キリスト教思想への招待
新型コロナはWHOにパンデミック(世界的流行)と認定されたが、それまで世界的に流行する疫病がなかったわけではない。治療法のなかった古代には多くの疫病がパンデミックになり、長期にわたって世界に流行した。ローマ帝国では、西暦165年ごろから天然痘(と思われる疫病)が大流行し、その後もたびたび流行を繰り返した。

歴史上有名なパンデミックは、皇帝ユリアヌス(在位361~63年)のときの大流行である。命を守れないローマ帝国の権威は失墜し、信者は天国で救われると説くキリスト教が疫病のように流行した。ユリアヌスはローマの土着信仰を否定するキリスト教徒を「無神論者」と非難して弾圧したが、その強さを次のようにたたえた。
無神論者をこの上もなく発達させた理由は、他者に対する人間愛、死者の埋葬に関する丁寧さ、よく鍛錬された生き方のまじめさである。[…]それぞれの町に病院を多く設置せよ。外来者が我々の人間愛にあずかることができるように(本書p.123)。
ここで「他者に対する人間愛」と訳されているのは親子の愛情ではなく、恋人の恋愛でもない。それは地域や親族集団とは無関係に信者を歓迎する隣人愛(philanthropia)であり、それを制度化したのが病院(hospice)だった。

キリスト教会という福祉国家

キリスト教は、このようなローカルな集団を超える普遍的な医療共同体として急速な発展を遂げた。もちろん当時は疫病の治療方法はなかったが、多くの患者は病院で栄養を補給するだけで延命できる。キリスト教は地域を超えた相互扶助を実現する「福祉国家」として信者を増やした。

初期キリスト教団の中心は、農耕社会から離れた商人や職人だった(イエスもパウロも職人だ)。彼らはローマ帝国の各地を旅し、地縁集団にも親族集団にも所属しないノマドだった。誰でも自由に参加でき、信仰によってのみ結びつくキリスト教会は、パウロの生み出したイノベーションだった。

疫病によって地域は崩壊し、人々は共同体を離れて安全な場所に移動した。キリスト教徒はローマ帝国の各地を旅し、誰でも自由に参加でき、その中では信仰だけで結びついて助け合う共同体を形成した。

こうして1世紀にはカルトだったキリスト教は疫病の拡大とともに急成長し、最後はローマ帝国の国教になった。キリスト教は地域を超えた普遍的な歓待によって、彼らを弾圧したローマ帝国を乗っ取ってしまったのだ。

初期教会の開かれた共同体の普遍主義は、カトリック教会では異教的な伝統と混じってローカライズされたが、14世紀に黒死病が流行して地域の共同体が崩壊すると、プロテスタントは信仰によってのみ結びつく普遍主義に回帰した。戦争や疫病で人々が離散するとき、信仰共同体としてのキリスト教は成長するのだ。

同じようなマーケティングは現代でも使われている。創価学会から日本共産党に至るまで、主な信者は地縁共同体から離れて大企業のような組織にも所属しない自営業者や未組織労働者などのノマドであり、彼らの入信の動機は孤独や不幸である。

そして信徒は多額の献金をし、それを教団の中で共有する。この献金は教団を離れると無価値になるので、信仰のコミットメントを示すとともに、彼らが貧しくなったときは、教会に行けば必要な食事ができ、医療も受けられる。献金は保険のような役割も果たしているのだ。

今でもキリスト教徒は、海外で金をなくしたとき教会に駆け込むと、金を貸してくれる。アフリカの旧植民地では、キリスト教会が医療・福祉の役割をになっている。隣人愛とは抽象的な博愛ではなく、社会保障のような相互扶助の精神なのだ。