これでは兼業は促進されない

 昨日開催された未来投資会議で、兼業・副業の促進に向けた対応の案が提示されたそうです。本日の日経新聞朝刊から。

 政府は16日、未来投資会議を開き、兼業・副業の労働時間の管理について労働者が自己申告する制度を導入する方針を示した。労務管理の手間が生じることが企業が兼業・副業を認めない理由の一つになっている。申告漏れや虚偽申告があっても企業の責任は問わないこととし、解禁に動く企業が増えるよう促す。
 厚生労働省労働政策審議会で検討し、年内に正式に結論をだす。…
 未来投資会議の案では労働者が2つの会社の仕事が残業時間の上限規制に収まるよう調整する。本業の残業が増えれば、もう一方の労働時間は抑える。労働時間は通算し、法定外労働時間が発生した分は、どちらの企業も割増賃金を払わなければいけないルールは変えない。
(令和2年6月17日付日本経済新聞朝刊から)

 官邸のウェブサイトにさっそく資料が掲載されていますね。それによると、こういうことのようです。

○ 兼業・副業の開始及び兼業・副業先での労働時間の把握については、新たに労働者からの自己申告制を設け、その手続及び様式を定める。この際、申告漏れや虚偽申告の場合には、兼業先での超過労働によって上限時間を超過したとしても、本業の企業は責任を問われないこととしてはどうか。
〇本業の企業(A社)が兼業を認める際、以下(1)(2)の条件を付しておくことで、A社が兼業(B社)の影響を受けない形で、従来通りの労働時間管理で足りることとしてはどうか。
(1)兼業を希望する労働者について、A社における所定の労働時間(※1)を前提に、通算して法定労働時間又は上限規制の範囲内となるよう、B社での労働時間を設定すること(※2)。
※1 「所定の労働時間」とは、兼業の有無と関係なく、各企業と労働者の間で決められる、残業なしの基本的な労働時間のことで、通常は、法定労働時間の範囲内で設定される。
※2 B社において36協定を締結していない場合は、「A社における所定の労働時間」と「法定労働時間」の差分の時間、B社で兼業可能。B社において36協定を締結している場合は、当該協定の範囲内で、「A社における所定の労働時間」と「B社の36協定で定めた上限時間」の差分の時間、B社で兼業可能。
(2)A社において所定の労働時間を超えて労働させる必要がある場合には、あらかじめ労働者に連絡することにより、労働者を通じて、必要に応じて(規制の範囲内におさまるよう)、B社での労働時間を短縮させる(※)ことができるものとすること。
※B社の労働時間の短縮について、労働者から虚偽申告があった場合には、上限規制違反についてA社が責任を問われることはない。
○ また、これにより、A社は、従来通り、自社における所定外労働時間(※)についてのみ割増賃金を支払えば足りることとなる。
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/keizaisaisei/miraitoshikaigi/dai39/siryou1.pdf

 私が正しく理解できているのかどうかはなはだ心もとないのですが、A社の所定労働時間+B社での労働時間がB社の36協定の上限時間を上回らないようにB社での労働時間を決定する、ということですよね。なぜA社ではなくB社の36協定なのかはよくわかりませんが、B社の労働時間を調整するから、ということかな。まあ、アルバイト的に副業するならありうる話かもしれません。で、A社で時間外労働が発生して、B社の36協定の上限を超えそうになった場合には、超えないようにB社での労働時間を短縮すると。
 割増賃金については、A社はA社における労働時間の割増賃金を支払えば足りる、とのみ記載がありますが、B社においてはどうなるんでしょうか。通算の原則を引っ込めない以上は、普通に考えてA社で1日8時間・週40時間労働しているとすると、B社における労働時間はすべて割増の対象となることになるわけですよね?
 なるほど、こうすればたしかにA社は(労働時間管理と割増賃金の負担においては)労働者の兼業を禁止する必要はないだろう、と言いたいのでしょうか。なるほどそうかもしれません。しかし、これでも副業する労働者を雇おうというB社があるとは思えないのですがそうでもないのでしょうか。ハナから賃金が25%以上増で、A社で残業したらその分労働時間を短縮しなければいけないんですよ?まああれかな、人手不足の深刻な業界ではそれでも雇いたいという企業もあるのかな。割増賃金についてはその分基本給を低く設定しておけばいいという話かもしれませんが、当然ながら最低賃金の制約はありますし(同一労働同一賃金の話は忘れよう)。さらに細かい話をするとA社とB社で所定労働時間や36協定の上限時間に差異がある場合にはどちらを本業とするかで取り扱いが変わってくる可能性があり、誰がどう「どれが本業か」を決めるのかという問題も出てきそうですがそれはまあ今後の課題かな。
 しかもこれは労働時間と賃金の問題に限った話であり、安全配慮義務については何の記載もありません。しかし、この資料でも引用されているように、企業が兼業に消極的なのは「当社のコントロールを外れてほかの会社で働いている分についても健康管理、労務管理をしなければならないという問題」があるからなんですよ。A社に対してはB社での労働時間を自己申告させるということですから、A社には通算の労働時間をふまえた安全配慮義務が求められるということでしょうか(長時間労働者に対する医師の面接指導はA社の責任ということになりそうですが、A社では定時就労でB社での副業の結果長時間労働になった場合などはA社としても納得いかないかもしれません)。それではB社の安全配慮義務はどうなるのか、B社はA社での労働時間は考慮しなくていいのか、それともやはり自己申告させるのか。申告洩れや虚偽申告があった場合は安全配慮義務も免れるのか。「申告漏れがあったにせよ、顔色を見れば疲労していることは明らかではないか」(まあそれはそれで正論だ)という話にはならないのか。このあたりもはっきりさせていただかないと、企業としてもそうそう積極的にはなりにくいでしょう。
 ということでまあ使えねえという評価でいいんじゃないでしょうか。菅野和夫先生の『労働法』第12版でも「…労基法が事業場ごとに同法を適用しているために、同一使用者の異事業場にわたって労働する場合についての通算規定として設けられた、との解釈も十分に可能であって、使用者が他企業での労働のあり方を多くの場合認識も統制もしがたいことを考えると、刑罰法規の解釈としてはこのような解釈のほうが妥当と思われる。1987年改正によって週40時間制に移行し、2018年改正によって時間外労働への複雑な上限設定がなされた今日の状況では、行政解釈には見直しが求められている」と述べられているように、通算規定の解釈そのものを見直すことが必要だろうと思います。安全配慮義務に関しても、もちろん災害予防のフェールセーフとか感染症対策とかは兼業や労働時間とは直接関係なく使用者が負うべきものでしょうが、こと労働時間との関係においては兼業を選択した労働者により多くを負っていただくのが適当かと思います。