国連安保理決議242号


イスラエルが境界を押し広げると、国連総会はすぐさま2つの決議を採択して応答しました。まず1967年7月4日の2253号決議。これはイスラエルの拡大を非難するものです。続いて10日後に採択された2254号決議。こちらはエルサレムの併合を非難し、イスラエルの撤退を求める内容でした。というのも、これらの土地を占領するきっかけとなった1967年の戦争はともかく、その後の動きはどう見ても併合であり、禁止されているはずの武力行使による領土の獲得行為だったからです。


米国の外交政策を理解するため、この当時の米国の動きを見てみましょう。米国は両決議の採択を棄権しつつ、他方では自国の大使館をテルアビブからエルサレムへ移すことを拒みました。これはイスラエルによる1967年の東エルサレム併合と境界の拡大に反対するというメッセージでした。


こうして第2の法的レジームが始まります。181号決議に代わって用いられることとなったのは、安保理決議242号でした。この決議では、東エルサレムを含む西岸地区、ガザ地区、シナイ半島およびゴラン高原を引き続きイスラエルの管理下に置き、イスラエルがこれらの国々と恒久的和平を成立させられるようになったら、占領した土地をそっくりそのまま返還すると定められました。また占領法規の中で重要な位置を占めるジュネーヴ第4条約も影響力を持ちます。ジュネーヴ第4条約、とりわけその第49条は、占領地に占領国の民間人が入植することを禁じるものです。占領国は、占領地を管理して戦争前の原状へ復帰させる目的で占領地に存在することは許されるものの、占領地の領有権を主張してはならず、占領前の人口的・政治的・経済的状態を維持しなければなりません。


242号決議の枠組みと占領法規を併せて考えれば、イスラエルはエルサレムを併合することはできないはずです。にもかかわらずイスラエルはエルサレムの土地を漸進的に収奪し、そこに住まうパレスチナ人を追い出しています。どうしてこんなことが可能になるのでしょうか?
  

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国連安保理決議242号(1967年11月22日採択)


安全保障理事会は、


中東における重大な状況に関して継続的な関心を表明し、


戦争による領土獲得を認めないこと、およびこの地域のいかなる国家も安全に存続できるような公正で永続する平和のために取り組む必要性を強調し、


国連憲章を承認するすべての国連加盟国は憲章第2条に従って行動する義務を担ってきたことをさらに強調して、

  1. 国連憲章の原則を達成するためには、中東における公正で永続する平和を確立することが必要であることを確認する。それには以下の諸原則が適用されなければならない。
    1. イスラエル軍が最近の紛争によって占領された諸領域から撤退すること
    2. すべての要求および交戦状態を終結させ、かつこの地域におけるすべての国家の主権、領土保全、政治的独立、および、武力による威嚇や武力行使を受けることなく、安全かつ承認された国境線内において平和に生活する権利を尊重し、承認すること
  2. 以下の諸点が必要であることをさらに確認する。
    • 地域の国際水路における航行の自由の保障
    • 難民問題の正当な解決の実現
    • 非武装地帯の設定を含む諸手段による、この地域のあらゆる国家の領土の不可侵性と政治的独立の保障
  3. 合意を促進し、この決議の諸条項及び諸原則に沿った平和的で合意された問題解決を達成する努力を支援するために、関係諸国と接触し、継続的に連絡を取るために中東を訪問する特別代表を事務総長が指名することを要請する。
  4. 特別代表者の活動の進捗を事務総長が安全保障理事会に可及的速やかに報告することを要請する。

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ここからは少しややこしくなりますが、あまり混乱を呼ばないようにお話できればと思います。イスラエルは2段構えの議論をしています。まずは242号決議について。この決議には、イスラエルは「最近の紛争によって占領された諸領域(territories occupied in the recent conflict)」から軍を撤退させることとあります。しかし “(定冠詞をつけて)the territories” あるいは “all the territories(領土のすべて)” とは書かれていない。このことがイスラエルに「エルサレムや西岸地区、その他占領地の全てから撤退せずとも、その一部から撤退すれば問題ない」という解釈の余地を与えてしまいました。当時の交渉を率いていた英国(国連大使)のキャラドン卿が「戦争による領土獲得を認めない(the inadmissibility of the acquisition of territory by law)」という文言を入れると、イスラエルは「その文言が入っているのは決議の前文であるから、本文と同じような法的力は持たない」と応答しました。お分かりでしょうか? 禁止の文言は前文にあるのみで、明確にこれを規定する項目は存在しないがゆえに、解釈の余地が残っているというのが、イスラエル側の法的議論だったのです。


