アメリカのジョー・バイデン大統領のロシアのウラディミール・プーチン大統領に対するきびしい激しい発言がつづいている。3月末にプーチン大統領に言及して、「この男が権力に留まるわけにはゆかない」と述べた。4月下旬には、「この残虐な血生臭い戦争の責任をプーチンに問う」(筆者訳)とつづけている。


こうした「虐殺者」とか「戦争犯罪人」呼ばわりは、ウクライナ各地でのロシア軍の残虐行為の報道を踏まえている。ロシア大統領に対して、世界の多くの人々がバイデンと同じ感情を共有しているだろう。しかし、アメリカの大統領が自分の口で直接にロシアの大統領を罵る行為が、問題の解決に寄与するだろうか。


重要なのは、この戦争の終わり方である。アメリカがプーチンをとらえて処罰するような形で戦争が終わるとは想定できない。第2次世界大戦でドイツや日本の指導者を裁いたような結末は想像しにくい。そうした場面まで追い詰められそうになれば、ロシアは核兵器で威嚇してくるだろう。すでにロシア軍は核兵器の警戒レベルを上げたと伝えられている。ロシアの専門家の口から、その使用を暗示するような発言もつづいている。プーチン大統領が、全面的な敗北を受け入れるよりは核兵器の使用を選ぶというメッセージが点滅している。戦術核兵器と呼ばれる小型の爆弾の使用の可能性が懸念される。なにせロシアは数千発の核弾頭を保有している。かりに小型であっても、核兵器の使用は世界を震撼させるだろう。長崎の後には戦争での核兵器の使用例はない。


核兵器以外の大量破壊兵器の使用も心配だ。具体的には生物兵器と化学兵器である。すでにロシアの諜報機関は寝返った元諜報担当者を、平たく言えば裏切った元スパイのロシア人を亡命先のイギリスで化学兵器を使って暗殺しようとした。化学兵器が戦時ではなく平時に使われた。シリアでもアサド政権側による化学兵器の使用が伝えられている。核兵器と違い化学兵器はじっさいに、現実に、現在でも使われている兵器だ。核兵器よりも使用の敷居が低い。プーチンは、最後まで追い詰められればこうした兵器の利用を選ぶと想定される。


となるとロシアの一方的な敗北での戦争の終結は想像しにくい。それならば、なんらかの形での妥協をめざすしかない。つまり、交渉が必要である。最終的にはバイデンとプーチンの首脳会談も必要になる可能性もある。そうした場合に、一方が、これだけ他方を罵ってしまうと、険悪な感情が残り、それでなくともむずかしい交渉が、さらにむずかしくなるのではないかと懸念される。アメリカの大統領の言葉は重い。バイデンの自制が望まれる。


思い出すのはドウェイト・アイゼンハワー大統領である。1953~61年、2期8年の間、ホワイトハウスの住人であった。日本に原爆を落としたハリー・トルーマン大統領と、キューバ危機(62年)に直面したジョン・F・ケネディ大統領の間の大統領である。冷戦のきびしかった頃の共和党の大統領であった。それでも決してソ連の指導者の悪口は発しなかった。


理由を尋ねられると、「いつかソ連の指導者と交渉しなければならないかもしれない。悪口を言うと、感情的なシコリが残り、交渉がむずかしくなるからだ」との旨の説明をしている。


こういう時に「噛かみつく」のは副大統領の役割である。そうして国民感情の安全なはけ口となる。アイゼンハワーの場合には、リチャード・ニクソンという憎まれ役にうってつけの副大統領がいた。後に大統領になるが、再選をかけた1972年の選挙の際にライバルの民主党本部を盗聴した事件が発覚する。世にいうウォーターゲート事件である。ニクソンは大統領を辞任した。歴史に汚名を残した人物だが、少なくとも副大統領時代は大統領を温厚に見せる役割を果たした。


ソ連を罵る副大統領とクレムリンの指導者の悪口をみずからは発しない大統領の絶妙なバランスのコンビであった。アイゼンハワーの言葉を自制する知恵を、バイデンには是非とも思い起こして欲しい。


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