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弁護士・元ロースクール教授宮武嶺の社会派リベラルブログです。

安倍首相が建国記念の日に笑いを取りに来た!「長い歴史の中で、我が国は、一人一人のたゆまぬ努力により平和で豊かな国を築き上げ、自由と民主主義を守り、人権を尊重し、法を貴ぶ国柄を育ててきた」

2020年02月11日 | #安倍晋三が諸悪の根源

紀元節なんてぶっ飛ばせ!

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 「建国記念の日」が制定されたのは、いまから54年前の1966年のことで、安倍首相の大叔父にあたる佐藤栄作内閣の時に、「祝日法」改正によって祝日に加えられ、翌年1967年から施行されました。

 もともと、2月11日は戦前の「紀元節」だったのですが、1945年の敗戦で、占領軍のGHQによって廃止させられていたものを復活させたのは、右翼の紀元節復活という悲願成就のための大きな一歩でした。

 この「紀元節」とは、時の明治政府が1873年、天皇の支配を権威づけるために、天照大神の子孫とされる神武天皇(もちろん神話上の架空の人物)が、橿原宮(かしはらのみや)で即位した日としてつくりあげたもので、科学的にも歴史的にもな~~~~~~んも根拠はありません。

 

 そんなどうでもいい日に、安倍首相が

「長い歴史の中で、我が国は、一人一人のたゆまぬ努力により平和で豊かな国を築き上げ、自由と民主主義を守り、人権を尊重し、法を貴ぶ国柄を育ててきた」

「困難な課題に果敢に挑み、輝かしい未来を切り拓いていく決意を新たにしている」

という談話を発表したというので、思わず笑ってしまいました。

 

 だって、まず、日本が民主主義国家になったのって、第二次大戦に負けて日本国憲法が制定されてからの70年余りにしかすぎません。安倍首相たちは神武天皇が実在する人物と思っていて、それから2700年近く経過していると思っているらしいんですが、その中で日本が民主主義をめざした期間って3%未満ですからね(笑)。

 また、安倍首相って、自分のスキャンダルをもみ消すために必死で公文書を改ざんしたり、答弁をごまかしまくったりしているわけで、とてもじゃないけど、人権も尊重していないし、法も貴んでいません。

 ほんとによく言うよと思った次第ですww

 

 

 それにしても、今の極右団体日本会議の人達にとっては、敗戦から20年たって旧紀元節2月11日を祝日にできたのがまず悲願達成、いずれは紀元節という名前の祝日にしようとしています。

 もともと天皇制や神社神道が薩長連合が明治政府を作りにあたって、まさに「錦の御旗」としてでっち上げて利用されたものなのですが、この紀元節は神道という一宗教が国教とされた国家神道体制の中で、戦前、国民を軍国主義と侵略戦争に思想動員するために利用されました。

 今から80年前の1940年は、神武天皇即位2600年の記念の年とされました。

 当時、公募で制定された奉祝国民歌「紀元二千六百年」は、5番で

「正義凛たる旗の下 明朗アジヤうち建てん 力と意気を示せ今 紀元は二千六百年 ああ弥栄(いやさか)の日は上る」

という歌詞になっています。

 これはまさに1937年に始まった日中全面戦争を正当化し、国民の協力を強要するための歌でした。

紀元節こと建国記念日 何を祈念した

 

 

 建国記念の日と紀元節に関しては、私が百万言を費やすより、この方。

 日本の法律家の中でも一番尊敬する方の一人、うちからもリンクさせていただいている澤藤統一郎の憲法日記から、2019年2月11日の記事をご紹介します。

「建国記念の日」に、天皇制との対峙をあらためて確認する。

以下は産経の記事。

安倍晋三首相は8日、平成最後の「建国記念の日」を11日に迎えるにあたり「平成のその先の時代に向かって、私たちの子や孫の世代のために、今後も努力を重ね、よりよい未来を切り拓(ひら)いていく」とのメッセージを発表した。

産経よ。「平成最後の」は、無意味・無内容、余りに陳腐。能がないし、聞き飽きた。聞き苦しくもある。いい加減にやめていただきたい。

「平成のその先の時代」もそろそろ陳腐。「これから先の時代」ではない、「平成のその先の時代」。過去のことなら、遡って元号表記ができるのだが、「平成のその先」は元号で言えない辛さが滲み出ている。

「私たちの子や孫の世代のために、今後も努力を重ね、よりよい未来を切り拓いていく」というメッセージは、具体性に欠けるとは言え意味のないものではない。しかし、わざわざ、2月11日という「右翼の聖なる日」を選んで、この男が言うと、格別の意味を感じざるを得ない。言葉とはそういうものだ。