これがイスラエルによる議論の1段目なら、2段目は何か? 占領地のすべてから撤退しないというのなら、どこからなら撤退するのか? イスラエルはここで、自分たちは「防衛可能な国境」を確立せねばならないのだと主張します。つまり、防衛に有利なように国境を変えるというのです。変えた国境はどのような形になるのか? イーガル・アロンは1967年、イスラエルが支配権を維持する「防衛可能な国境」の具体的な計画を提案しました。



右の地図のオレンジ色の部分がイスラエルの管理下とされる地域です。テルアビブからヨルダンまで、まっすぐな動線が確保されていますね。このような形で、安全保障のために東の国境の管理を維持します。また下の方でも支配を維持します。そうなると、パレスチナ人が管理できるのは黄色い部分のみです。これは1967年に出された計画案ですが、イスラエルの入植事業が進展した現在の西岸の姿に不気味なほど似ています。つまるところイスラエルは、この図の黄色い部分からのみ撤退すると言っているのです。


しかし占領法規の定めによれば、イスラエルは占領地の人口的・政治的・領土的現状を維持しなければなりません。ですから、国境を変えることはできないはずです。なのにどうして、こんなことが許されるかのように振舞うのでしょうか。イスラエルは、「パレスチナ」は存在せず、「パレスチナ人」は国際法に照らして民族ではないと主張しています。よってヨルダンの支配下に置かれた西岸にも、エジプトの支配下に置かれたガザにも主権はない。そして主権がなければ、法は適用されない。したがって法律問題ではなく事実問題として扱い、占領法規のどの部分が適用されるか、あるいはされないかをイスラエルが決めるというのです。これは法的議論としてまったくのでたらめなのですが、イスラエルはパレスチナ人への土地の返還を否定するため、この主張を押し通しています。


米国はこのイスラエルの主張に反対しているわけではないことを思い出してください。イスラエルが制裁されれば、イスラエルはアラブの正規・非正規軍を打ち負かす力を失ってしまう。イスラエルを押しとどめるために国際法を適用したら、イスラエルは交渉の切り札を失ってしまう。よって米国は、イスラエルの行動に反対すると言いながらも同国を擁護し、先ほどご説明した枠組みを用いた領土拡張を看過してきたのです。そして1980年、イスラエルは全世界を前に、東エルサレムを自国の一部、すなわち統一された首都の一部として宣言します。安保理は即座にこれを批判する2つの決議、すなわち決議476号と478号を採択します。この1980年の決議以降、安保理がエルサレムの地位や入植の違法性について何らかの決議を行うことは、2016年12月までありませんでした。2016年当時の米国はオバマ政権下で、(イスラエルの入植建設を批判した)安保理決議2334号の採択を棄権したのでしたが、このことは後ほどまたお話します。


オスロ合意


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オスロ合意

  • 「評議会の管轄は西岸地区とガザ地区の領域に及ぶものとする。ただし、最終地位交渉において交渉される事項については除くこととする」(暫定自治政府の編成に関する諸原則宣言 第4条)
  • 安保理決議2424号は記述的役割を果たすのみ
  • 暫定と最終地位交渉をつなぐのは時間フレームのみ
  • ジュネーブ第4条約への言及がない
  • PLO、東エルサレム、離散パレスチナ人の除外

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さて、第三の法的レジームです。国連決議181号、そして決議242号と占領法規には既に触れました。その後1993年に第三の法的レジーム、オスロ合意に基づく和平プロセスが成立します。今日パレスチナ国家が存在しないのは、イスラエルがオスロ合意に従わなかったからだと思っている人が少なくありません。しかしこれは必ずしも正しい認識ではありません。実際のところ、そもそも暫定自治政府原則の宣言の内容自体がひどいもので、イスラエルに現在のやりたい放題を可能とし、その領土拡大の野望を叶えるに足る力を与えてしまいました。


1978年、イスラエルがエジプトにシナイ半島返還を決めたキャンプ・デービッド合意において、メナヘム・ベギンとアンワール・アッ゠サーダートが「中東和平の枠組み」を提示しました。オスロ合意のことを詳しく追っておられる方はご存じでしょうが、オスロの和平プロセスは、この枠組みをほぼ一言一句そのまま反映したものでした。和平プロセスは5年間からなり、まず2年間暫定自治が行われたのち、3年目から国境や難民、エルサレムの扱いなどの問題を含む最終的地位交渉が開始されると定められました。


