成果主義と同じ轍

 読書タグのエントリしか書かないままにすでに2月に突入してしまいました。あれやこれやでなかなか落ち着かない状況ではあるのですが(言い訳)、昨日、リクルートのオンライン講演会で海老原嗣生さんの「「間違いだらけのジョブ型雇用 ~かつての「成果主義」「コンピテンシー」と同じ轍を踏まないために~」という講演を聴講しました。相変わらずの熱く鋭いお話でしたのでご紹介のうえコメントしたいと思います。
 端的に言えば演題のとおりのお話で、まず第一は「間違いだらけのジョブ型雇用」、つまり今一部の日本企業が「ジョブ型」と称して実施しようとしていることは欧米の一般的なジョブ型とはまったく異なるもので「間違いだらけ」だ、という話です。特に間違っているのが、「ジョブ型」はジョブディスクリプションをその中心にしようとしているところ、欧米ではホワイトカラー、特に上級職のそれはタスクを具体詳細に書くことができなくなり、かなりアバウトなものになっているのが実態なのに、これから「ジョブ型」をやろうとしている日本企業はまさに欧米企業が放棄した上級ホワイトカラーの具体詳細なジョブディスクリプションを書こうとしているところだと指摘されました(他にも評価や賃金などについて決定的な相違点をいくつか指摘されました)。
 続いて第二としては、日本の働き方は日本の人事管理や日本の社会といったものの上に成立しており、同様に欧米の働き方は欧米の人事管理や欧米の社会といったものの上に成立しているところ、今やろうとしていることは日本の人事管理や社会をそのままに働き方だけを欧米のそれに変えようとしているわけでうまくいくわけがない、かつての「成果主義」「コンピテンシー」と同じ轍を踏むであろう、というお話がありました。特に重要なのは日本企業が人事管理上強大な人事権を持っている点で、企業が一方的に配置転換を命じることによって、内部育成・内部昇進で欠員補充など多様な人材ニーズにきわめて効率的に対応してきた。したがって新規採用ニーズはエントリージョブに集中するため新卒一括採用が行われるわけで、この強大な人事権を企業が手放さない限り新卒一括採用はなくならない(日立製作所さんのウェブサイトにも2021年新卒採用のエントリーページがありますね)し、今現在の仕事や職場がなくなってもそれを理由に解雇することはできない(別業務・別職場への変更が求められる)ことも変わりはない。一方でそれでも日本企業は人事権を手放すつもりはなさそうなので、ジョブディスクリプションの変更には企業と従業員双方の同意が必要となるジョブ型に移行できるわけがないという話です。
 そこで第三の論点として「同じ轍を踏まないために」という話になるわけで、日本の賃金が年功的だというが、係長止まりの人、課長止まりの人、部長以上に行った人などに分解してみると、係長止まりの人は30代なかば、課長止まりの人は40代なかばあたりで明らかに賃金カーブが寝てくる。しかし、寝ては来るけれど完全にフラットになるわけではなくて、緩やかながらも結構な額昇給している。ここはジョブ型にして、一方的な人事異動もないかわりに昇給もないという制度を導入してはどうか、というのが海老原さんの発想です。
 具体的には、まあ30代なかばくらいで、もう課長の目のなくなった人というのはわかってくるだろうから、そういう人たちはジョブ型に移行してもらって、賃金も仕事の負荷も2割減くらいにして、ほどほどに働いてワークライフバランスを実現してもらおうというものです。賃金は下がりかつ上がらなくなるわけですが、そのジョブが存在する限りはそれに見合った賃金水準での就労になるので、高年齢になっても働き続けることができるだろうし、企業倒産などで失業の憂き目を見ても転職が容易だろうし、それに代わるメリットもあるというわけですね。生計費についてもこの働き方なら共働きが十分可能なのでそれなりに確保できるだろうというわけです。
 これはまことに海老原さんらしい、核心というか本音に迫ったさすがのご提案で、いま「ジョブ型」と言っている企業は何が困ってるのかというと、係長止まりで実際の仕事もまあその程度という人でも、今の制度だとそこそこ昇給して50代くらいになると課長クラスに近い賃金になる。あるいは役職定年でポストオフした課長さんは、やはり仕事としてはポスト課長ほどの価値のない仕事に移されてしまうことが多いわけですが、それだと賃金が仕事に見合わなくなってしまう。それをなんとかしたいんでしょ…?であれば、というご提案になっていて、これは昨年末にご紹介した八代尚宏先生のご指摘(下記)とぴったり重なってくるわけです。どこぞの「ジョブ型」を標榜する企業の「個人が担う職責を即座に報酬に反映しより大きな職責へのチャレンジ意欲を喚起」なんてスローガンよりよほど率直で好感が持てますね。その「大きな職責」が足りなくて困ってるんじゃないですか?

