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「岸田文雄氏の核兵器廃絶論を検証する」大久保賢一日本反核法律家協会会長・弁護士。「結局、岸田氏はこれまでの日本政府と違う何も新しい提案をしているわけではない」

2021年10月08日 | 被爆者援護と核兵器廃絶

外相時代に、核兵器禁止条約に参加しないと明言する岸田文雄氏。

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 岸田文雄総理は、広島出身の政治家として、ことあるごとに自分のライフワークは核兵器廃絶であると公言してきましたし、松井広島市長や多くの被爆者がその言葉に期待もしてきたことは

【煮え切らない内閣】広島出身で核兵器廃絶を唱える岸田首相が「国民の声を聞くと言ってるけど、全然聞いてくれない」。偽善者政治家なのが明らかになった核兵器禁止条約への発言。

にも書いた通りです。

在米の被爆者サーロー節子さんとノーベル平和賞団体ICANの川崎哲さんと面会する岸田氏。

 

 

 しかし、他方で岸田首相は核兵器禁止条約については重要な条約だと言いながら、署名するとも批准するとも絶対に言わないのも事実です。

 いったい、岸田首相の核廃絶論とはこれまでの日本政府と違う立場なのか、同じままなのか、私も理事をさせていただいている「核兵器廃絶をめざす日本法律家協会」(日本反核法律家協会)の会長で、「憲法の大久保」としても名高い大久保賢一先生が、岸田首相の「核廃絶論」をち密に分析されましたので、ご紹介します。

 

 大久保会長の結論としては

『米国の核戦略と対比して、岸田氏は何か新しいことを付加しているだろうか。米国は、核兵器の使用を「死活的利益の防衛という非常事態において検討する」としている。

 岸田氏は、核兵器の使用を「個別的・集団的自衛権に基づく極限状況下に限定する」というのである。私には、ここに違いを見出すことはできない。』

ということに尽きるでしょう。

 

 岸田首相は、いざとなれば核兵器を使うことは許されるとしています。

 ですから、岸田構想での核兵器廃絶への道筋も

『既存の枠組みで、核兵器の数を最小限まで減らそうというのである。それができていないからどうするかが問題なのに、今のままでいいのだというのである。』

というわけで、ほとんどやる気なし、と言われても致し方ないでしょう。

 

 

日本反核法律家協会
会長 大久保賢一

はじめに
 岸田文雄氏が自民党の総裁に選出された。そして、第100代内閣総理大臣となる。
 氏は、核兵器廃絶をライフワークとしていると公言している。「被爆体験というのは決して政治でもイデオロギーでもない。核のない世界を目指す思いは、被爆地においては広く当たり前のことだ」と語っている。ICANのノーベル平和賞受賞を讃えているし、サーロー節子さんとも会談している。氏の著書『核兵器のない世界へ 勇気ある国家の志』はベストセラーのようである。このような志を示した自民党総裁や首相はいなかったので、氏が核兵器廃絶者だと考えてしまう人たちもいるようである。私も、氏が核兵器廃絶のために尽力してくれるのであれば、おおいに期待したいし励ましたいとも思う。けれども、私には、そのようなは思えないのである。なぜなら、私は、彼が外務大臣の時あるいは自民党政調会長だった時、どのような発言をしたかを知っているし、その都度、その発言に対する批判をしてきた経験を持っているからである。
 私には、彼の核兵器廃絶論は、彼の主観的思い込みはともかくとして、むしろ核兵廃絶を遠ざけてしまうように思えてならないのである。だから、多くの人にその実態を知ってもらいたいのである。彼が安倍・菅首相たちとは異なるハト派の核兵器廃絶論者だという誤解が広がることは絶対に避けたいのである。
 以下、氏が、2014年、外務大臣当時に長崎大学で行った講演と2017年、政調会長当時の毎日新聞への投稿を題材にして、氏の核兵器廃絶論を検証する。なお、以下の論稿は当時執筆したものの再現である。

