CSR(企業の社会的責任)とかESG(環境・社会・ガバナンス)など、株主以外の利益を投資の指標にするステイクホルダー資本主義は昔からある話だが、うまく行った例は少ない。かつてその手本とされた日本の「労働者管理企業」も幻想だった。
本書は企業だけでなくNPOまで含めた経営形態を比較し、どういうガバナンスが望ましいかを「法と経済学」の立場から論じた古典である。その結論は、ボトルネックになる生産要素をもつステイクホルダーだけにコントロール権を与えることが効率的だということだ。企業の最大のボトルネックは資本設備なので、株主が企業をコントロールし、他の生産要素は契約で調達することが望ましい。
もう一つのボトルネックは人的投資だが、労働組合にもコントロール権を与えて労使交渉で投資を決定する労働者管理企業は失敗することが多い。投資が失敗しても労働組合は責任を負わないので、労働者の利益を優先して資本を浪費するからだ。
こういう無責任なステイクホルダーは、ESGのように「公益」を主張することが多いが、それが本当に公益になるかどうかはわからない。少なくとも日本では、企業がCO2を削減するコストはその利益より大きいので、ESG投資は企業価値を毀損するおそれが強い。将来それがわかったとき投資ファンドは責任を取るのだろうか。
消費者としては1円でも安いほうがいいが、生協の経営にとっては利益が出ないと困る。消費者が出資している生協では、しばしば出資者の利益を無視した投資が行なわれ、最悪の場合は企業が消滅してしまう。
21世紀の企業でもっとも重要な生産要素は物的資本ではなく、情報や権利などの無形資産なので、そのガバナンスをどうすべきかというのは未解決の問題だが、その答はステイクホルダー資本主義ではない。
イノベーションの価値が高まっているIT産業では、コンセンサスで意思決定を行なう大企業が没落し、アップルやグーグルのように創業者が独断で決める19世紀型のオーナー企業の優位が顕著になっている。
これは最先端のビジネスでは意思決定のスピードが重視され、デザインや完成度(integrity)が最大のボトルネックになっているためと考えることができる。したがって多くの株主の多数決で決める公開会社は必ずしも最適のガバナンスではなく、最近のアメリカでは企業の非公開化(privatization)が進んでいる。
むしろ大きな流れとしては、リスクを負う株主が利益も得るという株主資本主義の原則が強まっている。これは所得分配の格差拡大や環境問題などの社会問題を生むが、それは企業だけでは解決できない。企業の目的は公益を最大化することではなく、経営者はその専門家ではないからだ。
こういう社会問題は政府だけでは解決できないので、ESG投資が企業に株主利益以外のステイクホルダーにも配慮しろと勧告するのはいいが、公益を基準に投資して株主利益を犠牲にするのは無責任な行動である。ファンドマネジャーも地球環境の専門家ではないからだ。
本書は企業だけでなくNPOまで含めた経営形態を比較し、どういうガバナンスが望ましいかを「法と経済学」の立場から論じた古典である。その結論は、ボトルネックになる生産要素をもつステイクホルダーだけにコントロール権を与えることが効率的だということだ。企業の最大のボトルネックは資本設備なので、株主が企業をコントロールし、他の生産要素は契約で調達することが望ましい。
もう一つのボトルネックは人的投資だが、労働組合にもコントロール権を与えて労使交渉で投資を決定する労働者管理企業は失敗することが多い。投資が失敗しても労働組合は責任を負わないので、労働者の利益を優先して資本を浪費するからだ。
こういう無責任なステイクホルダーは、ESGのように「公益」を主張することが多いが、それが本当に公益になるかどうかはわからない。少なくとも日本では、企業がCO2を削減するコストはその利益より大きいので、ESG投資は企業価値を毀損するおそれが強い。将来それがわかったとき投資ファンドは責任を取るのだろうか。
企業は社会問題を解決する機関ではない
これは経済学ではハートの契約理論でよく知られた話だが、ハンズマンはNPOも含めていろいろなガバナンスを検討している。たとえば生協のような「消費者管理企業」の経営がうまく行かない原因も、出資者と消費者の利益相反が起こるからだ。消費者としては1円でも安いほうがいいが、生協の経営にとっては利益が出ないと困る。消費者が出資している生協では、しばしば出資者の利益を無視した投資が行なわれ、最悪の場合は企業が消滅してしまう。
21世紀の企業でもっとも重要な生産要素は物的資本ではなく、情報や権利などの無形資産なので、そのガバナンスをどうすべきかというのは未解決の問題だが、その答はステイクホルダー資本主義ではない。
イノベーションの価値が高まっているIT産業では、コンセンサスで意思決定を行なう大企業が没落し、アップルやグーグルのように創業者が独断で決める19世紀型のオーナー企業の優位が顕著になっている。
これは最先端のビジネスでは意思決定のスピードが重視され、デザインや完成度(integrity)が最大のボトルネックになっているためと考えることができる。したがって多くの株主の多数決で決める公開会社は必ずしも最適のガバナンスではなく、最近のアメリカでは企業の非公開化(privatization)が進んでいる。
むしろ大きな流れとしては、リスクを負う株主が利益も得るという株主資本主義の原則が強まっている。これは所得分配の格差拡大や環境問題などの社会問題を生むが、それは企業だけでは解決できない。企業の目的は公益を最大化することではなく、経営者はその専門家ではないからだ。
こういう社会問題は政府だけでは解決できないので、ESG投資が企業に株主利益以外のステイクホルダーにも配慮しろと勧告するのはいいが、公益を基準に投資して株主利益を犠牲にするのは無責任な行動である。ファンドマネジャーも地球環境の専門家ではないからだ。