 

首相は「伝統を守りながら、同時に変化をおそれず、困難な課題に対しても果敢に挑み、乗り越えていく。平成の時代においても私たちはそうした努力を積み重ねてきた」と振り返った。「先人の努力に感謝し、さらなる日本の繁栄を希求する機会となることを切に希望する」とも述べた。

ここで言う「私たち」って誰のこと? アベさん、あなたは「戦前以来一貫した保守の利益誘導政治の伝統を守りながら、同時に新自由主義への変化をおそれず、専守防衛の国是を打ち破る困難な課題に対しても果敢に挑み、辺野古の美ら海を埋め立てて乗り越えようとしている。平成の時代において、私は、そうした国政私物化の努力を積み重ねてきた」というべきでしょう。

ついでに、本日(2月11日)の産経社説に目を通して見よう。何という右翼論調丸出しの、大新聞にあるまじきアナクロニズム。あたかも、新興宗教「平成天皇教」の趣き。いや「天皇宗産経派」であろうか。

《【主張】建国記念の日 国家の存続喜び祝う日に》という表題。
 御代(みよ)替わりという特別な年の、建国記念の日を迎えた。
 間もなく皇太子殿下が第126代の天皇に即位される。初代神武天皇が即位したとされる日を新暦に直して明治の初めに定められた祝日が、2月11日だった。もとは紀元節といった。
 なんという悠久の歴史を持った国に私たちは生きていることか。驚くべき、また感謝すべきことと、改めて感嘆せずにはいられない。
 歴代天皇とともに国家として続いてきたわが国の歴史をこそ、この日に思いたい。世界にもまれな国柄を誇りとしたい。建国を記念するとは、わが国の成り立ちをしのび、国家として存続していることを国民がこぞって喜び祝うことであろう。
 この日は戦後の長い間、不当に扱われた。…2月11日はGHQに認められなかった。日本が独立を回復してからも、この日はしばらく祝日として復活しなかった。建国神話を皇国史観や戦争と結びつけ、それを祝うことは軍国主義の復活である、などとして反対する勢力が、国内で強くなってしまった。
 昭和41年にようやく祝日法が改正され建国記念の日ができたが、怒号ともみ合いの国会だった。建国神話を忌避するような風潮はその後も残った。この祝日に反対する声は残念ながら今でもある。
 しかし、このような風潮は大きな間違いである。神話であれ史実であれ、建国の物語はどの国にもあってしかるべきものだ。それは国民を結びつける太い軸となるはずのものである。
 その物語を自ら否定することは、自分の国を否定することに等しい。それこそ戦後の自虐史観にほかならない。このような歴史観はいい加減に断ち切りたい。日本の安全保障への脅威が増す中、自分の国を愛せなければ国を守るという意識が高まるはずもない。
 祝日法で建国記念の日は「建国をしのび、国を愛する心を養う」とされている。連綿と続く歴史を思い、この素晴らしい国を心の底からいとおしみたい。

 

何と、愚かな「主張」だろうか。よくぞ素面で、臆面もなく、こんなことが言えたものだ。産経教信者には、日本とは天皇の国ということなのだ。というよりは、そう理解したいのだ。これはまさしく信仰の世界。その信仰においては、建国とは天皇制の成立と同義になる。「建国をしのび」とは、「天皇制の成立に思いを馳せ」ということであり、「国を愛する」とは、天皇に恭順することにほかならない。

「建国をしのび、国を愛する心を養う」べき日に、産経が「国家の存続喜び祝う日に」という社説を掲載するのは、「天皇制の成立に思いを馳せ、天皇に恭順する心を養うべき今日の良き日を、天皇制の存続を喜び祝う日としよう。天皇あればこそのこの素晴らしい国なのだから」という呼びかけである。

日本も日本国も、天皇のものではない。歴史的に日本に住む多くの人々は、天皇を意識せずに暮らしてきた。産経流の天皇崇拝は維新政府が国民統治のために作り出したものではないか。昔から、神武東征という話をおかしいと思っていた。神武(カムヤマトイワレビコ)は、苦労して賊を平らげつつ橿原神宮にまで至る。ナガスネヒコ以下、どうして賊なのか、どうして討たれなければならないのかが分からない。神武こそ、暴虐な侵略者ではないか。