核兵器の使用は「個別的・集団的自衛権に基づく極限の状況に限定する」ことの含意
 2014年1月、岸田文雄外務大臣は、長崎大学で「…核兵器は将来二度と使用されるようなことがあってはならないと考えますが、核兵器を保有する国は、個別的・集団的自衛権に基づく極限状況下に限定する、と宣言することにより核兵器の役割を低減することから始め、最終的には『核兵器のない世界』につなげていくべきと考えます」と講演している。
 核兵器使用を極限状況下に限定することは、核兵器の役割を低減し「核兵器のない世界」につながるという論理である。この論理で「核兵器のない世界」は近づくのだろうか。それが問題である。

岸田講演の特徴
 岸田氏は、核兵器問題を考えるうえで二つの認識が必要だという。一つは核兵器使用の非人道性についての認識であり、二つには、厳しい安全保障環境の中で、国民の生命財産を守るためにどうするべきかという冷静な認識である。
 核兵器使用は非人道的である。だから「核兵器は将来二度と使用されるようなことがあってはならない」とされている。他方で、国民の生命財産を守るためには、核兵器に依存すること(結局は核兵器の使用)を排除していないのである。
 この二つの認識を前提として持ち出されたのが、核兵器使用は「極限状況下に限定しよう」、「核兵器の役割を低減しよう」という提案である。そうすることにより、一歩一歩「核兵器のない世界」に近づこうというのである。この提案は、核兵器の使用はフリーハンドであるとの主張と比べれば、核兵器使用の限定でありその役割の低減ということになる。岸田氏は、そのことの理解を求めたいのである。

岸田講演の矛盾
 岸田氏は「将来二度と使用されるようなことがあってはならない」としながら、その使用を認めているのである。これは矛盾である。二度と使用してならないというのであれば、「使用できない」とすることによって論理的整合性は確保できるし、人道性からの要請にも合致することになる。それをしない、あるいはできないのは核兵器の有用性を認めるからである。
 岸田氏は、「国家安全保障戦略」(2013年12月17日閣議決定)が、「世界で唯一の戦争被爆国として、『核兵器のない世界』の実現に向けて積極的に取り組む」としていることに論及している。しかしながら、それは「日米同盟の下での拡大抑止への信頼性維持と整合性を取りつつ」との条件付きなのである。この「戦略」は「米国の核の傘」に依存し続けるという宣言なのである。
 そして、米国は「核兵器運用戦略」(2013年6月19日公表)において、「米国は引き続き、米国あるいは同盟国への攻撃によって何かを得ようとしても、それをはるかに上回る逆の結末になるということを、全ての勢力に対して認識させるような信頼性のある核抑止力の維持」を確認している。核兵器に平和と秩序の保全を委ねているのである。

岸田大臣は何か新しいことを言ったのか
 岸田氏は、個別的・集団的自衛権の極限状況下での核兵器使用を容認している。これまで、政府は集団的自衛権の行使は憲法上認められないとしてきたので、集団的自衛権絡みで核兵器使用が語られることはなかった。ここに着目すれば、岸田講演は突出した物言いとなっている。けれども、この発言は、特段新しいことを言っているわけではない。元々、外務省は核兵器の使用が国際法違反とはしていないし、核兵器は核攻撃への反撃のみに使用されるべきだとの姿勢を取っているものでもない。非核兵器による攻撃であっても核兵器の使用が許されないわけではないという立場である。核兵器使用の非人道性よりも核兵器の抑止力を優先しているのである。

米国の核戦略
 ところで、米国の核戦略を指導する原則は、(1)核兵器の役割は、米国や同盟国への核攻撃の阻止。(2)米国と同盟国の死活的利益を防衛するという非常事態においてのみ核兵器の使用を検討する。(3)信頼性のある核抑止力を維持する。(4)可能な最小限の核兵器によって、米国と同盟国の現在および将来の安全保障に資する抑止を達成すること、などとされている(「核運用戦略」に関する国防総省報告・2013年6月19日)。このように、米国は、核兵器の使用は「死活的利益の防衛という非常事態」に検討するとか「可能な最小限の核兵器」で抑止するなどとしているのである。また、核不拡散条約(NPT)に加盟し、不拡散義務を順守している国に対しての核使用はしないという態度表明もしているところである。

