11月を待ちながら


実際にアメリカ軍による攻撃はないとはいえ、経済制裁はイランに大きな打撃を与えている。その経済制裁は四つの柱からなっている。第一はアメリカ企業のイランとの取引の禁止である。第二はイランと取引をする外国企業のアメリカ市場からの締め出しである。これは、二次ボイコットとして知られる。これによって、世界の大半の企業はイランとの経済関係を放棄した。第三はイランと取引する金融機関のアメリカが主催するドル決済システムからの排除である。仮にイランに送金などすると、その金融機関は国際取引から実質上追放されてしまう。これではイランと付き合おうという銀行はなくなる。となると、たとえイランと貿易をしたとしても、その決済が困難になる。そして最後の四本目の柱がイランの石油のボイコットである。


この石油ボイコットが本格的に効き始めたのが、2019年の5月あたりからである。ちょうど、この頃から前記のようにペルシア湾岸周辺でタンカーや石油関連施設に対する攻撃が起こり始めた。タイミングの一致は、偶然ではないだろう。イランは自国の関与を否定しているものの、大方はイランの犯行だとの見方をしている。しかし、こうした事件ではアメリカ人の死傷者が最小限に抑えられているので、イランもまたアメリカとの全面衝突を望んでいないと推測される。ただ、小競り合いが大規模な衝突に発展する可能性は、既に述べたように排除できない。強い懸念を抱かせる状況である。だが厳しい制裁下にはあるものの、イランは決して負けているとは考えていないだろう。というのは、中東各地で親イラン勢力が優勢な状況となっているからである。たとえばイラクである。ブッシュ(息子)大統領政権は2003年3月にイラク戦争を開始した。たちまちの内に首都バグダッドを攻略し4月にはサダム・フセイン政権を崩壊させた。その結果、イランに対する大きな軍事的圧力を取り除いた。イラクの崩壊はイランの存在感を高めた。またイランは、バグダッドのシーア派政権、北部のクルド人勢力などを支援してイラクへ影響力を浸透させた。敵のエラーで点数を取ったようなものである。サッカー風に言えば、アメリカのオウン・ゴールによるイランの得点であった。


また2011年の「アラブの春」以来の内戦状態にあるシリアにおいても、イランは影響力を拡大させた。イランは、シリアの内戦を引き起こしたわけではない。シリアのアサド政権の支援要請を受けて介入して影響力を拡大させた。積極的に介入したわけではない。目の前に突き出された状況に対応したわけだ。


このように、イランが積極的に進出を狙ったのではないが、結果的には介入してしまった例としてイエメンの内戦も指摘できる。シリアに内戦をもたらしたアラブの春は、イエメンでも同じように内戦への伏線となった。長年にわたり権力の座にあったアリー・アブドッラー・サーレハ大統領が辞任に追い込まれた。そして、その後の混乱は民主的なイエメンではなく内戦をもたらした。2014年からイエメンの人々は内戦に苦しんでいる。


その内戦の中でフーシー派と呼ばれるシーア派の人たちが立場を強めた。そしてイランに支援を求めた。その内戦の過程でフーシー派が首都サナアを制圧した。イランは、どうもフーシー派の首都制圧に反対したようだ。この事実から二つの推測ができる。


一つは、フーシー派に対する限定的な支援を始めたとはいえ、イランは内戦の拡大を望んでいなかった。第二にイランのフーシー派への影響力は限定的である。ここでも、イランは状況に吸い込まれるようにしてイエメン内戦の一方に肩入れするようになった。フーシー派と戦っている勢力はサウジアラビアなどの支援を受けている。サウジアラビアやアラブ首長国連邦は2015年から本格的にイエメン内戦に介入しフーシー派に対する空爆を行っている。しかし戦局はフーシー派に有利に展開している。


こうして見ると、イランの地域外交は、あまりにも成功し過ぎている。イランが望んだわけでもなく、敵のエラーにより舞い込んできた外交的な勝利が続いている。棚ぼた式の成功の連鎖である。


しかし、その成功の代償は安くない。イラクの親イラン勢力を支えるには、費用がかかる。シリアのアサド政権の支援にも多くの血と資金を費やしている。そしてレバノンのヘズボッラーへの援助も必要である。さらには、パレスチナのガザ地区を支配するイスラム組織ハマスにもイランの資金が流れている。その上イエメンのフーシー派への援助である。それぞれの支援の額は限られているにしても、合計にすると相当な負担である。この負担がイラン経済に重くのしかかっている。しかもイランは経済制裁下である。


こうした厳しい経済状況が、ときおり国民の不満を爆発させる。最近のイランは大小のデモを経験している。デモ隊の叫び声のひとつはシリアやパレスチナのためにではなく、イラン国民のために政府は力を傾注すべきだという要求である。イラン外交の勝利の代償に国民の方が、悲鳴を上げている。


経済制裁で追い詰められたイランは、アメリカの要求を無視できる国に依存するしかない。ロシアと中国である。ロシアは自国が石油輸出国なので、イランの石油を輸入しない。となると中国に頼るしかない。アメリカの対イラン経済制裁は、イランを中国へと追いやる結果となる。中国のイランでの影響力を増大させている。中国をライバル視するアメリカが、ライバルの友人を増やしている。そして、この中国との関係の深化がイランにおける新型コロナウイルスの感染の拡大の伏線となった。


しかし、中国の景気の減速もあり、石油輸出は伸びないし、やっと制裁の網をかいくぐって限られた量を輸出しても、石油価格は底値である。石油からの収入は、最低限のレベルに過ぎない。イランにとっては経済的に苦しい状況が続いている。そのイランが期待しているのが、11月のアメリカ大統領選挙である。この選挙で民主党が勝てば、アメリカは核合意に復帰する。そして経済制裁が撤廃される。というのは民主党の大統領候補指名を求めているジョー・バイデン前副大統領が、核合意への復帰を表明しているからである。問題は、トランプに勝てるかどうかである。現職は常に有利である。経済状況が良い時には特にそうである。アメリカの経済は成長を続け株価は上がり続け失業率は低下していた。トランプに全ての経済指標が微笑みかけているかのようであった。新型コロナウイルスの感染が広まるまでは。


>>次回につづく