さて、ここまで述べて、やっと結論のような言葉を述べる準備ができたように思う。歌集『砂の詩学』以来、三井修氏の言語空間における中東と短歌の共存が、驚きをもって迎えられて来たようである。しかし、現地の詩歌の伝統を知る者にとっては、中東と短歌ほど心地よく響き合う組み合わせはないのではないかと思う。私の周辺にも中東研究の傍ら短歌の創作に勤しむ先生方がおられる。


そして三井氏が多くの歌をバーレーンというアラビア語世界で得たという事実もまた自然に思われる。人間は母語以外の言語環境に身を置くと、母語への感性を高める動物のようだからだ。異郷においてこそ文学への思索を深めた作家は多い。夏目漱石や森鴎外の例を挙げるまでもないだろう。詩人や歌人においても同じような傾向があっても不思議ではない。いや、もっと強いだろう。言葉の響きのつらなりに生涯をかける歌人であればこそ、母語への感性は突き刺さるほど鋭くなったのではないか。


そして三井氏の筆は、最後に歌人論に及ぶ。ここでは、それぞれの歌人の技巧の素晴らしさや精神の鮮烈さが縦横無尽に論じられている。この歌人論から浮かび上がってくるのは、もちろん三井修という歌人の薄っすらとした輪郭である。人は他人を語ることで自分を語る場合が多いからである。研究者さえもが、研究対象の選択の段階において、客観的な知的営みに勤しむ振りをしながら、自己の主観を表出する。この歌人論によって、自らが追い求める理想の短歌の姿を指し示しているのだろうか。それは、もちろん包括的な議論ではない。絵に例えれば完成した油絵ではなく、鉛筆によるスケッチである。著者は、これまでの活動によって、歌人としての輪郭を描いて来た。今後とも、多くの短歌が、この素描に色彩を付け、三井修という歌人の鮮明な全体像を描き出すのだろう。


-了-


※『塔』2020年11月号、134~5ページに掲載