D. James "Che Guevara: A Biography": 最初期で最も明解な視点を持つ伝記

Executive Summary

D. James "Che Guevara: A Biography" は、1969年、ゲバラの死の直後に出た伝記。本書の最大の特徴は、明確な視点と答えるべき疑問を持ち、それをきちんとときほぐしていること。ゲバラの無謀なボリビア作戦の謎を中心に、ゲバラにまつわる疑問を著者は解き明かそうとする。

ゲバラに対する評価は低い。理論は付け焼き刃で頭でっかち。それを愚直にやる以外のことができない。軍事的にも特に独創性はなく、他人のお膳立てに乗っかるだけ。それを自分の実力とかんちがいし、その思い上がりをかかえて出かけたボリビアで、自分の愚かさに殺される形で死んだ。それはロシアのインテリテロリストにもにたニヒリズムだった。

はっきりした視点を持つことで、ときに些末なディテールの集積に陥るアンダーソン版の伝記に比べ、非常に見通しがよい。その論旨に賛成だろうと反対だろうと、議論の基盤として使える情報と論理があり、読者が自分の立ち位置を見極める意味でも参考になる。ただし、著者は反共メディアをずっと運営してきた人物でCIAとも関係が深い。彼がこの伝記を書けたのは、チェの死後にボリビアで捕獲された文献をCIAに見せてもらえたから。そうした著者の立場は知る必要がある。

はじめに:ゲバラ死亡直後の批判的伝記

いちばん分厚いゲバラの伝記を読み終えたあとで、あとは国産のショボい (本当にしょぼい) 伝記群をまとめて処理して、もうゲバラとはおさらば、と思っていたら、Abebooksに注文して忘れていた、その他の英語版ゲバラ伝が2冊届いてしまったので、行きがかり上、やっつけざるを得ない。

ということでまず手に取ったのが、Daniels James "Che Guevara: A Biography" だった。

が、アンダーソンの決定版を読んだあとでは、他のはそのお手軽端折りバージョンにしか成り得ないのでは、とたかをくくっていた。特に、今回扱うやつはゲバラの死の直後に出たものだ。資料も少ないだろうし、話を聞く相手にも限界あるし、その後の状況なんか知るよしもないだろうし……

その予想はこの伝記については外れた。この伝記は、アンダーソンのものとはちがうアプローチでゲバラに挑んだものだ。かなりニュートラルに、あまり価値判断をせずにゲバラの生涯を語ろうとしたアンダーソンのものに比べ、こちらは明解な視点を持つ。それは、基本的にはゲバラに批判的な視点ではある。この伝記が出た1960年代末、すでに世界的にゲバラの神格化とアイドル化は始まっていた。この著者はそれを批判する。ゲバラなんて、大した能力も実績もない甘ちゃんだよ、と。

それを正しいと思うか否定するかは読者次第。でもアンダーソン版みたいに、いろいろ情報量は多いけど「いったいぼくは何のためにこんな話を読まされているのかしら」的な部分が多々あるものと比べて、すべての部分に必然性があり、明解。古いけれど、ぼくはこちらの伝記のほうが好きだ。

もちろんその大きな理由は、ぼくがこのジェイムズの見方にほぼ賛成だから、ということもある。

本書の問題設定:なぜゲバラは無謀にもボリビアに?

これは1969年、ゲバラの死の直後に出た伝記となる。アマゾンで検索して登場する伝記の中では最古。そして確かに、資料その他は限られている。たとえば、ボリビアのジャングルで這いずって死を迎える前に、ゲバラはコンゴでパトリス・ルムンバ配下のゲリラたちを率い……るはずが、六ヵ月で失敗して逃げ帰ってくる。いまはその事情はよく知られているけれど、この伝記の自伝ではまだ詳細は明らかになっておらず、ゲバラのコンゴ日記も出ていない。だから、コンゴについての記述は、伝聞情報だけの2ページで終わっている。

だがその一方で、あちこちの細かい話がわかったからといって、別にゲバラについての理解が深まるわけじゃない。コンゴに行く前にアルジェリアに立ち寄ったとか、チェコにいたらしいとかいうのを知ったところでどうなる? コンゴの「革命」戦士たちがいかに無能だったかを30ページ読んだところで、ゲバラについて何か新しいことがわかるわけではない。

そして、この伝記の最もよいところは、さっきも述べた通り、視点が明解なところ。この伝記は、答を出したい一つの謎がある。その謎とは:

なぜゲバラは、最後に自殺行為なのがどう見ても明らかな、ボリビアなんかに出かけたのか?