岸田講演は何も新しいことはいっていない
 このような米国の核戦略と対比して、岸田氏は何か新しいことを付加しているだろうか。米国は、核兵器の使用を「死活的利益の防衛という非常事態において検討する」としている。岸田氏は、核兵器の使用を「個別的・集団的自衛権に基づく極限状況下に限定する」というのである。私には、ここに違いを見出すことはできない。岸田氏は、核兵器の役割を減少させる努力しているかのように振る舞っているが、既に、米国はその程度のことは政策としているのである。もちろん、米国が現実に核兵器の役割を限定するかどうかは、疑問の余地はある。けれども、公式の見解はこのようなことになっているのである。結局、岸田氏は何も新しい提案をしているわけではないのである。その無意味な提案が「核兵器のない世界」の実現に何らかの貢献をするということはありえないであろう。

今、求められていること
 2014年2月13日・14日、メキシコのナヤリットで、第二回「核兵器の人道上の影響に関する国際会議」が開催され、146カ国の政府代表、国際連合、赤十字・新月社、NGOが参加した。この会議の議長総括は次のようにいう。

・核兵器の存在そのものが不条理であり、究極的には人間の尊厳に反する。
・過去において、様々な兵器が法的に禁止されたのちに廃絶されたことを考慮に入れなければならない。
・核兵器の人道上の影響に関する包括的な討論は、法的拘束力のある文書によって新しい国際的な基準と規範を創りだす。
・核兵器の人道上の影響は核軍備撤廃努力の中心的な要素となる。
・今こそ行動すべき時である。もはや引き返すことのできない到達点である。

 国際社会において、核兵器を違法化し、その廃絶に向けた法的枠組みを創りだそうとする潮流はますます大きくなっている。これに抵抗しているのが米国などの核兵器国である。 
日本政府は、核兵器国がその気にならなければ核兵器の廃絶は無理である、核兵器国をその気にさせなければならない、そのための努力こそが求められている、一歩一歩の前進こそが現実的なのだとしている。そして、核兵器使用の非人道性を強調して核兵器廃絶を求める潮流の先頭に立つ意思は持ち合わせていない。結局は、米国の枠の中なのである。
 唯一の核兵器被害国の政府の取るべき態度としてそれでいいのだろうか。私には、どうしても、そうは思えないのである。(2014年2月28日記)

 