ではオスロ・プロセスの「ひどい」ところは具体的にどこなのか? まず第一に、暫定自治期間の最初の2年間と、続く3年間の間に何の関係もないということです。イスラエルの希望により、これら2つの時期は別個のものとされ、最初の2年間に何をしようが、エルサレムや難民、国境をめぐる最終的地位交渉には何の影響も及ぼさないとされました。第二に、占領法規などの国際法に一切言及がないことです。つまり、イスラエルの存在を違法とする諸規制が政治的交渉への妨げと見なされ、和平プロセスから意図的に除外されてしまいました。


まだあります。ジョンソン政権が1967年に打ち立てた安保理決議242号が事実上適用されないことです。決議242号にはイスラエルが土地を返還して恒久的平和を打ち立てるものとされていますが、実際にパレスチナ人と交渉に入ると、イスラエルはこの和平と土地の交換はそっくり丸ごとの交換を意味しないと言い出します。そうではなく、イスラエルとパレスチナが何らかの合意に達したならば、その時点で決議242号は満たされるというのです。


より悪いことには、オスロの枠組みにおいては、エルサレムのユダヤ人入植地は「入植地」ではなく「ユダヤ人居住区」とみなされています。具体的には、和平プロセス下当時のエルサレムにおけるイスラエルの入植地のうち、実に54%が「ユダヤ人居住区」とされました。ネタニヤフはこれらの入植地の存在を否定し、ユダヤ人居住区が人口増加で自然に拡大しただけだと言いますが、オスロの前提に基づけば彼は正しいのです。そしてパレスチナ側、PLOもこれを呑みました。


米国はイスラエルを守ることにコミットしているうえ、オスロの条件は惨憺たるもので、どうすればこの問題を終わらせられるのか明言されていません。この状況の中、イスラエルは新たな既成事実を次々と作り、土地の獲得をいっそう進めていきます。その一環として建造されたのが分離壁、またはアパルトヘイト・ウォールです[注1]。


[注1] 2004年に国際司法裁判所によって国際法違反と判断されている。


この地図をご覧ください。地図の左側が西エルサレム、右側が東エルサレムで、間にある緑色の線が1949年のアラブ・イスラエル戦争の停戦ラインです。1967年7月、イスラエルはエルサレム市の範囲を紫色の部分まで拡大し、さらに2000年には、青の線であらわされるアパルトヘイト・ウォールの建設を始めました。どれだけの土地をイスラエルが奪ったか、ご覧ください。これは全てオスロ合意、ならびに1967年に定められた法的枠組みに沿って行われた行為です。


こういったことは言うまでもなく入植者や入植地の増加・拡大につながりました。そして米国はイスラエルが入植を続けるための隠れ蓑を与えています。下の図をご覧ください。入植者数が激増しています。厳密にいえば第三次中東戦争後の1968年、そして入植地拡大にコミットするリクード党が初めて政権を取った1977年から、入植地の拡大と入植者の増加が続いていますね。


トランプ政権が成立するはるか前からこういったことが起こっていたわけですが、これが何を意味するのか。現在までの米国における政権のいずれも、これを止めようとはしてこなかったということです。安保理決議2334号の採択時に(拒否権を行使せずに)棄権したオバマ政権も、実はこの問題の片棒を担ぎました。


オバマ政権は2011年、ほぼ米国が用いてきたとおりの文言で入植地の拡大を非難する国連決議案に対し、政権成立後初めての拒否権を行使しています。オバマ政権はまた、安保理決議2334号で入植地拡大が非難されたのと同時期に、米国からイスラエルに今後10年間与えられる支援の額を30億ドルから38億ドルに増額しています。したがって、トランプが2017年に行おうとしていることは、一見あたかも米国のこれまでの外交方針を乱すようでありながら、実はしっかりとこれに沿っているのです。


これは、パレスチナの指導者たちが何もできなかったことの帰結でもあります。彼らは米国から距離をとることができなかった。米国が和平プロセスの25年間にわたって何をしてきたかは明白であるにもかかわらず。


また、2016年の決議2334号採択という大きなチャンスも活かせなかった。パレスチナの指導者たちは、トランプ政権がパレスチナに対して何をしようとしているのかを把握しているならば、この決議を用いてパレスチナ問題を国際的な問題に押し上げ、米国にコントロールされた二国間交渉の沈滞状態から脱するべきでした。にもかかわらず、彼らは何もしませんでした。彼らは、力で支配する指導者としてのトランプが、歴代政権にはできなかったことを何らかの形でなしとげ、自分たちにパレスチナ国家を与えてくれるはずだと期待するばかりでした。




>>次回につづく