この問題設定のために、ある意味で本書の構成はとってもアンバランスだ。後半が全部ボリビアの話になっている。その一方で、当時はまだチェ・ゲバラはボリビアなんかで何をしていたんだ、という雰囲気もあり、またキューバとしても、ゲバラがボリビアで南米総蜂起に向けたゲリラ戦を戦い、米帝とその手下たちの卑劣な暗躍により悲劇の死を迎えた、というのをめいっぱい宣伝していたときでもある(おそらく、『ゲバラ日記』邦訳が原著公開直後に何種類も乱立したのは、その宣伝工作の一環)。だからそれを焦点にするというのは、理に適っていたんだろうとは思う。

 

そして本書がこの問題に対して出す答は一言。

坊やだったからさ。

坊やだというのはどういうことか? それはつまり、あらゆる面で実務能力のない、観念的な理想主義だけの無能だということだ。そして、それを説明するにあたり、ジェイムズはぼくが抱いていた疑問(アンダーソン版伝記評の中でも、ぼくが不満を述べていたもの)について、かなり明解な分析を提供する。それは次の3つ:

  • ゲバラの思想とその形成史
  • ゲリラ戦士としての戦術・戦略的能力
  • カストロとの確執

視点その1:ゲバラの思想は青臭い付け焼き刃で借り物

まずゲバラの思想だ。ゲバラはキューバ革命の立役者ではあるけれど、でも生まれは成り上がりながらもブルジョワ上流家庭、いいところのボンボンで、お遊びで何度も大学を休学してまでバックパック旅行をさせてもらえる結構なご身分。そりゃその道中で、これまで知らなかった社会の格差を見て、義憤をたぎらせたりはした。でもそんなの、高校生から大学生にかけてみんなかかる、社会主義の水疱瘡みたいなもんだ。

この人は、喰うに苦労したことはほぼない。つーか、まともに仕事をしたことが一度もない。バックパック旅行道中で、お金がなくなってちょっとバイトしたくらいだ。貧困や社会の実態についても、何も知らなかった。毛沢東みたいに農村調査をきちんとやったりもしていないし、ろくな勉強もしていない。カストロみたいに、大学時代からずっと学生運動をやってきて、とかいうわけでもない。

結局、ゲバラの「思想」というのは、本当に何か体験に根差すものでもなく、また何らかのデータや理論に基づくものでもない。付け焼き刃の借り物だ。本書には、ゲバラが二度目の南米御大尽旅行の中で、5ちゃんねらーどもが聞きかじりネタで他人をけなすように、ろくに知りもしない地元の共産主義団体をけなしてまわっている発言がいろいろ紹介されている。そしてそこから彼は突然先鋭化し、メキシコでカストロに会い……あとは歴史の知るとおり。

ゲバラは理想主義者だったと言われる(それが何かいいことであるかのように)。それはつまり、現実知らずで硬直的だということだ。なぜかといえば……本当に彼が現実を知らなかったからだ。だから人に聞いた理屈をそのまま硬直的に適用するしかできない。そしてそれが失敗したら、それは他人のせい。たとえば米帝とか、努力の足りない同志とか。革命精神さえあれば何でもできるはずだ——

カストロは、何度か蜂起してはバチスタ軍に叩き潰され、失敗を繰り返す中で一応学んではいる。ゲバラはちがう。だから彼の青臭い思想というのは、その後の彼の活動において重要なポイントになる。

では、その急に先鋭化するような入れ知恵をしたのはだれ? そのための下地はどうやってできたか? 本書は、いくつかの大きな影響を指摘する。

エルネストくんの下地を作ったのは母親。

エルネストくんと母親の結びつきはきわめて強かった。それは、エルネストが長男だったのと、その生涯続いたぜん息によりいろいろ手間がかかったせいもあるだろう。この二人のつながりはやたらに強く、そのためゲバラ家の他のメンバー(旦那も、そしてエルネストの兄弟姉妹も)はほとんどかまってもらえない状態だったという。

その彼女は、もともと左翼活動家的気質があった。しょせんはブルジョワ奥様のお遊びではあるけれど(それと成り上がりへの冷たい目に対する反発)、でもあれこれ家を変なサロンに仕立てて、左がかったボヘミアンどもをたくさん出入りさせていたし、ペロン主義でアルゼンチンがあれこれ荒れていたときには投獄されたりもしているほど。そして、ゲバラが左翼活動家になり、ヤバい活動に身を投じるのについて、父親は当然怒ったし、ふざけんな、さっさと帰ってきて医者になれ、と言っていたけれど、母親は喜んでむしろ煽っていたほど。彼女は、ゲバラの活動をずっと支え、応援し続けていた存在で、ある意味でエルネスト・チェ・ゲバラはマザコンで、母親に半ば操られていたようなものとさえ言える。

