イーロン・マスクの保有株売却は納税のため 週刊プレイボーイ連載(499)

資産30兆円と、人類史上未曾有の大富豪になったイーロン・マスクが、6000万人を超えるSNSのフォロワーに、自身が保有するテスラ株の10%を売却すべきかを問うアンケートを行ないました。結果は賛成57.9%、反対42.1%で、マスクは約束どおり保有株の売却を始めています。

背景には、「納税義務を果たしていない」との批判があります。それを、ウォーレン・バフェットとジェームズ・サイモンズという2人の投資家の比較で考えてみましょう。

バフェットはいわずと知れた「世界最高の投資家」で、割安な株を長期保有するバリュー投資で10兆円を超える資産を築きました。それに対してサイモンズは、投資会社ルネサンス・テクノロジーズに数学の天才たちを集め、“最強のヘッジファンド”メダリオンを生み出しました。

両者のパフォーマンスを比較すると、バフェットの運用会社バークシャー・ハサウェイは1965~2018年で年率平均20.5%という素晴らしい運用成績を達成しています。しかしルネサンス・テクノロジーズの平均リターンは、それを大きく上回る年率39.1%(1988~2018年)です。これによってサイモンズは大富豪になりましたが、その資産総額は200億ドル(約2兆2000億円)でバフェットの5分の1です。

なぜこんなことが起きるのかは、税制によって説明できます。

メダリオンはビッグデータから市場の歪みを瞬時に探り当て、小さな利益を積み上げていくクォンツ系ヘッジファンドの頂点です。いったん正しいアルゴリズムを(AIが)発見すれば、あとはなにもしなくても儲かるのですから、触れるものすべてを黄金に変えたギリシア神話のミダス王のようです。

しかしこのファンドには、じつは大きな制約があります。取引額が大きくなりすぎると、自分の注文で市場を動かしてしまうのです。そのためメダリオンの運用資産額は100億ドルで、これは10年ちかく変わっていません。

運用額に上限があることで、ヘッジファンドは利益をすべて市場に再投資することができず、投資家に返還しなくてはならなくなります。あまりに成功したメダリオンは、投資家をすべて追い出して、ファンドの保有者全員が社員という「秘密組織」になってしまいました。――その結果、サイモンズの個人資産(200億ドル)はファンドの運用総額(100億ドル)の倍になりました。

ヘッジファンドからは毎年、社員に巨額の配当が出ますが、それには税金がかかります。「年収10億円のヘッジファンドマネージャー」は強欲資本主義の象徴ですが、彼らは毎年、巨額の納税をしているのです。

それに対してバフェットは、株式を売却しないかぎり「含み益」に課税されないことを利用して、無税のまま複利で資産を運用できます。両者の「逆転現象」は税コストのちがいだったのです。

「資本主義のルールは公正ではない」とする左派(レフト)は、ようやくこのことに気づいて、「富裕層の含み益に課税すべきだ」と主張するようになりました。マスクはその批判にこたえ、保有株の一部を売却して納税することを選んだのです。

さて、他の大富豪たちはどうするのでしょうか。

参考:グレゴリー・ザッカーマン『最も賢い億万長者 数学者シモンズはいかにしてマーケットを解読したか』ダイヤモンド社

*ルネサンス・テクノロジーズの創業者James Simonsは日本では「シモンズ」と表記されていますが、彼の場合は「サイモンズ」の発音になるのでそれに合わせました。

『週刊プレイボーイ』2021年11月22日発売号 禁・無断転載