福島第一原発をめぐる「処理水」の問題で重要なのは、その海洋放出が決まったことではない。それしかないことは、2013年に言論アリーナで田原さんと私が東電の姉川常務から話を聞いたとき、わかっていたことだ。
驚くべきなのは、その自明の意思決定がそれから8年もできなかったことである。これについて原子力規制委員会の田中俊一元委員長が、細野豪志氏との対談で貴重な証言をしている。
田中:当時私が海洋放出を申し上げた時、ある程度はやむを得ないだろうという結論に達していたんですよ。後はもう、問題が起きたら政治が責任を取ります、と言ってもらえばいいんだ、と。官邸まで私、行ったんですよ。
細野:お辞めになる随分前ですよね。
田中:原子力規制委員長に就任して2年目、2014年ごろですね。それで当時の経産大臣が、「じゃあ私がやる」と約束したから、これで片付くと思ったら、やらなかった。そしてその後、「汚染水処理対策委員会」ができて…
田中氏が福島第一原発を視察したのは2014年の12月12日なので、この「経産大臣」は宮沢洋一氏だと思われるが、原子力規制委員会がOKを出し、経産省も海洋放出するつもりだったのに、その上のレベルで立ち消えになった。規制委員会と経産省の決めた答をくつがえせる人は、一人しかいない。
政治家が数字に強くなった
この時期は、安倍首相が2014年11月に唐突に衆議院を解散し、12月14日の総選挙で圧勝した直後である。田中委員長が進言したのも、選挙のあとなら「汚染水」放出の決断ができると考えたためだろうが、安倍首相は決断しなかった。そこで時間稼ぎのために汚染水処理対策委員会をつくって時間稼ぎし、2016年に「やはり海洋放出しかない」という結論を出した(形式的には2案併記)が、首相は決めなかった。そのあと風評被害に関する小委員会ができて、これも2020年1月に「海洋放出しかない」という結論を出したが、それでも決めなかった。
昨年9月に菅首相になり、ようやく決まるという話になって、アゴラでも処理水についてのシンポジウムを開催したが、菅首相は決めなかった。これは正直いって意外だった。経産省でも東電でも「今度こそ」という雰囲気があったからだ。
このときわかったのは、処理水問題のボールは自民党にあるということだった。役所では結論は決まっているが、自民党内の合意ができないのだ。政治家と話すと「個人的には薄めて流すしかないと思うが、内閣支持率が…」という。最初は高かった菅内閣の支持率が、コロナ対策の失敗で急落したのが原因だったようだ。
これが安倍政権で自民党が変わった点である。よくも悪くも数字に強くなり、会話の中に内閣支持率や世論調査の数字が1%単位で出てくる。総選挙の結果は内閣支持率+自民党支持率で決まるという青木の法則に従うと、原子力についてはネガティブな反応が圧倒的なので、海洋放出で青木率が上がることはありえない。
つまり政治家の目的が青木率の最大化に純化し、政策はその手段なのだ。これは政治経済学でよく知られている話で、代表制のもとでは政治家が(有権者のきらう)正しい政策を決めるインセンティブがない。
この意味で、安倍首相は(よくも悪くも)日本の政治を「合理化」したといえよう。それは政策が国民にとって合理的だという意味ではなく、選挙戦術が政治家にとって合理的だという意味である。