いつだったろうか。中東に関する講演をしたら、聴衆に警察関係の方々が混じっていた。話して見ると、海外から要人が訪日したさいに警護を任務とする方々だった。中東からの要人の訪日のさいにも、その任に当たるという。自分たちが命を賭けて守る人々が、どういう国から来るのか。どういう人なのか知りたいので講演会に参加したという。


さらに話しをうかがうと、イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相の訪日のさいには、イスラエル側との警備に関する事前の打ち合わせが難航したそうだ。イスラエル側が日本側の警備を信頼していないかのように、さまざまな要求を突きつけてきたという。我々は首相が暗殺されるようなドジは踏まないと言い返した、とふり返っておられた。


これは、もちろん1995年のイスラエルのイツハク・ラビン首相の暗殺への言及である。ユダヤ人の過激派の犯行だった。イスラエルではユダヤ人がユダヤ人に対してテロをするはずがないとの思い込があったのか、警備は手薄であった。なおネタニヤフ元首相はラビン暗殺後の選挙に勝って首相に就任している。今年7月、安倍晋三元首相の殺害事件があったので、もう日本の警察もイスラエルの警備当局を批判しにくくなった。


安倍元首相の警備に関しては思い出がある。


前回の参議院選挙の投票日の直前だった。松本での講演の帰りの列車のグリーン車が、なぜか満席だった。通常は空気を運んでいるかのように空席が多いのだが、なぜだろうと思っていると、体格の良い一群の男性が乗り込んで来た。そして安倍首相がつづいた。長野の選挙区が激戦だったので、何度も安倍首相が応援演説に行ったと報道で知った。その帰京に居合わせたわけだ。男たちは警備担当者だった。その数が多いので、その弁当とか茶を用意する係までいた。要人の警護のために、いかに現場が苦労しているかが見えた。


身体を張ってのがんばりの重要性は変わらない。しかし、要人警護に関しては、ハイテクの導入の時期が来ているのではないか。たとえば今回の殺害の実行犯は、奈良での犯行の前に岡山での安倍元首相の演説の会場に足を運んでいた。要人の演説会場でつねに聴衆を撮影しておけば、複数の会場に現れる人物は比較的簡単に特定できる。その人物を現場で警戒しておけば、犯行を阻止できるだろう。もちろん人力で行うのも可能だが、顔画像認識ソフトを使いAI(人口知能)に複数の会場に足を運んでいる人物を探させれば、即座に特定できる。この顔画像認識技術というのは各国で開発が進んでいる。中国政府が新疆ウイグル地区でイスラム教徒の一人ひとりを特定するのに使っている。その精度は高くパンダの個体を特定できるほどだ。


世界のハイテク事情に詳しい石角完爾氏によれば、この分野で先頭を走っているのはクリア・ヴューという企業である。経営者はベトナム系である。オーストラリア育ちで、現在はアメリカに在住している。


この企業は世界中のSNSなどにアップされる画像を、1日24時間、年365日、収集しつづけ、天文学的な数の顔画像を保有している。そして、人物を99%の精度で特定できるという。さらに、それぞれが、どのようなウエブサイトにアクセスしているかを瞬時に検索できるシステムを構築している。今回の事件に引きつけて見ると、もし、この企業にAI警備を依頼していたとすれば、実行犯は事前に特定され、どのようなサイトを検索していたかが即座にわかる。となると銃器関連のサイトへのアクセスが多かったのだから、警備当局は危ない人物だと、即座にマークできたはずである。


要人の演説会場の上空にドローンを飛ばして聴衆の顔を撮影すれば、こうしたAI警備が可能になる。潜在的に危険な人物を事前に特定して警備するのと聴衆全体に注意を向けるのとでは、警備の効率が違うだろう。いずれにしろ人による警備をAIの導入で補完して、演説会場という民主主義の基礎インフラを守り抜きたいものだ。


-了-


連載エッセイの最新版を出版元の了承を得てアップします。
「キャラバンサライ(第129回)民主主義の基礎インフラを守ろう」、『まなぶ』(2022年9月号)46~47ページ