だいずせんせいの持続性学入門

自立した持続可能な地域社会をつくるための対話の広場

自然(じねん)の哲学その1

2021-06-16 20:45:42 | Weblog

 私たちの社会はお約束でできている。どういうことかというと、今年のファッションでどういう色が流行るかということは、自然発生的にそうなるのではなく、業界団体が決めていることだ。

https://goworkship.com/magazine/2021-trendcolor/

ちなみに今年の流行色は「ゼロホワイト」だそうだ。でも、業界団体が決めれば本当に流行るのか。それは流行る。なぜかというと、デザイナーはそのガイドラインに沿って服をデザインし、アパレル会社はそれに沿って宣伝・広告を打つ。小売店でも同様にプロモーションをする。消費者は「あ、今この色が流行っているんだ」と思って買う。そうすると本当に流行する。

 服を一着買うと、その値段の中で、布のコストや紡績・縫製で働く人の人件費はごく一部だ。膨大な宣伝広告費がそこに含まれている。消費者は主体的にこれが良いと判断して買い物をしているわけではない。宣伝広告の波状攻撃によって良いと思わされているわけだ。ただそのやり方は巧妙だ。あからさまな押し付けであれば拒否される。消費者が自分で主体的に良いと思ったというように仕向けなければならない。広告代理店の専門性とはその高度な人心掌握のノウハウにある。だからメーカーは高い広告代を払って広告代理店に依頼するわけだ。

 ユヴァル・ノア・ハラリは、他の動物から人間を区別する特質として、人間だけが想像力によって大規模で柔軟な共同作業ができることだと主張した。それが文明を作る原動力となった。古代から中世まではそれが宗教的な物語だった。それを皆が信じることで大規模な文明が誕生した。一方、今日の消費社会における宣伝広告は、人々の想像力を喚起して一つの物語を共有するための強力なツールということになる。その及ぶ範囲は今や地球全体をカバーし、古代の宗教をはるかに凌駕する規模とパワーとなっている。

 最近、新たに登場したお約束で目につくのが、脱炭素、ネットゼロカーボン、カーボンニュートラルと呼ばれるものだ。2005年に気候変動枠組条約の締約国会議で取り決められたパリ協定がそのお約束だ。2050年までに世界の二酸化炭素排出量を実質ゼロにすることが協定された。各国はその実現に向けて2030年目標をこぞって提示しており、日本も46%の排出削減を世界に向けて公約した。本当にそれを実現しようとしたら、まさに社会・経済の大改革を行わなくてはならない。

 また、同じ年に国連総会で採択されたSDGs(持続可能な開発目標)がパリ協定に重なる。今や政府機関だけでなく、大企業から中小零細企業までこぞって会社のホームページで自社のSDGsへの貢献・推進を掲げている。

 私たちの社会・経済を動かしているのは、政府と大企業である。その両者が、パリ協定とSDGsを共に中心テーマに据えた。そもそも政府と大企業が連携してめざすところは経済成長である。日本では戦後の高度経済成長期に政府が主導し大企業が従う形で大成功を収めた。しかしバブル経済が崩壊した1990年代はじめから日本経済はもう成長を止めてしまった。人口が減少するフェーズに入ったので経済も縮小して当然だ。イノベーションと言っても、モノやサービスの需要は頭数に比例する。大企業は国内市場に見切りをつけ、アジアへ中南米へアフリカへと出て行き多国籍企業となった。同様な事情なのがヨーロッパだ。ヨーロッパ全体で人口の増加が止まり、経済は停滞している。これまでのお約束では力強い経済成長は望めない。新たなお約束が必要になっていた。

 そこで、脱炭素に持続可能な開発である。しかしながら、国連の会議で取り決められたからといって、普通はそれが広く社会のお約束になることはない。例えば、1992年に取り決められたアジェンダ21(持続可能な開発に関する行動計画)は大きな話題にはならなかった。SDGsの前身のMDGs(ミレニアム開発目標)を知っている人は国際交流や途上国の開発に関わりのある人に限られるだろう。パリ協定の前身は京都議定書であるが、これも政府の政策の中心に据えられることはなく、環境に関する業界の中での話だった。

 今回は様相が異なる。非常に強力なキャンペーンが世界中で行われている。まず、世界の大規模な投資ファンドが、持続可能な開発や脱炭素に関わる事業に優先的に投資をすると発表した。単にお金が儲かるというだけでは投資をしてもらえない。何かいいことをしないといけないというわけだ。それで世界中の大企業がこぞっていいことをしようとしはじめた。同業他社に優位に立とうとして、「わが社はこんな良いことをやっています、やろうとしています、そういう意思を持っています」というキャンペーンに宣伝広告費を使い始めた。そうすると、これが新しいトレンドだと捉えたマスメディアが集中して取り上げるようになった。私にも昨年からテレビとラジオからお声がかかり、SDGsを紹介する番組に出演している。ネットゼロカーボンだの、SDGsだの、わけのわからない横文字を、今まで環境問題などとは無縁だった普通の人々が口にするのを聞いて、何かすごいことが起きているという感を強くする。

 政府はグリーンエコノミーという呼び名で、新たなお約束のもとに経済成長を図ろうとしている。これまで太陽光発電も電気自動車も、化石燃料に比べてコストが高く、電気料金や車の価格が高くなるから普及しないのだと説明されてきた。最近は説明が変わった。それらは新たな雇用を生み経済を成長させる原動力だと。もともとコストと雇用は直接関係しているので、コストが高いということはそれだけ雇用を生んでいるということだ。コストと雇用はコインの裏表の関係なのだが、今ではそれが割ることではなく良いこととして語られるようになった。これも一つのキャンペーンである。

 実質的な世界は何も変わっていないのだが、政府と企業による膨大な金額を投入した宣伝広告によって、人々の意識が変わってきた。それも、主体的に自分がそれは良いと思うという形で。ファッションの色は何色でも服という機能には大差ないのであるが、ある色がどうしても良いと思うのと同じだ。

 もちろん、そのようなキャンペーンを受け入れる素地が私たちの心に共有されている。それは自分の暮らし向きが良くなるためには経済成長が必要だという物語でありお約束だ。それは日本では明治維新からずっと続いている物語だ。

 ネットゼロカーボンも持続可能な開発も歓迎すべきことには違いない。しかし、それがグリーンエコノミーとして、経済成長の「ネタ」として捉えられることに、私は大いに違和感を感じる。経済成長によってこの持続不可能な世界が出現したし、そもそも経済成長自体が持続不可能だ。経済成長というのは無限に発散するカーブに沿って財の生産が増加することを期待するということだ。有限な地球の中でそれはいつかは行き詰まる。というか、すでに行き詰まりは始まっている。経済成長することで持続可能な世界を作るというのは、泥棒が警察をしているようなものではないか?

 お約束の物語が書き換わっているようで、実はそれはうわべだけの話で、本当には書き換わっていない。本当に書き換えるべき物語とはどのようなものだろうか。これからおいおい考察していきたい。

 

 

 

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1 コメント

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Unknown (結)
2021-06-24 09:24:56
うわべだけのカバーだとしても、土壌しだいで滲みていくのではないでしょうか。

つまり"お約束"書き換えより"土壌"改善こそ、先生たちに奮起していただきたいところです。

"お約束"に命はありませんが、土壌からは命が生まれます。

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