」とは何か。これまで米国は、石油や貿易ルートなどの重要な地政学的リソースへのアクセス確保や、中東地域に軍事基盤を築くための駐留継続といった自国の利益を念頭に、アラブ・ブロックの共同体を分断しようとしてきました。


アラブ・ブロックが分裂し始めるのは1973年の第四次中東戦争後、ヘンリー・キッシンジャーが中東和平問題へのアプローチとしてアラブ諸国のそれぞれと個別に二国間交渉を始め、PLOを排除してからです。


その後1979年になって、エジプトが、パレスチナ側と協働することもなく、パレスチナ問題の解決も棚上げした状態でイスラエルと平和条約を結びました。続いてオスロ合意後の1994年には、ヨルダンもイスラエルと和平条約を締結し、キッシンジャーのヴィジョンを現実のものとしました。


次の重要な転機は2003年に訪れます。この年、イラクに2度目の攻撃を加えた米国は、またしても中東の勢力図を組み替え、中東における米国のプレゼンスを支持する君主国家や保守国家を中心とした国々と、反帝国主義的枠組みからこれに反対する国々とに分断しました。


イラク戦争後、ISIS(イスラーム国)の隆盛からシリアにおける内戦と地域の代理戦争にいたるまで、様々な歴史的展開が続きましたが、その中で私たちが今目にしている新たな勢力図においては、イランとサウジアラビアの間の覇権争いが緊張をもたらす主要因となっています。


この文脈においてパレスチナ問題は、(イランとサウジアラビアの)地域内対立に包摂されてしまいました。パレスチナ問題はもはや、パレスチナだけの問題ではなくなったのです。サウジアラビア・UAE(アラブ首長国連邦)・エジプトブロックの一部となったファタハが争点であり、シリア・イラン・ヒズボッラーブロックの一部であるハマースもまた争点なのです。そして残念ながら、イスラエルはもはや(中東情勢を扱う際の)最重要ターゲットとは見なされなくなりました。今や争点は、中東地域におけるこういった利害関係です。そしてこの利害関係がパレスチナ問題を定義するがゆえに、現在の構造を乗り越えることが非常に難しくなっているのです。


このことは当然ながら、人々にも影響をもたらしています。もちろん人々と政府はイコールではないのですが。そして率直に申し上げて、ここから先に進んで現状を乗り越えられるかどうかは、パレスチナの指導者たちとパレスチナの人々が、アラブ世界をどう引っ張っていくかにかかっていると思います。


[質問] イスラエルが犯している犯罪から注意をそらしたり、それを責める声をふさぐために、犠牲者としてのユダヤ人とイスラエルとを混同させるような言説がありますが、これに対してどのように反対していけばよいでしょうか?


シンプルに言えば、共感と愛を通して応答することになります。パレスチナの未来を探すこととは、ユダヤ人の存在を否定することではありませんから。むしろ、一民族だけでなくあらゆる人々を包摂する解決を見つけることなのです。


ここで問われているようなイスラエルの戦略には、国家を求めるナショナリズムの運動であるシオニズムと、宗教であるユダヤ教をいっしょくたにしようとする側面があると思います。反ユダヤ主義が実際に人々を暴力や危険に晒しているこの世界において、イスラエルはユダヤ人を守ると言って、シオニズムとユダヤ教をごっちゃにしてきました。ごく最近にも米国で、ピッツバーグのシナゴーグに集っていたユダヤ人が殺害される事件がありました[注5]。ですから私たちに求められているのは、反ユダヤ主義と闘い、それと同時に「国家建設こそが反ユダヤ主義と闘う方法である」という発想を拒否することです。


[注5] 2018年10月27日、ペンシルベニア州ピッツバーグのシナゴーグに白人の男が侵入し、銃を乱射して11人を殺害した事件。


しかしイスラエルの戦略の成功は同時に、パレスチナ人の非人間化をも前提としています。イスラエルはパレスチナ人を、他のあらゆる民族と同様に自由を求めて戦う人間としてではなく、憎悪に駆り立てられて戦争を望む非人間として描き出しています。こういった言説はレイシズムであると同時に、イスラモフォビア(イスラーム嫌悪)でもあります。パレスチナ人の闘いを、ムスリムがユダヤ教徒に対して敵対感情を持っているとして描くのですから。


ですから、イスラエルの戦略に対するベストな応答というのは、共感と愛をもって応えるだけでなく、パレスチナの闘いは自由と人権を求める闘いなのだということを強調していくことだと思います。そして、パレスチナの解放はすなわちすべての人々の解放なのだと伝えること。パレスチナ人が自由を得ても、他の誰かの自由が制限されるわけではありません。


[質問] 私の研究関心のひとつは、イスラエル/パレスチナにおける人権と平和構築の統合です。ですので大変興味深くお話を伺いました。ありがとうございます。お尋ねしたいのは、あなたにとって正義ある平和のヴィジョンとはどのようなものかということ。そしてそのヴィジョンが、BDSや話題に上がっていた他のイニシアチブが目指す人権を掲げたゴールにどうつながっているのかということです。


まず1917年以降、パレスチナ問題の解決策として語られてきたのは、3つの政治的解決策のみでした。まずは分割。続いて二国家解決案。最後にバイナショナリズムまたは連邦制をとった一国家解決案。これらがパレスチナ問題解決の指針となってきた3つの政治的オプションです。過去100年間、これを政治的問題として解決しようとするコミットメントが続いてきましたが、結局は袋小路に陥っています。


思うに、「パレスチナ問題を解決する」とは、何らかの政治的結果を打ち立てることではなく、新たな問いを立てることによって新たな可能性をもたらすことではないでしょうか。先ほど述べた3つの解決策は全て「ユダヤ人シオニストがいかにして主権を手に入れ、また維持するか」という問いに答えることを前提としていました。私が提案したいのは、違う問いを立てよう、ということです。「主権を維持するにはどうするか」ではなく、「誰もが支配せずとも帰属できる可能性をつくりだすにはどうするか」。「支配」とはすなわち主権と統治の問題ですが、「帰属」に枠組みはありません。むしろ現行秩序の枠組みを外れた、人権に基づいた解決といえます。


こういうことを考えるのなら、ゴールからさかのぼってみてもいいでしょう。つまり――今、全員で考えてほしいのですが――540万人のパレスチナ難民が故郷の地に帰ってきたと想像してみてください。ここで問題となるのは、この新たな社会をまとめあげるにあたって最も良い方法とは何か、ということです。これはパレスチナ人とユダヤ人をまとめるだけでなく、階級間格差をいかに再編するかを考えることでもあります。ジェンダー間の関係の再編や、社会において望ましいとされる人間像を再考することでもあります。健常者と障がい者がその一例でしょう。こういった問いこそが、最も実りある可能性のひとつだと考えます。そしてBDSのすばらしさは、新たな社会のヴィジョンを描くためのステップを与えてくれるところにあるのです。


>>次回につづく