最近の日経から

 最近の日経新聞から2題ほど。まずは一昨日の朝刊に掲載された「雇用と賃金、二兎を追え」と題するコラムです。上級論説委員水野裕司の署名がありますな。

 コロナ禍による先行きの不透明さから今年の賃上げは減速しそうだ。…景気が落ち込むと経営側が「雇用か賃金か」と迫り、労組も雇用の確保を優先して賃上げ要求が鈍る。1990年代初めのバブル崩壊以降、およそ30年にわたってこのパターンが繰り返されている。
 「賃金」より「雇用」を労使が選んできた結果、賃金の伸び悩みは明らかだ。厚生労働省の毎月勤労統計調査によると、正社員の2020年の月間現金給与総額(名目賃金)は00年と比べて1.0%の減少となっている。
 先進諸国と比較すると、日本の賃金はその低迷ぶりが突出している。…賃金を上げて消費を刺激し、生産活動を活発にして雇用や設備投資の増加につなげ、それがまた消費を下支えする――。政府はそうした「経済の好循環」をめざしてきた。だが、起点の賃上げは安倍政権下でベアの復活など一定の動きがあったものの、「好循環」の実現には焼け石に水だったのが実態といえる。
 賃金が力強く上がらない根本の原因は生産性の低さだ。就業者が1時間あたりに生む付加価値を示す労働生産性で、日本は統計をさかのぼれる1970年以降、主要7カ国(G7)のなかで最下位が続く。企業の付加価値創出力が弱いため、労使は限られた人件費の配分にきゅうきゅうとする。「雇用か賃金か」の二者択一の議論になってしまうのはそのためだ。
 では、なぜ企業は、高めの価格で売れる独創的な製品やサービスを生みだす力が乏しいのか。ひとつは個人の創造性や熱意を引き出せていないことがある。もうひとつは雇用の流動性が低く、組織が同質の人材で構成されていることだ。イノベーションに必要な多様性を欠いている。
 2点とも、温床になっているのは日本型雇用だ。根強く残る順送り人事と年功賃金は個人のモチベーションを下げ、外部から異質な人材が入ってくるのを阻んでいる。
(令和3年2月17日付日本経済新聞朝刊から、以下同じ)

 相変わらずの論調でまあねえという感じなのですが、私はこれは話が逆だと思っていて、生産性が低く計測される原因が賃金が上がらないことではないかと思っているわけです。要するにごくごく大雑把に言えば「付加価値≒賃金」(さすがにここまで雑だと怒られそうですが)なんだから、賃金が上がらなければ生産性の数字も上がらないよねという発想です。
 じゃあそれはなぜかというと「なぜ企業は、高めの価格で売れる独創的な製品やサービスを生みだす力が乏しいのか」という話に関係してきて、「高めの価格を設定すると売れないから」だろうと思っているわけですね。創造性やら多様性やらの問題もあるかもしれませんが、iPhoneにしたって5Gにしたって日本企業の製品・サービスじゃないし魅力的なはずなんだけど高いと売れないから楽天モバイルの宣伝で米倉涼子が叫んでいるわけだし、各社とも残価設定型のプランとか作って店頭価格を抑え込んでいるのもそれでしょう(すみませんこのあたりもかなり粗っぽい表現です)。電気機器の軽量化とか省エネ化とかも年々進んでいるけれど価格は横ばいで、企業の研究開発投資が全然回収できていない。技術革新が賃上げにつながる企業の利益ではなく、価格維持という形で消費者にあらかた持っていかれているのではないかと思うわけだ。サービスにしても同様で、お客様の無理難題に笑顔で応えても「スマイル0円」。これで生産性が上がるわけないよねえと、まあそういう話。違うのかしら。
 実際問題、アベノミクス前の円高の時期にも、海外では値上げしてもそれなりに売れていた日本製品というものもかなりあったわけで、「企業の付加価値創造力」が数字で測定されている生産性で判定できるのかどうかは疑問だろうと思います。
 まああれだよね、賃金が低いから消費が伸び悩んで経済の好循環が回らないと言うのであれば、雇用が確保され安定的な賃金上昇が見込める日本型雇用をやめたり減らしたりするのは理屈が合わないと思うわけですが、そうでもないのかな。

 こうした賃金が抑えこまれる構造も、いよいよ温存できなくなるとの指摘がある。日本総合研究所の山田久副理事長は次のように話す。「コロナ危機対応の各国の財政支出は巨額に上り、感染収束後も債務返済の財政緊縮で数年は成長率が落ちる。貿易量は伸び悩み、日本経済は外需に頼れず内需主導の成長ができるかが問われる。このため賃金の上昇は欠かせなくなる」
 雇用維持のため賃金を下げる、という従来のやり方は自殺行為になりうるわけだ。

 いやいやいやいや山田先生は「賃金の上昇は欠かせない」と言っているだけで「雇用維持しなくていい」とは言ってないだろ?山田先生が言っておられるのは賃金総額の上昇であって、個別に賃金が上がる人がいれば雇用が維持されず失業する人が増えて賃金総額は下落してもいいなんて言ってませんよね?

 賃金低迷の根にある日本型雇用は「期待」を軸に会社と個人が結びついたシステムだ。会社は勤続年数に応じた社員の技能向上を期待し、年功給を採用。社員も「長く勤めていれば報われるときが来る」といった期待を抱き、会社も順送り人事や年功賃金で応えてきた。
 だが技術革新が速いデジタル社会になり、社員が蓄積する技能は通用しなくなるリスクが増している。日本型雇用の根幹である企業内での長期的な人材育成を堅持するのは今や難しい。会社と社員が漠然とした「期待」をかける仕組みは土台が崩れている。
 企業が自律的に成長し、雇用と賃金の二兎を追うための制度づくりを労使は先送りしてきた。春の労使交渉で遅ればせながらその一歩を踏み出せるかが問われる。

 これもまあいつの話をしているやらという感はあるわけで、同じものを相手にして、こうやって「相変わらずの順送り人事と年功賃金」と言う人もいれば、「日本型終身雇用はとっくに崩壊している」と言う人もいるわけだ。でまあそれが同じ新聞社に在籍しているあたりがなんとも味わい深いわけですが、もちろん企業労使は「企業が自律的に成長し、雇用と賃金の二兎を追うための制度づくり」に尽力しているわけですよ。それがうまくいっているかというと、いつぞやの成果主義騒ぎを思い出すとあまり楽しい気分にはならないわけですが、まあ人事管理というのはベストプラクティス、トライアルアンドエラーなんだということでご容赦願えればと思います。まああれだなまずは新聞社が「技術革新が速いデジタル社会」で「企業が自律的に成長し、雇用と賃金の二兎を追うための制度」を見せてほしいもんだと思います。もう一つ書くつもりでしたが時間切れにつき明日以降に「先送りし」たいと思います。