主要各国がガソリンを燃料とする自動車から電気自動車への移行に向かって走り始めた。


たとえばイギリスである。2020年末、2030年までにガソリン車とディーゼル車の新車販売を禁止すると発表した。ディーゼル車とは石油から抽出される軽油を燃料としている。つまり、石油で走る車の全面的な禁止である。そして、すでにノルウェーが、2025年にすべてのガソリン車、ディーゼル車の新車販売を禁止すると発表している。ヨーロッパ各国が、その後を追っている。


とくに注目されるのは自動車大国ドイツである。この国は2030年という目標を公表している。アメリカでも、自動車の問題でつねに先頭を走ってきたカリフォルニア州が、2035年にはガソリン車、ディーゼル車、ハイブリッド車の販売を禁止する。つまり同州内で販売するすべての新車をゼロ・エミッション車両とするわけだ。この規定がそのまま適応されるとすると、普通のハイブリッド車もPHEV車とよばれるコンセントから差込プラグを用いて直接バッテリーに充電できるハイブリッド車も販売できなくなる。


そして中国も、同じように2035年に電気自動車以外の新車販売を禁止する。こうした世界的な電気自動車への移行が日本に強い衝撃を与えそうだ。


日本の対応を見ておこう。菅政権もジョー・バイデン米大統領の就任2週間前のクリスマスに、つまり昨年12月25日に「グリーン成長戦略」を発表した。これは2050年の温暖化ガス排出ゼロに向けた実行計画とされている。


具体的には、2050年における再生可能エネルギーの比率を現在の3倍の5~6割にしようという野心的な計画である。自動車、蓄電池、水素、洋上風力発電などの14分野での工程表が公表されている。この中で一番の目玉は自動車である。2030年代半ばまでに日本の自動車をすべて電気自動車にしようという計画である。どうも、そう遠くない将来には、ガソリン車やディーゼル車は先進工業諸国では買えなくなりそうである。


かつては石油資源が枯渇しそうだという議論もあったが、現在はシェール石油の開発もあり、石油が枯渇するという議論は下火になっている。にもかかわらず、なぜガソリン車を見捨てようとするのだろうか。


それは、電気自動車の方が環境に優しいからである。人類が石器時代から青銅器時代へ移行し、さらに鉄器時代に向かったのは、石ころがなくなったからではなく、銅器や鉄器の方が優れていたからである。枯渇していないのに人類は石油を見捨てガソリン車から電気自動車の時代へと移行しようとしているのだろうか。


この変化は、世界の自動車産業の構図を塗ぬり替えるほどの大きな衝撃となりそうである。


日本にとっては、自動車産業は長い時間をかけて育ててきた基幹産業である。現在、ガソリン車の製造には約3万点の部品が必要と言われている。その部品の製造が、日本の場合には多くの雇用を支えている。ところが、電気自動車の場合には構造が比較的に簡単になり、必要な部品の数は半減する。部品製造部門で失われるであろう雇用をどうするのか。経済的にも社会的にも深刻な問題に直面するだろう。


具体的な数字をあげよう。現在、日本では自動車製造業が91万人を超える雇用を支えている。その8割近くの69万人は部品製造に従事している。もし電気自動車が主流となり、必要な部品の量が半分になれば、単純計算で35万人近くの人々が職を失う。さらに現在の電気自動車の価格が大幅に低下しない場合には、電気自動車の方がガソリン車より比較的に高価なため、都市部での自動車離れを加速して需要の減退につながるとの懸念が自動車メーカーで抱かれている。


世界の自動車生産がガソリン車から電気自動車に移行すれば、自動車の動力原であるモーターを動かす電力源となる電池の技術が決定的に重要となる。中国が力を傾注してきた分野である。また、その製造にはレアアースが不可欠とされる。この分野でも中国が圧倒的なシェアを誇っている。ということは、電気自動車時代の到来は、中国の自動車大国としての台頭と日本の自動車産業の没落を意味しかねない。どこの国が電気自動車の時代に生き残るのだろうか。世界の自動車産業の構図が変わろうとしている。電気自動車時代の到来の意味である。菅政権のクリスマス・プレゼントの意味は、日本の自動車産業の没落なのだろうか。


-了-


※『まなぶ』(2021年4月号)38~39ページに掲載