先日の赤旗文化欄に、久保田貢さん(愛知県立大学・教育学)が、「建国記念の日を考える」の論説を寄稿していた。タイトルが、「天皇崇拝と軍国主義動員」「赤紙うんだ元祖フェイク」というもの。建国記念の日を、「元祖フェイク」と言っている。なるほど、そのとおりだ。建国神話をフェイクというのではない。どこの民族ももっている建国神話を19世紀に引っ張り出して20世紀半ばまで、史実として教えたことが、「元祖フェイク」なのだ。もちろん、元祖に続いて「天皇制関連フェイク」が目白押しなのだ。敗戦に至るまで、学校教育は「天皇制関連フェイク」の洪水であった。そのフェイク後遺症から抜けきることのできない、愚かな人もまだいる。たとえば、アベ晋三とか。産経とか。

こんな、産経流の愚かな新興天皇教を再び流行らせてはならない。国をどうとらえ、どう評価するかは、自分で決める。国家に押しつられてたまるものか。ましてや、アベや産経ごときに。
(2019年2月11日)

 

 

 まあ、こういう無内容かつ危険な「建国記念の日」なのですが、さすがに建国記念日ではなくて建国記念の日とされているのは、神話上の架空の伝説の一ち日に過ぎない日を建国記念日にするのは無茶だったからだという話です(笑)。

 戦前の妄想に生きている亡霊みたいな人達には早く政界から退場してもらいたもんです。

 

 

右翼の人達ってアジア太平洋戦争をした昭和天皇の事は好きそうだけど、その子供の前の天皇もその次の今の天皇の事も全く尊敬していない感じなのに、なんで神武天皇ガー、紀元節ガーって言い続けるんですかね。

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建国記念の日メッセージ「輝かしい未来切り拓く」首相

2020年2月11日 6時14分 NHK

令和初めてとなる「建国記念の日」の11日、安倍総理大臣はメッセージを発表し、「困難な課題に果敢に挑み、輝かしい未来を切り拓いていく決意を新たにしている」としています。

この中で安倍総理大臣は「長い歴史の中で、我が国は、一人一人のたゆまぬ努力により平和で豊かな国を築き上げ、自由と民主主義を守り、人権を尊重し、法を貴ぶ国柄を育ててきた」と指摘しています。

そのうえで「伝統を守りながら、同時に変化をおそれず、困難な課題に対しても果敢に挑み、乗り越えていく。新しい令和の時代においても、私たちは、そうした努力を積み重ね、躍動感あふれる輝かしい未来を切り拓いていく。私はその決意を新たにしている」としています。

安倍総理大臣は「建国記念の日」に合わせて、平成26年から毎年、メッセージを発表しています。

 

 

 

「建国記念の日」に入れ込む安倍首相が愛国心強制メッセージも…元になった紀元節は政治利用目的でつくられた“偽りの伝統”

2020.02.11 11:57 リテラ

「建国記念の日」に入れ込む安倍首相が愛国心強制メッセージも…元になった紀元節は政治利用目的でつくられた偽りの伝統の画像1
「建国記念の日」に入れ込む安倍首相が愛国心強制メッセージも…元になった紀元節は政治利用目的でつくられた偽りの伝統の画像1
「建国記念の日」を前にメッセージを公開した安倍首相(首相官邸HPより)

 きょう2月11日は「建国記念の日」として「国民の祝日」に指定されている。政府は10日、「建国記念の日」を前にした安倍首相のメッセージを公開した。総理大臣が建国記念の日に合わせてメッセージを出すようになったのは、第二次安倍政権の2014年からだ。

 安倍首相のメッセージには〈「建国記念の日」は、「建国をしのび、国を愛する心を養う」という趣旨のもとに、国民一人一人が、今日の我が国に至るまでの古からの先人の努力に思いをはせ、さらなる国の発展を願う国民の祝日であります〉〈今を生きる私たちは、先人たちの足跡の重みをかみしめ、国際社会とも緊密に連携しながら、この尊い平和と繁栄を次の世代に引き継いでいくため、能う限りの力を尽してまいります〉などと、例年通り、空虚な言葉のなかに愛国心強制の匂いがぷんぷん漂うものとなったが、さらに今年は「令和で初めて迎える建国記念の日」を強調した。

〈伝統を守りながら、同時に、変化をおそれず、困難な課題に対しても果敢に挑み、乗り越えていく。新しい令和の時代においても、私たちは、そうした努力を積み重ね、躍動感あふれる輝かしい未来を切り拓いてまいります。令和初の「建国記念の日」を迎えるに当たり、私はその決意を新たにしております。〉

 令和の新元号をめぐっては、安倍首相が独断専行に近いかたちでゴリ押しし、露骨に政治利用してきた。今回のメッセージもその一つだと言える。だが、安倍首相が「建国記念の日」について決して口にしないことがある。