リカルド・ローホ:ゲバラの洗脳者

『モーターサイクル・ダイアリーズ』の解説とかで「この旅行から戻ってゲバラは別人となった」みたいな記述がある。でもそんなのは大嘘だ。『モーターサイクル・ダイアリーズ』の時点で、ゲバラはひたすらボンボンの御大尽金持ち旅行をしていただけ。そして戻ってきたときにはモラトリアムを満喫していて、親にうるさく言われている医師試験さえさっさと終えたら、2回目の旅行に出たくてたまらなかった。

でもその2回目の南米バックパック旅行で、決定的なできごとがあった。もともと、この2回目でも彼は、最初のオートバイ旅行をいっしょにやったグラナードとベネズエラで落ち合う予定だった。そしてその前段で彼はボリビアに入る。その時点でゲバラはすでに反米左翼思想を抱き始めてはいたけれど、しょせんは青臭いブルジョワ大学生の水疱瘡みたいなものでしかなかった。が、彼はボリビアからベネズエラに行くのをやめて、グアテマラに向かうことにする。それが彼の、アルゼンチンでの生活との決定的な別れだった。

それを説得したのがリカルド・ローホという、ボリビアに逃げていた反ペロン主義の左翼活動家だった。彼は後にゲバラの伝記とかを書くことになり、この当時の話を回想している。彼はゲバラに見込みがあると思って、単なる反米かぶれだったゲバラに、南米政治について系統的な講義(=共産主義洗脳)をたくさんほどこした。このローホの説得により、彼はグラナード=故郷とのつながり=医学という普通の生活を捨てて、政治的な選択としてグアテマラに向かうことになる。彼がゲバラの思想的基盤を形成し、そしてその行動を大きく変えることになった。

(なお、アンダーソンはローホのゲバラ伝が、葬式景気に便乗した拙速な代物で、脚色が多くて信用できないとしている。アンダーソンはロホの役割が決定的ではなく、たまたまこのあたりで何度か顔をあわせた程度としており、この時期の前から先鋭化は始まっていてそれがじょじょに深まったという印象を与えている)

最初の奥さんイルダ: ゲバラ先鋭化の立役者

そのグアテマラで出会ったのが、最初の奥さんイルダ。彼女は、女性として以前の婚約者(『モーターサイクル・ダイアリーズ』の冒頭で、ゲバラが恨み言をいろいろ言っているのは、彼女がその婚約を破棄したせいだ)とも、後の奥さんアレイダとも全然ちがう。この二人は美人で、白人で、年下(最初の婚約者は十代)。それに比べて、イルダは年上で、中国と現地インディオの値が入ったちんちくりんのブスだ (とこの伝記は明言するし、写真を見てもそれは否定しがたい)。二人目の奥さんアレイダは、イルダにライバル意識をたぎらせていたけれど、初めて会ったとき「勝った!」と思ったとのこと(涙)。

でも彼女はすでに、グアテマラでいっぱしの左翼活動家だった。そのときのエルネストくんにとっては、それがきわめて重要だったし、そこに母親の姿を見ていたのかも、とこの伝記は述べる。生活面、肉体面、金銭面、人間関係、その他あらゆる面で彼女はチェ・ゲバラの左翼活動家としての地位を支援し押し上げたし、思想的にもゲバラを先鋭化させた。彼女はまちがいなく、チェ・ゲバラを造り上げた最大の立役者だ。カストロに引き合わせたのも、このイルダだ。

カストロ:背中の一押し

そしてもちろんカストロだ。カストロとゲバラの関係についてはいろいろ書かれているのであまり書かないけれど、ゲバラが最後までカストロに心酔し、DV共依存にも似た関係を作っていたのはまちがいないこと。最後に実際の戦闘活動に参加するよう背中を一押ししたのは、まちがいなくカストロだ。彼はゲバラに、舞台を与えてあげた。教練を受けさせて、他のキューバ人をさしおいてグランマ号にものせてあげて……

視点その2:ゲバラのゲリラ/革命戦士としての戦略・戦術能力

通常、チェ・ゲバラというと、キューバ革命における司令官/コマンダンテとして知られている。キューバ革命を成功に導いた、伝説のゲリラ指揮官というわけなんだが……それってホント? 具体的に、どういう成果を挙げているの? これはぼくも大変に興味のあるところだった。この伝記は、それを特だしして検討する。そしてその答えは:大したことねえよ、というもの。

ゲバラの実戦経験はたった2年!