「保有国を巻き込む必要性」という議論の意味すること
 岸田文雄自民党政調会長(前外務大臣)が「核兵器のない世界を実現するためには、核兵器国と非核兵器国を巻き込む議論が必要だ」という意見を述べている(毎日新聞・2017年12月13日朝刊)。その主張が意味することを検討してみたい。 
 氏は、ICANのノーベル賞受賞は歓迎するし、被爆者の取り組みは尊いものだとしている。そして、日本政府も「核兵器のない世界」を目指すという大きな目標は共有しているともいう。ただ、それぞれの立場で果たすべき役割があるのだというのである。
 その日本政府の役割は、「核兵器国と非核兵器国、非核兵器国間の対立が深まる中で、それを解消し、再び協力できる道筋を考えること」だという。非核兵器国間の対立というのはNPT派と禁止条約派の分裂という意味である。
この主張についての疑問は、そもそも、核兵器国が「核兵器のない世界」のために非核兵器国に協力してきたことなどあるのかといことと、NPT派と禁止条約派の対立などどこにあるのかということである。
 核兵器国は、核不拡散には熱心だったかもしれないけれど、NPT6条の核軍縮交渉義務や完結義務を履行して来なかった。その義務は、核不拡散との取引だったはずである。核兵器国と非核兵器国の対立の深まりは、その義務を履行しなかった核兵器国にあるのであって、双方に原因を求めるのは公正でないであろう。また、禁止条約は、NPTについて「核不拡散・核軍縮の礎石」、「国際の平和及び安全促進において不可欠」としているところであって、NPTを補完するものである。日本政府、韓国、オーストラリア、NATOなどが禁止条約に反対していることは事実であるが、禁止条約に賛成している国はNPTに加盟しているのである。そういう意味では、みんなNPT派なのである。分裂という用語は一面的である。
 また、氏は「日本は法的拘束力のある条約を否定しているわけではない。ただ、核兵器国が行動を起こさないと、現実は変わらない。核兵器国を巻き込んだ既存の枠組みを生かし、実際に核兵器の数を最小限まで減らした上で、法的拘束力のある禁止条約を使って一気に核兵器のない世界までもっていく」という構想を披歴している。
 これは非常にユニークな提案である。既存の枠組みで、核兵器の数を最小限まで減らそうというのである。それができていないからどうするかが問題なのに、今のままでいいのだというのである。他方では、最小限まで減らしたら、条約を作って、一気になくすというのである。そこまで減らしたなら、そのまま減らし続ければいいだけの話で、わざわざ条約を作る必要などないであろう。こんな構想が高い評価を得たなどといわれてもにわかには信じられない。
 更に、氏は、外相時代に提唱した「賢人会議」に、来年のNPT再検討会議に提言を提出してもらいたいと期待している。この「賢人会議」が、核兵器のない世界に向けて、例えば、「NPT6条に基づく核軍縮交渉を速やかに開始しなさい」というような提言を出してほしていと期待しているのは、私だけではないであろう。そういう提言をしてこそ「賢人」の名にふさわしいのではないだろうか。NPT体制は禁止条約を包摂している構造になっているので、そのような提案に誰も反対しないであろうし、心配する対立もすべて解消するのである。
 氏は、「禁止だけを叫んでも事態は動かない。全体のバランスの中で核廃絶に向けたシナリオを描き、より実践的に核兵器を進めていくのが、日本の役割だ」と結んでいる。私は、氏の構想が核廃絶に向けたシナリオになっているとも思わない。氏のシナリオは核廃絶に向かうというよりも、核兵器に依存し続けようという呼びかけにしか聞こえないのである。核兵器国を巻き込むどころか、核兵器国とりわけ米国に取り込まれているだけではないだろうか。広島出身の岸田さんが、核兵器問題をライフワークとしていることは大切なことだと思う。願わくば、「核兵器は必要悪ではなく、絶対悪」という被爆者の声に一刻も早く応えるためのシナリオに書き直していただきたいと切望ところである。
(2017年12月14日記・拙著『「核の時代」と憲法9条』所収)

結び
 以上の紹介したとおり、岸田氏の核廃絶論は日本政府が展開してきたことと何も違っていない。氏は自民党や政府の要人であったのだから、違いがないのは当然であろう。政府は国際紛争を武力の行使で解決することを当然のこととしてその準備をしている。その政策の妨害物となる憲法9条2項を廃止しようとしている。そして、その武力の一環としてアメリカの「核の傘」を含めている。その核の力に依拠することを禁止する核兵器禁止条約については「国民の命と平和な暮らしを危うくするもの」として敵視している。国際紛争を武力で解決することも核兵器に依存することも容認しているのである。
 氏はそういう勢力の本流にいた人なのである。また、氏は、2015年、政府が集団的自衛権行使を容認する「安保法制」の制定を強行した時の外務大臣であった。安倍・菅内閣があまりにもひどかったので岸田氏というハト派にバランスをとった。「振り子原理が働いた」などと浅薄なマスコミが言いつのるかもしれないけれど、私たちは、岸田氏は、個別的・集団的自衛権行使のために核兵器の使用を容認する人だということを忘れてはならない。もちろん、ICANのベアトリス事務局長やサーロー節子さんとは会おうともしない安倍晋三氏や原爆式典で大事なフレーズを読み飛ばしてしまう菅義偉氏と比較すれば、人当たりはいいし、話を聞く姿勢も持ち合わせているのかもしれない。けれども、人の話を聞くことなど、政治家としても人としても当たり前のことであろう。私たちは、その当たり前の姿勢に目を奪われて、氏の核廃絶に対する姿勢の真贋を見抜くことを忘れてはならない。

(2021年10月1日記)
 
 

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