 それは、「建国記念の日」の元になった戦前の「紀元節」は、たかだか70年ほどの歴史しかない“偽りの伝統”だという事実だ。

 そもそも、「2月11日」は明治時代に「太陽暦に換算した神武天皇即位の日」として「紀元節」に定められたが、戦後、GHQによって廃止された。しかし、1950年代から神社本庁や現在の日本会議の前身にあたる右派団体が中心となって、紀元節復活運動を展開。右派は国会に圧力をかけながら草の根の運動を全国化し、とうとう1966年の祝日法改正で旧紀元節を「建国記念の日」として復活させるに至ったという経緯がある。

 この紀元節復活運動は、元号法制化運動とならんで、日本会議や神社本庁における大きな“成功体験”として刻まれている。現在でも、毎年2月11日には日本会議らが呼びかけるかたちで、全国で“建国記念の日をお祝いする行事”が催されるが、たとえば昨年の2月11日に東京・明治神宮会館で行われた「建国記念の日奉祝記念行事」では、「親学」の提唱で知られる日本会議系の高橋史郎氏による講演のほか、自民党の高村正彦・前副総裁の他、右派の現役国会議員が出席し挨拶をしている。こうした「建国記念の日」の奉祝関連行事では、安倍首相の進める改憲に一丸となって取り組もうとの意気込みが語られた。一種の政治的な決起集会だ。

 つまり、「建国記念の日」は「紀元節=初代・神武天皇の即位日」という戦前の天皇中心主義的国体思想の延長であり、現在でも右派の復古的イデオロギーに利用されている。安倍首相が「建国記念の日」にあたってわざわざメッセージを出すようにしたのも、極右界隈へのアピールに他ならない。

 しかし、繰り返すが、この「紀元節」自体、科学的根拠がないのはもちろん、ハナから政治利用目的でつくられた“偽りの伝統”なのである。
「神武天皇の即位を祝う紀元節」は明治政府がつくりだしたフィクション、歴史学でも否定
 前述のように「紀元節」は明治時代の1873年に制定されたが、逆に言えば、それまで「初代・神武天皇の即位日を祝う」という大衆的風習などなかった。薩長を中心とした明治新政府は、急激な幕藩体制からの脱却と自らの権威の確立のため、天皇を利用することで政治体制をまとめようとした。そのために着手したのが「神武創業」「万世一系」「万邦無比」「天壌無窮」といった、国体に結びつけられる思想の設計だった。

 祝日もそのひとつだ。1873年に太陽暦を採用し、「年中祭日祝日」についての布告を出すのだが、なんと、新政府はそれまでの日本の"伝統的な祝日"だった五節句祝(1月7日の人日、3月3日の上巳、5月5日の端午、7月7日の七夕、9月9日の重陽)を廃止してしまった。その代わりに新たな「国家祝祭日」として設置したのが、神武即位日(後の紀元節)、神武天皇祭(神武天皇の崩御日)といった天皇信仰に基づく祭日だった。

 このとき、神武天皇の即位から年号を数える「皇紀」も同時に定められている。明治政府は神武天皇即位の年=皇紀元年を紀元前660年の太陽暦2月11日と決め、「万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」(第一条)とした大日本帝国憲法の公布をこの日に合わせることで、支配の正当化をはかったのだ。

 しかし、言うまでもなく神武天皇は架空の存在である。安倍政権下では、たとえば稲田朋美・元防衛相や三原じゅん子参院議員らが「神武天皇は実在の人物」という趣旨のトンデモ発言をしているが、『古事記』や『日本書紀』に登場する神武天皇は、ときの政治権力である朝廷がその支配の正当性を説くために編み出した“フィクション”というのが歴史学の通説だ(実際、「日本書紀」に従えば神武天皇の没年齢は127歳ということになってしまう)。さらに言えば、神武天皇の陵墓は天武、天智、持統天皇などの陵墓と比べて軽視されており、中世まで始祖として崇め奉られていた形成すらほぼない。

 ところが、この「建国神話」のフィクションは、大日本帝国憲法の発布から敗戦まで「歴史的事実」として教えられていた。最近、日本の近代史研究で知られる古川隆久・日本大学教授が『建国神話の社会史 虚偽と史実の境界』(中央公論新社)という本を出版し、その受容のされ方や当時の社会状況をわかりやすく解説している。