まず彼が指摘するのは、ゲバラの戦歴のあまりの短さと、その活動の範囲のあまりの狭さだ。同じくゲリラ戦の軍事指導者としても名高い他の人々と比べると、あまりにその経歴は短く狭い。

たとえば毛沢東は、毀誉褒貶はどうあれ、八路軍の親玉として長期にわたり、日本軍や蒋介石軍を相手に戦い続けた。その戦歴は20年におよび、その活動範囲は、「八路軍」と言われるだけあって中国ほぼ全土に及ぶ。ベトナム戦争の英雄、ホー・チ・ミンやボー・グエン・ザップだってそのくらいの戦歴を持ち、最初はフランス、次にアメリカと、強大な敵を相手取り20年以上にわたる激戦を展開した。いっしょにするなと言われるかもしれないが、ソ連赤軍の立役者トロツキーだって十年以上にわたるゲリラ・軍事キャリアを持つ。ポルポトだって20年近く。

ところがゲバラはどうだろう。カストロたちがグランマ号でメキシコからキューバに漂着し、キューバ独立までわずか二年。彼のゲリラ戦経験は、それがほぼすべてだ。しかもその戦場は、広く見てもキューバの半分程度でしかない。毛やザップに比べると、あまりに見劣りする、というか比べること自体が不敬なくらい。実は、同じキューバ革命の同志の中でも、別に傑出した経験を持つわけじゃない。知名度はガクンと下がる、キューバ革命第三の男、カミーロ・シエンフエゴスのほうが、実戦経験はずっと長い。

毛の『遊撃戦論』やザップ『人民の戦争・人民の軍隊』は、それだけの経歴があればこそ、軍事的・戦略的に参考にすべき教科書として重みを持つ。でも、ゲバラはどうだろう。彼はたった2年の経歴で、南米のあらゆる社会主義革命のためのマニュアルと称して『ゲリラ戦争』なんかを書き、そしてコンゴやボリビアでゲリラ戦を指導できるつもりでいた……そして失敗した。これは、著者の本書における最大の問題設定に対する答でも重要だ。なぜボリビアにでかけ、失敗したか? それは、実はゲバラが軍事的に無能だったからだ。

キューバ革命でも人に言われた通りやっただけ

が、長けりゃいいってもんじゃない、かもしれない。いや、好機をとらえてスパッと勝負を決め、短期決戦で勝ちをおさめたのは、彼の戦略・戦術的な優秀性をむしろ物語るものかもしれない……が、どうだろうか?

まず彼の『ゲリラ戦争』は、戦略指南書として見ると……大したことない。せいぜいがゲリラの生活マニュアルに毛が生えた程度。そこにゲリラ戦略、いやそれ意外の軍事戦略的にも、特に傑出した見方はない。

では実際の戦闘は? 何かすごい活躍を見せたか? ゲバラの名声を高めた唯一最大の戦闘は、ラス・ビジャスの闘いだった。ゲバラの部隊がラス・ビジャスを封鎖し、そこへ列車で送りこまれてきたバチスタ政権の正規兵たちを撃退し、サンタ・クララを制圧した。そこを拠点にハバナへ一気に進んだ。前出の、カミロ・シエンフエゴスを差し置いてゲバラの名声が高まったのも、この決定的な戦闘で勝利したことだった。

その戦略は、ゲバラによるものでもなければ、カストロによるものでもない。もちろん、他人のたてた戦略をいただくのは別に悪いことではない。でもここでは、それをやったのはカストロだった。するとゲバラ最大の戦功は、他人の立て、採用した戦略を盲目的に実行したこと、ということになる。決してゲバラの戦略的、戦術的な優秀性を裏付けるものではない。

それ以外の面で、何かゲバラが傑出した活躍を見せた様子はない。ラス・ビジャスがなければ、ゲバラはキューバ革命の中で、数多くの勇敢で純粋で理想に燃えた平均的な指揮官の一人に終わっていたはずだ、と本書は述べる。

でも、もちろんたまたまラス・ビジャスの責任者になったというツキはあれ、その才覚の片鱗を示したこともあったのでは? 著者はその点についても、あまり高くは評価していない。ゲバラの仲間からの評判は勇敢だが無謀で無用に厳しいというものだった。思想とおんなじで、教条主義で融通が利かない、ということだわな。

