昨年末以来のイランと米国の間の報復の連鎖のポイントの一つは、バグダッドの米大使館へのデモだった。デモ隊を組織した方は、デモで止めるつもりだったようだが、一部のデモ参加者が暴走して大使館の一部に入り受付部分を破壊した。これをテレビで見たドナルド・トランプ大統領が、イラン革命防衛隊のカーセム・ソレイマニ司令官の殺害を命令した。それが、イランによるイラクにある米軍基地への報復攻撃を引き起こした。米国のメディアの説明である。


なぜトランプは大使館への暴挙に、これほどまでに激しく反応したのだろうか。それは、もちろんテヘランの米大使館の占拠事件の記憶があったからだ。これはイラン革命期の1979年の11月から81年の1月まで444日にわたって続いた。この事件で米国民の対イラン感情が救いようもないほど悪化した。トランプの脳裏には、その記憶があったのだろう。その証拠に、ソレイマニ司令官の殺害する案を一度は却下したのだが、大使館が襲われる映像を見て、実行を命じたとも伝えられている。


また、その直後にイランが報復をすれば、米国は文化財を含むイラン国内の52カ所を攻撃する計画があると脅迫した。52カ所というのは、テヘランで人質となった米国市民の数と同じである。


大使館に関しては、マイク・ポンペイオ国務長官にも、ひっかかるものがある。その背景はイランではなくリビアである。2012年4月にリビアのベンガジにある米領事館が襲われ、駐リビアの米大使など4名の同国の外交官が殺害される事件があった。


これは、大使館などの在外公館の警備に十分な手当てをしなかったオバマ政権に落ち度があったからだ。というのが当時の野党の共和党の認識だった。特に当時の国務長官であったヒラリー・クリントンの責任は重大だとして、共和党が多数派の下院は同国務長官を厳しく追及した。この時のヒラリー糾弾の急先鋒だったのがカンサス州選出の下院議員のポンペイオだった


もしバグダッドの米大使館で館員に被害が及ぶような事態が発生すると、このポンペイオは立場がなくなる。現在の国務長官として海外の米外交公館と館員の安全に責任を負う地位にあるからだ。


大使館がらみの事件は、ポンペイオの政治的な野心の足を引っ張りかねない。というのは、ポンペイオはトランプ後のホワイトハウスの鍵を狙っている一人とみなされているからである。


トランプにもポンペイオにも、大使館という言葉を重く受け止める理由があったわけだ。それでは、なぜイランは革命時に大使館を占拠するなどの暴挙を行ったのだろうか。それは、米大使館がイランの内政に関与する際の司令塔の役割を果たしてきたからだ。特に1953年には、この大使館が、民主的に選ばれ石油産業を国有化したモハマッド・モサデク首相を倒したクーデターの作戦本部だった。大使館とは、さまざまな意味で重い言葉だ。


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