〈建国神話は、江戸時代に日本の未来の姿を探し求めるなかで価値を認められ、幕末の対外的な危機克服というエリート層の危機意識のなかで、国体論という、庶民を国防に動員する思想の根拠として注目されました。明治維新後には、欧化への反動や自由民権運動という反体制運動を防ぐために、国体論が憲法や教育方針に取り入られました。それらの根拠となった関係で、建国神話は「事実」という建前となったのです。
 史実となった以上、建国神話は国体論の最大の根拠として義務教育の歴史教育でも事実として教えられることになりました。そして、第一次世界大戦後になると、社会主義などの新たな反体制運動を防ぐために、小学校の日本史の授業における、史実として建国神話教育はさらに強化されることになったのです。〉(『建国神話の社会史』)

 歴史学的視点から建国神話に異議を唱える者は排斥の憂き目にあった。たとえば『日本書紀』などについて批判的研究を行った津田左右吉に対し、東京地検が尋問を行い、『神代史の研究』など4冊を「皇室ノ尊厳ヲ冒涜シ、政体ヲ変壊シ又ハ国憲ヲ紊乱セムトスル文書」として発禁押収。後日、津田と版元が出版法違反で起訴されるという事件も起きている。

 興味深いのは、「建国神話」を「史実」として叩き込まれた子どもたちも、実際には、普通に疑義を持っていたと伺えることだ。『建国神話の社会史』では太平洋戦争開戦後、国民学校での歴史教育で「国史の時間に掛図の“天孫降臨”をみて『先生そんなのうそだっぺ』と問うと、教師が『貴様は足利尊氏か』などと怒鳴って木刀で頭部を強打した」というような回想録が紹介されている。

偽りの「建国記念の日」への批判が消え去り、大衆に内面化されてしまった恐怖
 しかし、前述したように、こんなインチキな伝統であるにもかかわらず、紀元節は自民党と右派によって「建国記念の日」として復活した。

 保守派の知識人である福田恆存は、戦後、紀元節復活の論陣を張った一人だが、1965年に雑誌に寄稿した文章のなかで、いわば“開き直り”に近いかたちで正当化を試みている。2月11日=神武天皇の即位日というフィクションは、祝日化議論の当時も歴史学的見地から批判されていたのだが、これに対して福田はなんと、こんな「反論」をしているのである。

〈私たちは絶対天皇制の時代に育ちましたけれども、伊邪那岐尊・伊邪那美命の話をほんとうの話と思ったことは一度もない。天照大神のこともほんとうだと思ったことはない。神武天皇のことでもほんとうのことだと思ったことはない。歴代の天皇が百年も二百年も生きているなどという馬鹿げたことはないのですから、そんな馬鹿なことを先生が学校でむきになって教えても、本気にしない。精神薄弱児でない限りは本気にしないわけであります。だから戦前の歴史教育は間違っていたと言いますけれども、それはあまりにも国民を馬鹿にするものです。〉(「紀元節について」『福田恒存全集』第6巻、文藝春秋。旧字体は引用者の判断で改めた)

 実のところ、この文章で福田が述べる趣旨は「ウソだとわかっているが、あえてフィクションに乗ることで日本を肯定しよう」というものであり、ようは一種の精神論だ。しかし、これが笑えないのは、いまでもこうした構造が温存されていること、いや、もっとタチが悪いことに、大衆に無意識に内面化されてしまっていることだろう。

 現在では、ほとんどの人が「建国神話」はフィクションだと知っている。にもかかわらず、多くは「2月11日」が「建国記念の日」とされていることに疑問を持たなくなってしまった。マスコミがその虚構性を再検証することもほとんどない。ましてや、安倍政権を中心とする政治家たちが「神武天皇は実在した」と公言すらしているのに、大した批判も起きずに忘れられていく。昨年の改元をめぐって、天皇制の本質的な議論がまったくなされなかったのと同じである。

〈「建国記念の日」が、我が国のこれまでの歩みを振り返りつつ先人の努力に感謝し、さらなる日本の繁栄を希求する機会となることを切に希望いたします。〉(安倍首相のメッセージ)

 戦前の国体思想・全体主義のツールにされた「建国神話」は、いまなお緩やかに受容され続けている。安倍首相が「建国記念の日」に寄せた言葉は、恐ろしいほど中身がない。空虚とすら言える。だが、その空虚こそが一番あぶないのである。

(編集部)

 

 

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1 コメント

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2020-02-12 11:25:46

安倍「我が国は、一人一人のたゆまぬ努力により平和で豊かな国を築き上げ、自由と民主主義を守り、人権を尊重し、法を貴ぶ国柄を育ててきた」


おめーがそれをぶっ壊してるんじゃねーかよ 😡

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