視点その3:カストロとの確執

ゲバラのボリビア行きでは、カストロがゲバラを左遷する形で、抹殺するためにコンゴやボリビアに送り出したのではないか、という噂が絶えなかった。ジェイムズは、それはないだろう、という味方をする。むしろコンゴやボリビアに行きたがったのはゲバラのほうだ。また、ゲバラがずっとカストロに心酔していてほとんど共依存だったことは、アンダーソンの本でもこの本でも指摘されている。

が、両者の関係が順風満帆だったかというと、そうでもない。

1つには、カストロとしてもキューバ革命において、ゲバラが自分をさしおいて有名になっているという多少のやっかみはあった。キューバ革命では、カストロは自分で戦闘を指揮したりはしていない。その意味で、露出度においてゲバラに負けている。でも、実戦経験でいえばカストロのほうが、学生時代からずっと過激派やって蜂起を指揮したりして経験は積んでいるし、上に述べた通り、ゲバラが名を挙げたサンタ・クララ作戦もカストロが考えているし、農村蜂起というフォコ戦略もカストロのおかげだ。カストロは、ゲバラがときに無謀だと思っていたし、不満も結構述べているらしい。

一方でゲバラは、キューバ革命で結構舞い上がって、特に軍事面でカストロにあれこれ指図したり異議を唱えてみせたりしたとのこと。

またゲバラは、キューバ成立後も無謀だった。壮絶な勢いで企業の国有化を行い、ソ連にたしなめられると、革命精神を忘れた軟弱者めと罵倒。おかげで産業壊滅し、アメリカは砂糖の輸入を停止。すると代替産業もないのに、産業多角化のためと称してサトウキビ減産に乗り出し、工業化がうまくいかないとオメーらの指導が悪いとソ連を罵り山ほど援助をもらっておいて対外的にソ連の悪口を公然と述べ、無意味に中国にすり寄ってさらにソ連の神経を逆なでし……

また中央銀行総裁になったら、とたんに全国ですさまじい取り付け騒ぎが起こり(そりゃそうだ)、これまた経済崩壊に貢献した。

カストロはこの無能ぶりには大変腹を立てていたという。が、他の人なら即座にクビになっていただろうに、ゲバラはお目こぼしをもらったし、また自分でもそうした政治にはむいていないと認めたこともあり、南米総革命の工作のほうにまわらせてもらえた。

でも、そちらでもカストロはソ連との関係もあるし、そんなに大きく支援できなかったというのもある。そしてボリビアで、特にレジス・ドブレが捕まったあとは、カストロはまったくゲバラたちと連絡をとらず、ほとんど切り捨てに等しい状態だった。これは意図的なのかどうか……

本書の回答:ボリビアはゲバラの現実知らずのなれの果て

そして本書は後半すべてをかけて、ゲバラのボリビアでの行動をたどる。そして……それがありとあらゆる面でダメダメだというのを指摘する。

大きな戦略から見ても、すでに武装ゲリラで政権転覆ができる状況ではないのは、南米の当時の状況を見ても明らかだったはず、と著者は述べる(キューバの煽動したサンディニスタやチャベスの成功は、まだ先の話だ)。ボリビアだって、ゲバラが乗り込んだ直後に独裁政権は選挙で倒されて、穏健改革派が政権をとっていた。独裁軍事政権の恐怖政治とそれへの反発を当てにしていたゲバラの作戦自体、もうその瞬間に潰れていて見直すべきだったんだが……そんなことはまったくなし。穏健改革派が、反革命だから米帝の手先だ、みたいな変な主張に走る。

戦術面でも、ゲバラは自分の『ゲリラ戦争』の教えにすら反するようなことばかりやっている。都市部との連携もなく、地元組織との関係もアレだ。能力もない作家のレジス・ドブレなんかに拠点構築を任せたりするし、地元の連中を無用に見下し、上から目線で反発をくらう。拠点づくりや地元民の懐柔といったステップ一切なしで、軍隊相手のゲリラ戦に突っ走る。

またゲバラはずっと、お上りさん気分が抜けず、自分でゲリラたちの写真とかをいっぱい撮っている。本当なら、面が割れるからそういうことはしないほうがいいのに。

基本的に、それまで(というかキューバ革命では)ゲバラはお膳立てをしてもらったところで、言われたとおりに戦うというのしかできなかった。現実にあわせて戦略を立てたり、調整したりということもなし。ボリビア(そしてある程度はコンゴ)で彼は、初めて自分で何かを作らねばならない状況になり……そして何もできなかった、というのが本書の見立てだ。