…いくら社員が競争しても、組織が拡大せず、その成果が乏しい低成長期には、「可能性の乏しい昇進機会をめぐり、大勢の社員が馬車馬のように働く」不毛な結果となる。今後の低成長期には、出世競争は一部のワーカホリックな社員に委ねて、大部分の社員は、各々の得意とする専門的な業務に専念するジョブ型の働き方が相対的に増えることが望ましいといえる。
…1990年代初めからの長期の経済停滞期には、過去と同じような社員の生涯を通じた教育・訓練を続けることは、もはや過剰投資となっている。
(八代(2020)『日本的雇用・セーフティネットの規制改革』p.54)

 さて昨日は私はこのあとすぐに別件の講演会が予定されていたので質疑応答の途中で退席せざるを得なかったのですが、できれば確認したかったこともあり、それも含めて若干コメントしたいと思います。
 海老原さんのご提案の最大のポイントは「係長止まりでジョブ型に移行する人(ノンエリート)と課長以上を目指してメンバーシップ型を継続する人(エリート)を分ける」ところにあるわけですが、最大の疑問はその「分ける」部分はジョブ型なのかメンバーシップ型なのか、という点です。ジョブ型であれば企業と従業員の合意のもとで決めるわけで、まあ従業員にどうしますかと聞けば大半はエリートを選択するでしょう。これは就職前の教育まで含めてエリートを目指して人的投資をしてきたことを考えれば当然そうなるわけです。となると、労働契約の変更に合意ができない以上は、従前のメンバーシップ型を継続せざるを得なくなるわけですが、これでは所期の成果を達成できたとは言えそうにありません。そこで次なる手段としては企業が従業員に対して個別にノンエリートを選択するよう説得するという話になるわけで、これはまあ今「ジョブ型」を標榜しているお会社もそうお考えなのではないかと推測します(だからやたらに1on1が強調されているのではないかと邪推。上司はたいへんだよね)がそれはそれとして、これも30代なかばのタイミングで単純にやるとライフイベントとの関係もあって「女性≒ノンエリート」に固定してしまいかねないなと心配することしきり。「ジョブ型」はもっと上の年齢層を想定していると思われるのでそこは大きな問題にならないかもしれません(つか現時点ではそのあたりはすでに男性ばかりだよねきっと)。
 ただ、ノンエリートを選択することで別の部分(ワークライフバランスとか転職が容易とかいう曖昧なものではなく明確なもの)で恩恵があるということであれば話は全く異なってくるわけで、たとえばかつて60歳定年延長とセットで55歳からの賃金は大幅ダウンとかいう話は普通にありました。ここでも、たとえばノンエリートを選択すれば定年廃止か70歳定年を選択できますとかいう制度であればそちらを積極的に選択する人は出てきそうです(女性に偏る可能性は依然としてありますが)。今回「ジョブ型」をやりますと言っている企業の中でも、三菱ケミカルさんは定年延長や将来的な定年廃止をセットで考えているらしく、そうなればむしろ(「ジョブ型」であってもなくても)仕事を楽にして賃金を下げる仕組みは相当必要性が高いだろうなとも思えるわけです。
 逆にそういう話でもないかぎり、ここまではやはりメンバーシップ型で企業が一方的に「あなたはエリート、あなたはノンエリート」とやらざるを得ないのでしょう。とりあえず賃金を下げなければ「あなたはもはやどんなに頑張っても係長止まりに決めましたから今後はずっとこの同じ仕事でほどほどに働いてワークライブバランスを充実してください」というのも企業のご自由ではありましょう。現実の問題として、八代充史先生が指摘された「隠微なファストトラック」みたいなものはあちこちで見られるわけで、もはやこの先昇進昇格のチャンスはありませんということになったなら、黙って期待を持たせたままで働かせ続けるよりは、そうはっきり伝えたほうがフェアなのではないかとか、本人のためにもいいのではないかという考え方もあると思います。
 いっぽうで賃金を下げるとなると、さすがに「仕事もそれに見合った楽なものにするから」では済まされないのではないかという気がします。海老原さんのご提案のもう一つのキモが30代なかばくらいまではメンバーシップ型で企業の内部人材育成力を活用するという部分で、これは確かに日本企業の競争力の源泉の一つなのでフルに生かしたいところではあります。ただ、メンバーシップ型とジョブ型を接続することの不具合というのもあって、ここがその一つですね。30代なかばまではメンバーシップ型で企業に人事権があるので、ノンエリートに区分された従業員にしてみれば「そんな私に誰がした」という話になって当然でしょう。でまあそれは企業がそうしたとしか言いようがない。特に現状の日本企業においては、エリートに選抜されなかったのは従業員本人の能力不足などではなく、能力を発揮して成果を示せるような仕事・ポジションを企業が付与しなかったから、というケースも相当出てきそうです。そういう状況で、一方的にノンエリート指定するところまではともかくとして、賃金を下げるような形で業務を変更することがフェアかというと、まあなかなかそうは言えないのではないかと思うわけです。
 もう一つの不具合はすでに書いたことと関連しますが、ノンエリートに区分された人の30代なかばまでの人材投資はかなりの部分過剰投資になってしまうという点ですが、これは全てがムダになるわけではなく、また現状に較べればその後の過剰投資はかなり削減できるわけなので許容すべき範囲なのかもしれません。
 今日のところは海老原さんのお話に関する感想ですが、私なりの意見は明日以降エントリを改めて書きたいと思います。