この8月6日に、つまり広島に原子爆弾が投下された75周年の日に、現地でヒバクシャの1人にインタビューする機会に恵まれた。この方を含め、多くのヒバクシャの核兵器の残虐さを訴える証言活動にもかかわらず、核兵器は廃絶されていない。そればかりか、核戦力の増強や核兵器を運搬するミサイルの開発が日本のまわりで進んでいる。これが、アメリカ、中国、ロシア、北朝鮮という日本のまわりの核兵器保有国での状況だ。それではヒバクシャの証言は無駄だったのだろうか。なんの役にも立たなかったのだろうか。そうではないだろう。重要な役割を果たしてきた。その役割を説明するために、遠回りだが「核抑止」について説明しよう。


原子爆弾が開発されて以来、人類は、この魔物と共存してきた。危うげに。最大の核兵器保有国であるアメリカとソ連(現ロシア)の指導者が見つけた共存のための方法は「抑止」であった。抑止というのは防止とか防衛とは違う概念である。防止とか防衛は、相手の攻撃をじっさいに阻止する行為である。しかしながら、核兵器を搭載した多数のミサイルを正確にすべて撃墜する技術は存在しない。したがって防衛や防止は不可能である。唯一可能な方法は、先ほど触れた抑止である。


では、抑止とはなにか。


抑止とは、相手にある行為の引き起こす結果を想像させ、それが余りにひどいので、行為そのものを思いとどまらせる概念である。これを核兵器に応用すると、ソ連が仮にアメリカを核兵器で攻撃すれば、攻撃にもかかわらず生き残ったアメリカの核兵器がソ連に耐えられない程の打撃を与える。そうした状況があれば、ソ連がアメリカを攻撃する動機は低くなる。逆の立場から見るには、ソ連をアメリカにアメリカをソ連に置き換えればよい。お互いにそうした状況が存在すれば相互抑止が成立する。これを「相互核抑止」という。


この相互核抑止を安定させるために、米ソ両国は天文学的な費用を投入してきた。核兵器による奇襲攻撃を受けたとしても十分な核戦力が生き残るように長距離爆撃機、大陸間弾道弾、潜水艦発射型ミサイルなどに搭載する形で核兵器を分散してきた。


では、これで均衡が生まれ、核兵器は使用されなくなるのか。


相互核抑止体制の問題は、それが不安定な点である。たとえば1962年のキューバ危機のさいには、米ソは核戦争の瀬戸際に近づいた。キューバ危機というのは、ソ連がアメリカに近いキューバに中距離核ミサイルを持ちこんで始まった事件である。アメリカはその撤去を求め、キューバを海上封鎖した。もしソ連がミサイルを撤去しない場合には、アメリカはキューバへの爆撃を検討していた。結局ミサイルが撤去されて事件は落着した。しかし爆撃は、恐らくキューバに配備されていた核ミサイルのアメリカへの発射を意味しただろう。つまり核戦争である。米ソは、その瀬戸際に立った。


そこから米ソの指導者が後ずさりしたのは、なぜだろうか。


それは、核戦争の悲惨さを良く知っていたからである。それは、ヒバクシャの証言に代表されるヒロシマの声がナガサキの叫びが、米ソ両国の指導者を含む世界の人々に原爆の残虐さを知らしめていたからである。これがナガサキ以降の世代を核戦争から守ってきたのではないのだろうか。


抑止とは、結果の悲惨さを想像する能力に依存している。これを支えるのは、想像という心の中での行為である。であるならば、その想像を助ける被爆証言は重要である。見たことも聞いたこともないものを想像するのはむずかしい。しかし、原爆投下が生みだす惨状を経験者から聞く行為は、その想像を容易にする。キューバ危機は人類が核戦争に近づいた一例に過ぎない。他にも例はある。


たしかに、ヒバクシャの声は、いまもって核兵器の廃棄を実現していない。しかし、その声は世界に核攻撃の悲惨さを知らしめ、人類を核爆弾から守ってきた。ヒバクシャたちの最大の貢献だろう。そのヒバクシャたちも、次第に高齢化している。被爆体験をいかに次の世代に伝えるのか。被爆国として日本人は、重い課題に直面している。


-了-


※『まなぶ』2020年9月号38~39ページに掲載