世界一の木樽醤油に込める「家訓」

雑誌Wedgeの3月号(2月20日発売)に掲載された連載『Value Maker』です。是非お読みください。

 

 「世界一の木樽で作ったお醤油はいつできますか」--。大分県臼杵市に本社を置くフンドーキン醤油には、そんな問い合わせが来る。同社の醤油工場には、ギネスブックに載る高さ9メートル、直径9メートルのヒバ製の木樽があるのだ。

 自然に醤油を醸造する場合、出来上がるまでに1年かかるが、主流は、ステンレス製の樽で温度管理し、人工的に春夏秋冬を繰り返すことで醸造期間を短縮、半年で完成させる。大手メーカーが開発した手法だ。

 ところが「世界一木樽醤油」の場合、3年あまりの歳月がかかるため4年に1度しか造れない。1度に54万リットル、200ミリリットルの瓶270万本分ができるが、人気が高く売り切れる。今も品切れ中で、次の発売は今年5月の予定だ。

 「ステンレス製は、常に浄化したきれいなタンクでもろみを熟成するので同じ品質のものができます。一方木樽では樽の洗浄はしません。木の中にいろんな菌が住み着いたままです。何年もすると進化した菌が複雑な味、香りを醸し出してくれると思います。時間がよいものを造ることに夢を感じています」と小手川強二社長は言う。

 巨大な木樽を使った醤油醸造は、もともとは先代社長だった強二氏の父の木樽へのこだわりから始まった。「醤油醸造の技術はすでに確立していて、なかなか品質に差が付けられません。そこで昔ながらの木樽での醸造を近代的な工場に取り入れたのです」と小手川社長は振り返る。樹齢400年前後のヒバ材を釘を使わずに組み上げ、金属製のタガで締め付けている。機械式の攪拌装置が付いているだけで、後は自然任せ。屋外に設置されている。

 同じ工場にはひとまわり小さい高さ9メートル、直径6メートルのヒバ製木樽が8本ある。それで醸造した醤油は「八本木樽醤油」のブランドで売る。さらに吉野杉で作った木樽も2本あり、「吉野杉樽天然醸造醤油」と名付けて売っている。国産大豆、国産小麦など材料にもこだわった。

 

成熟市場での生き残り策

 

 木樽醤油に力を入れてきたのには、もうひとつ大きな理由があった。小手川社長は語る。

 「1986年に社長を引き継いだ時、製品価格を安くすると売れるが売上高の額は増えず利益はむしろ減る。しっかり価格を守ろうとすると量が減り、売り上げも利益も減る。成熟マーケットでどう生きていくかという大きな課題に直面したのです」

 そこで調べてみて気がついたのは、醤油の年間消費量が77年の1人10リットルをピークに6.5リットル程度まで減っていたこと。食の洋風化や外食・加工品・惣菜などの普及で、家庭で醤油を使うことが少なくなっていったのだ。ちなみに今では2リットル程度となっている。

 そんな中で、スーパー全盛時代を迎え、醤油はセールの目玉商材になった。1リットルPETボトル入りが199円といった価格で売られた。「もはや成熟マーケットどころか縮小する市場で価格競争すれば、自分で自分の首を絞める」。小手川社長は量を追求するのではなく、高付加価値化に舵を切ることを決断したのだ。

 創業以来の商品である醤油や味噌は「グレードアップ」して価格を上げても売れる商品を作る一方で、ドレッシングなどの加工品を増やす。その醤油のグレードアップの切り札が木樽醤油だったわけだ。

 「世界一木樽醤油」の小売販売予定価格は280ミリリットルで、1000円を超す。1リットルに換算すれば3500円以上。ウイスキー並みの価格である。量より質を求める世の中の流れに乗り、それでも売り切れる。お手頃の「八本木樽醤油」も720ミリリットルで1080円だ。 

 もうひとつ、付加価値を付ける方法として力を入れたのが、醤油をベースにした加工品。「しょうゆドレッシング」の開発に早くから着手、「ごまドレッシング」が販売中止を余儀なくされるほど売れた。

 小手川さんが社長に就任した時、醤油・味噌の売上高が60億円、加工品は5億円だったが、今は醤油・味噌が70億円、加工品は90億円に拡大。九州一の醤油味噌醸造会社に成長した。マーケットが縮小する中でも、醤油味噌の売り上げを伸ばしてきた。

 今や全国に販路を広げたが、それぞれの地域で受け入れられるための工夫もしている。醤油の味だけで70~80種、味噌は50種の地域に合わせた味に仕上げている。

 

地元大学とハラール醤油を開発

 

 量は追わないといっても少子高齢化が進む中、人口が減る国内市場だけに依存していては、いずれ価格競争に巻き込まれることになりかねない。そこで、次は海外に打ってでることを決めた。

 もちろん、そのためにはその地域に合わせた商品開発も不可欠だ。大分県別府にある立命館アジア太平洋大学(APU)と共同研究し、イスラム教の戒律に沿ったハラール対応の醤油を開発した。

 イスラム教徒が多いインドネシアをはじめとして、APUに在籍することなる7か国の学生に意見を聞き、アルコールを添加しない他、イスラム教の聖典に生薬として登場する「はちみつ」を使用して、甘口の「ハラールはちみつ醤油」を生み出した。マレーシアの食品メーカーと組み、今年からASEAN(東南アジア諸国連合)市場の開拓に乗り出す。

 臼杵の中心街から橋を渡った川の中州にある本社は、木造平屋建ての味わい深い建物だ。隣に広がる近代的な加工工場とは対照的で、伝統を重んじ木にこだわる社風をうかがわせる。

 そんな建物の中にある応接室には小説家として99歳まで活躍、85年に亡くなった野上弥生子の言葉を記した額が掲げられている。実は、野上はフンドーキン醤油創業家である小手川家の生まれで、臼杵の中心街には生家の酒蔵が残り、「野上弥生子文学記念館」として公開されている。

 額は野上の言葉を書家に書かせたものだが、そこにはこうある。

 「お味噌の味はよいの

  お給料は満足するように

  なっていますか 

  銀行の借入はへりましたか」

 実家の家業を気遣う言葉だが、そこに小手川社長は経営哲学を感じ、肝に銘じるかのように「家訓」とし応接室に掲げているのだ。

 よい商品を作り、従業員を満足させ、経営を健全化する--。

 ともすると、価格競争に勝ち抜くために、コスト第一で製品の品質を犠牲にし、少しでも安い給与で働かせる。そんな、陥りがちな「最終利益第一主義」に疑問を感じ、自らを戒めているのだ。

 高付加価値な商品に力を入れて「稼ぐ経営」は、少しでも従業員の給与を上げ、満足度を高めることが大きな狙いでもある。