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『全ての国民を救えるんだ(前半)』三橋貴明 AJER2020.5.5

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三橋TV第238回【ほらね!政府が国債発行したら皆さんの預金が増えたでしょ(ドヤァ!)】

https://youtu.be/W1UJb84jfg8

 

 室伏謙一先生との対談、第二段が配信されました。
 
 現在の日本は、すでに第二次世界恐慌に突入した状況にあります。何度か書いてきましたが、「恐慌」とは「激しいデフレーション」を意味しています。

 デフレ、恐慌とは、単なる経済現象ではありません。国民経済の供給能力を「破壊」し、国家の生産能力を「発展前」に叩き落す、経済破壊現象なのです。

 デフレと聞くと、多くの日本人は、
「物価が下がる経済現象」
 と、理解してしまいますが、話は物価下落では終わりません。

 まずは、確かにデフレ期には物価が下がりますが、名目賃金が物価以上に下落するため、実質賃金が落ち込んでいきます。つまりは、国民が貧困化する。

 理由は、デフレとは単純な物価下落ではなく「総需要=生産量」の縮小であるためです。我々が生産する財やサービスの「量」が少なくなっていき、生産性が低下するため、必然的に実質賃金は下がります。(昨日のエントリーの通りです)

 デフレで仕事(需要)不足の状況が続くと、生産の必要が無くなり(あるいは、生産しても売れなくなり)、企業は工場を閉鎖し、生産設備を破棄し、人員を解雇する。

 失業者は、消費を減らします。さらには、新たな設備投資が行われなくなり、さらなる需要縮小(※需要=消費+投資です)。

 すると、企業がさらに生産能力を破棄し、失業者が増え、需要が縮小。需要縮小が、さらなる供給能力の削減を招く、と、「経済力」そのものである財やサービスを生産する力がひたすら落ちていくのがデフレです。

 そして、経済力の消滅スピードが極端な速さになるのが「恐慌」です。

 図にすると、以下のイメージですね。
 
【デフレ・恐慌時の需要縮小のプロセス】
 
 恐慌を放置する、あるいはデフレが継続すると、我が国は最終的には、
「自国の企業や人材では、大きな橋や高層ビルが建設できない」
「自国の医療サービスでは、国民を病や怪我、あるいは疫病から守れない」
 国へと至ります。まさに、発展途上国でございます。

 供給能力の毀損は、もちろん「安全保障分野」にも及びます。医療や防災はもちろん、「防衛」分野においても、自国の供給能力が不足するとなると、最終的には敵国(今の日本でいえば、もちろん中華人民共和国)の侵略を招き、亡国どころか「滅亡」という未来が待ち構えています。

 というわけで、97年の橋本緊縮財政以降の我が国の長期デフレは、間違いなく「亡国の道」なのです。さらには、今回の第二次世界恐慌により、供給能力が大きく痛めつけられたにも関わらず、政府が「財政政策」で需要を創出するという、正しい政策に転換しないとなると・・・。

 将来的に、日本は発展途上国と化し、中国の「倭族自治区」に落ちぶれることになるでしょう。

 実際、97年以降の緊縮財政で、我が国は医療サービス(病院、病床といった設備、感染症専門家、医師、看護師などの人材)を削りに削った。結果的に、新型コロナウイルス感染症のパンデミックに国民が苦しめられています。

 全ては、財政破綻論に基づく緊縮財政という「政策」の結果なのです。今回のコロナ危機により、過去の日本政府の緊縮財政路線が間違っていたことを、我々は「国民の命」と引き換えに証明した

 それにも関わらず、相も変わらず財政破綻論が蔓延し、さらには「デフレ容認」の論調までもが新聞に登場する始末
 

【三橋貴明の音声歴史コンテンツ 経世史論】

http://keiseiron-kenkyujo.jp/apply/
皇統論「第十六回 仏教伝来」、歴史時事「第十六回 疫病の人類史」がリリースになりました。

 

デフレの受け入れを(十字路)
 企業の売り上げや個人所得が落ち込み、長期に継続する場合、これに対応して物価も下落していかなくてはならない。政策的にはデフレ脱却ではなく、デフレを受け入れることで、実質的に生活水準を守っていくのである。(後略)』
 
 冒頭の一文から「頭がおかしい」としか表現のしようがないのですが、上記を書いた中前国際経済研究所代表の中前忠は、記事を、
 
『失われた20年のなかでの最大の失敗は、デフレを怖がり、デフレを悪とみなしたところにある。バブルが崩壊し、グローバリゼーションが進むなかでは、デフレを避けることができなくて当然だったのだ。所得を増やすことが難しいときには、デフレを積極的に受け入れ、名目ではなく、実質的な生活水準の改善を目指すべきなのである。』
 
 という文で結んでいます。
 
 そもそも、デフレ期に実質的な生活水準の改善など不可能です。過去の日本の実績が証明しています。

 というわけで、政府の財政拡大でデフレ脱却を目指せばいいものを、「デフレを積極的に受け入れ」などと、国民貧困化を推奨する。

 国民経済の要である供給能力を破壊し、亡国へと導くデフレを恐がり、「悪とみなす」のは当たり前です。

 しかも、デフレ期には国民が貧困化するため、社会に「他者への憎悪、妬み、嫉み」が渦巻くことになります。いわゆる、ルサンチマンが社会に蔓延し、国民同士でいがみ合い、国民意識(ナショナリズム)が破壊され、最終的には民主制や国民国家の維持すら不可能になります。

 中前のデフレ容認論は、「日本という国民国家を破壊しろ」と言っているのも同然なのです。

 それにも関わらず、この手の論調が大新聞(日経)に堂々と掲載される。もはや、財政破綻論者やデフレ容認論者は、「国民の敵」であることを隠すつもりもないようですね。

 そもそも、日本政府が「デフレを怖がり、デフレを悪とみなした」のかも怪しいものです。何しろ、デフレを深刻化させる緊縮財政路線を続けてきました。

 また、中前の言うように「グローバリゼーションが進むなかでは、デフレを避けることができなくて当然だった」といったバカげた主張には、
「ならば、同じくグローバリゼーションの最中にあった日本以外の国々はデフレだったのか?」
 で、論破完了です。

 グローバリゼーションは「世界的な現象」であったにも関わらず、なぜ日本だけが全く経済成長できなかったのか。
 
【主要国の2018年の自国通貨建てGDP・政府支出(対2001年比)】
 
 理由は、狂った財政破綻論により、政府支出が抑制され続けたためです。 
 
 厳密には、バブル崩壊と橋本緊縮財政により経済がデフレ化(総需要の不足)したにも関わらず、政府が財政による総需要拡大政策に背を向け続けた。結果的に、日本のデフレは継続し、供給能力が破壊され、国民が貧困化。同じ国民を攻撃することで政治力を高める、ルサンチマン政治が蔓延る有様になってしまいました。

 今回の恐慌を機に、日本は何としても「緊縮財政」という諸悪の根源を転換し、経済成長路線に戻らなければなりません。中前の主張の通り、「デフレの受け入れを」などとやった日には、我々の子孫は良くて「アジアの弱小国」で、悪ければ中華人民共和国倭族自治区の「人民」として、過酷な人生を送ることを強いられます。

 抗わなければなりません。まずはとにかく、財政破綻論者やデフレ容認論者を容赦なく批判し、黙らせる。それ以外に、我が国が繁栄する道はないのです。
 

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