そしてそれは、ゲリラ戦争だけでなくキューバの政策運営でも外交でもそうだ。理念と現実が衝突したら、ゲバラはいつも理念を優先し、現実がまちがっているという。それはまあ、革命では成功した。が、他の場合には? 理論通り社会主義経済したら、うまくいかなかった——すると悪いのは米帝であり革命精神のない国民だ。でも、現実というのは、嫌でもそこにあるのが現実、なんだよね。彼はキューバ革命という一回限りの成功以降、ずっとそれで失敗し、それを挽回しようとしてさらに自滅の道をたどった。

でもゲバラはある意味で、ボリビア以前にそれを自分でも悟っていた。ボリビアは彼にとって、死に花を咲かせる舞台で、自分の死をきっかけに新たなベトナムでも第三次世界大戦でも始まればいいや、くらいのところではあった。

それはロシア革命時代の青臭いインテリテロリストたちと同じ精神構造ではある。著者は、ゲバラをネチャーエフと比較する。頭でっかちの理想主義に変なニヒリズムを織り交ぜた革命家だ。

でも、実はゲバラに人気があるのは、まさにそのせいなのだ、と著者は述べる。ロープシン『蒼ざめた馬』と同じで、青臭い現実知らずの理想主義に、冷徹ぶった軍事風味の味付け——それは世界中の過激派とかテロリストとか活動家とかのモデルだ。

でもそれは、19世紀への退行だろうし、そんなのを祭り上げてはいけないんじゃないか、というのがこの本の最後のメッセージとなる。ゲバラが死んでそれっきりだったアンダーソン版の伝記と比べて、ゲバラがその後の南米での各種左翼運動にどういう影響を与えているかについて概観したうえで、それらがむしろ非生産的な方向に(ゲバラのせいもあって)動いているのでは、と著者は述べる。

注意点

もちろん、本書を鵜呑みにしてはいけない。アンダーソン本によると、この本の著者ジェームズは、もともと反共的な雑誌を運営しており、グアテマラのアルベンス政権をアメリカ出資のクーデーターが打倒したときにも影響力があった。という。CIAとも関係が深い。彼がこの伝記を書けたのは、チェの死後にボリビアで捕獲された文献をCIAに見せてもらえたから。そうした著者の立場は知る必要がある。

総評

本書のゲバラ評価は低い。理論は付け焼き刃で頭でっかち。それを愚直にやる以外のことができない。軍事的にも特に独創性はなく、他人のお膳立てに乗っかるだけ。それを自分の実力とかんちがいし、その思い上がりをかかえて出かけたボリビアで、自分の愚かさに殺される形で死んだ。それはロシアやその後の世界のインテリテロリストにもにたニヒリズムだった。

この評価自体には、異を唱える人はいるだろう。ついでにこれを読んで、何もしてない山形にえらそうなことを言う資格はないとかいう馬鹿がいるんだが、別にこれ、ぼくが言っていることではなくてこの伝記の著者の立場だからね。

でも、こうした視点があることで、本書はアンダーソン版の伝記に比べ、非常に論旨が明快となっているし、そして各種の細部もきちんと意味をもってくる。実はアンダーソン版の伝記については、最初にかなりの罵倒書評を書いて一回公開したんだけれど、それを引っ込めた経緯がある。そのときの罵倒は、まさにあれに視点がなく、情報の無駄な山積みになっているということだった。本書はもちろん、細かい情報の点では見劣りはする。が、収録されている情報がなぜそこにあるのか、という点に首を傾げることはない。主張をきちんと裏付けるためにそこにあるのがはっきりわかる。そしてぼくは本書の主張はいまでも妥当だと思う。

また、ゲバラはその後神格化が進んだために、本書以後の著者は(特にキューバの資料を使おうと思ったら)あまり悪口が書けない、というのがアメリカアマゾンのレビューに書かれていた。もしそれが本当ならば、こういう率直な見方がきちんと出たのはありがたいことだった。一方で、著者自身のバイアスは念頭に置く必要がある。彼は反共的な立場でCIAとも関係が深いので、そういう偏りは当然ある。

もし本当にゲバラに興味があれば、是非どうぞ。ちなみに、最後にゲバラがハバナに送った暗号文と、その解読方法の解説が出ていて、暗号ファンにもおもしろいかも。