人事


大統領選挙から外交の話に戻ります。バイデンの人事のお話です。日本でも組織は、人事が万事と言われます。どんな人事をやっているのでしょうか。思い出しておきたいのは、まずこのバイデンという人が8年間オバマの副大統領を忠実に務めたという事実です。だからオバマ・バイデン政権の中枢にいた人物だということですよね。それもあって、このバイデン政権はオバマ・ライトだとか、オバマ政権第3期だとか言う人がいます。でも確かに人事を見ていくとそういう気はします。バイデンがそうですし、バイデンが国務長官に指名した、先ほどご紹介した人ブリンケンもオバマ政権にいました。


その前に紹介したいのが、ロン・クレインという首席補佐官ですね。首席補佐官というのは要するにバイデンの日程を管理する人です。この男に嫌われたらバイデンに会えないんですよ。この男に気に入ってもらえたら15分会える。もっと気に入ってもらえたら30分会えるという。バイデンの周りで一番重要な人ですよね。ロン・クレインはどういう人かというと、バイデンは、副大統領の前は上院議員の外交委員長でした。その前は司法委員会にいた時期がありました。ロン・クレインは司法委員会で働いていました。だからバイデンとツー・カーです。そしてバイデンが副大統領の時の首席補佐官だったのです。だからずっとよく知っている人間を自分の身近に置いたわけです。


そして先ほど紹介したアントニー・ブリンケン国務副長官ですが、この人はどういう人かバイデンが上院の外交委員会にいた時に同委員会に勤めていました。バイデンが副大統領になったら、副大統領の外交顧問としてホワイトハウスにバイデンと一緒に入ったのです。ところが、ブリンケンが非常に優秀だというのでオバマが気に入ってしまって、オバマに抜擢されます。だからバイデンに言わせれば、「オバマ大統領が俺の補佐官を盗んだ」わけです。これは有名なビンラディンを殺害した時の写真ですよね(写真を示す)。ビンラディン殺害作戦はドローンでホワイトハウスに実況中継されたというので、それを皆が見ている写真です。これが副大統領のバイデンですよね。オバマ、一番こっちにゲーツ国防長官、ここにヒラリー・クリントン国務長官ですよね。ヘリコプターが、1機事故で壊れてしまったそうです。それでハッとしているのかもしれません(画像を示しながら)。アントニー・ブリンケンは一番後ろの方にいますよね、一番若い顔をして。だからもうこの頃からオバマ政権の中枢にいたということなのです。


このブリンケンはどういう人なのかというと、ニューヨークの大金持ちのユダヤ人の子どもです。学校はニューヨーク駐在だった方はご存知かと思いますが、マンハッタンの金持ちは、マンハッタンの公立学校は質が低いというので、普通は公立にはやらなくて、プライベートの私立の学校に通わせます。ドルトン・スクールという学校があります。幼稚園からずっとあって、芸能人の子どもとか、特別な子どもにも対応してくれる。テレビに出ているような子ども、あるいは映画に出るような子どもは、ロケの時にはしばらく休みですから、学校に行ったらその子に合わせて教えてくれる。あるいは、語学も何カ国語も勉強できるとかのようです。途方もなく授業料が高いそうです。日本でも河合塾が組んで学校を始めているみたいですが、ホームページを見ても授業料は書いていないです。ご希望の方はお問い合わせくださいと書いているから、途方もなく高いのだと思います。ドルトン・スクールというのは、そういう学校です。


次にハイスクールは、ブリンケンはパリで通いました。というのは、お母さんの再婚の関係での引っ越しでした。この方です。再婚相手は、サミュエル・ピサールです。(写真を示す)。ブリンケンはパリ育ちなのです。このブリンケンの義理のお父さんであるサミュエル・ピサールは、ある意味とても有名な人です。なぜ有名なのかというと、この人はアウシュヴィッツの生き残りなのです。ポーランド系のユダヤ人でポーランドの東の方の出身です。最初はソ連軍に占領されて、ソ連軍の占領下にいます。やがて、ドイツ軍がやってきて、ピサ―ルの周辺は皆殺しにされています。ピサール自身もアウシュヴィッツにいました。第二次世界大戦の末期には、ソ連軍が迫って来ますから、ドイツ軍はアウシュヴィッツの人たちを歩かせて、ドイツまで移動さます。その時に逃げ出して、森の中に隠れていたのです。そこで戦闘の音が聞こえたからと出ていったらアメリカ軍の戦車がいました。戦車に駆け寄って、英語の単語は3つしか知らなかったそうですが、「God Bless America」と言った。そしたら戦車に乗っていた黒人の兵隊が「よし」と言って戦車に乗せてくれて、救われた。第二次大戦中、アメリカ軍の戦車部隊で黒人の部隊は一つしかなかったのですが、たまたまその部隊に救われて、その後、ソルボンヌ大学とかハーバード大学で勉強し、卒業後に大成功を収めました。ハーバードにいたこともあって同大卒業のジョン・F・ケネディ大統領の顧問も務めたりします。ケネディが死んでからはハリウッドに移って弁護士業を開いて大成功を収めます。ハリウッドはご案内のようにスターたちは離婚と結婚を繰り返しますから、要するに慰謝料の計算をしないといけないので弁護士というのはちょっと贅沢な生活必需品なのです。ピサールはジェーン・フォンダとかカトリーヌ・ドヌーヴとか、エリザベス・テーラーとか、リチャード・バードンの弁護士をやって、大変お金を稼ぎます。


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