2022年11月25日
山形新聞への投稿――イザヤから
剣を打ちて鋤と為し、槍を打ちて鎌とせよ。(『イザヤ書』第2章第4節)
一九九〇年代、英国で核ミサイル・トライデントの配備に反対して立ち上がった女性たちの運動があった。何十人か単位で基地に押しかけ、フェンスをよじ登り、核弾頭ミサイルを金槌で破壊しようとしたのである。彼らの行動は徹頭徹尾非暴力的なものであったが、当局には大きな脅威であった。当然、彼らは目標にたどり着く前に全員検挙されたが、繰り返し仲間があとに続いた。
逮捕された者は口々に核兵器の違法性を叫び、胸を張って無罪を主張した。やがて長い裁判闘争が続き、己れのキャリアを棒に振る者も出たが、驚くべきことには、いくつかの裁判所が彼らに無罪を言い渡したのである。そしてついに核ミサイル撤去を勝ち取った。
女たちは、自らをプラウシェアーズと名のった。それは「鋤」を意味する言葉。引用した『イザヤ書』から取られたのである。この女たちの伝説的な闘争の記録からは、まるで彼らの楽しげな会話が漏れ聞こえてくるようだ。彼らは今でも、その娘たちその孫娘たちに向かって、自分たちの誇らしい闘いの物語を、楽しく語り聞かせるのであろう。子供たちは興奮に目を丸くしてそれを聴く。
さて、ヒトラーのパリ占領下での対独レジスタンスを戦い、強制収容所を生き抜いた女性アニエス・アンベールの手記を読むと、その末尾にもこの同じイザヤの一節が引用されているのだ。
かたやカトリック、かたやマルクス主義と理念の違いはあれど、両者に共通するのは、横溢する奇妙な陽気さと、前後の見境のない勇気であろう。陽気さは、危険の中にあっても信頼する仲間たちの持ち味を際立てる活動そのものの悦楽から生まれ、勇気は試練の中で同志たちが美徳を競い合う結果なのだ。地位や利得は言うに及ばず、時には家族さえも切り捨てるその厳しさは深く我々の胸を打つ(アニエスは、対独協力者になりさがった息子を義絶している)。かかる怒れるアンチゴネーたちに、永遠(とわ)に祝福あれ!
一九九〇年代、英国で核ミサイル・トライデントの配備に反対して立ち上がった女性たちの運動があった。何十人か単位で基地に押しかけ、フェンスをよじ登り、核弾頭ミサイルを金槌で破壊しようとしたのである。彼らの行動は徹頭徹尾非暴力的なものであったが、当局には大きな脅威であった。当然、彼らは目標にたどり着く前に全員検挙されたが、繰り返し仲間があとに続いた。
逮捕された者は口々に核兵器の違法性を叫び、胸を張って無罪を主張した。やがて長い裁判闘争が続き、己れのキャリアを棒に振る者も出たが、驚くべきことには、いくつかの裁判所が彼らに無罪を言い渡したのである。そしてついに核ミサイル撤去を勝ち取った。
女たちは、自らをプラウシェアーズと名のった。それは「鋤」を意味する言葉。引用した『イザヤ書』から取られたのである。この女たちの伝説的な闘争の記録からは、まるで彼らの楽しげな会話が漏れ聞こえてくるようだ。彼らは今でも、その娘たちその孫娘たちに向かって、自分たちの誇らしい闘いの物語を、楽しく語り聞かせるのであろう。子供たちは興奮に目を丸くしてそれを聴く。
さて、ヒトラーのパリ占領下での対独レジスタンスを戦い、強制収容所を生き抜いた女性アニエス・アンベールの手記を読むと、その末尾にもこの同じイザヤの一節が引用されているのだ。
かたやカトリック、かたやマルクス主義と理念の違いはあれど、両者に共通するのは、横溢する奇妙な陽気さと、前後の見境のない勇気であろう。陽気さは、危険の中にあっても信頼する仲間たちの持ち味を際立てる活動そのものの悦楽から生まれ、勇気は試練の中で同志たちが美徳を競い合う結果なのだ。地位や利得は言うに及ばず、時には家族さえも切り捨てるその厳しさは深く我々の胸を打つ(アニエスは、対独協力者になりさがった息子を義絶している)。かかる怒れるアンチゴネーたちに、永遠(とわ)に祝福あれ!
easter1916 at 02:04│Comments(0)│
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